外伝 プロレスこそ最強の格闘技



プロレスこそ最強の格闘技。ニアム・キーナムはそう。蹉跌を踏まされたあの日までは。


極貧家庭に育ったキーナムは、いつも腹を空かせていた。父親はキーナムが2つの時に事故で他界し、母親は混ぜ物だらけの麻薬に手を出して衰弱死した。15才にして天涯孤独の身となったキーナムだったが、将来を悲観してはいなかった。家柄も学歴も、コネも金もない少年だったが、肉体があった。黒真珠のように輝く強靱な肉体、それがキーナム少年の唯一の財産であったのだ。


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キーナム少年は格闘技で身を立てる事を考え、プロレスという道を選んだ。特にプロレスへの憧れがあった訳ではない。彼がプロレスリングを選んだ理由は"減量する必要がない"からである。ひもじい思いをするのは、もう真っ平だ。いい肉を食いたいだけ喰らい、上等な酒を浴びるほど飲む生活を手に入れる。それだけが飢えた少年の望みだった。


地方のプロレス団体の入門テストに合格したキーナムは、合成肉とはいえ、腹一杯食える生活を始めた。プロレスラーは体が資本。彼の所属した団体は、練習生にも(安価な食材ではあるが)腹一杯食わせる事で知られていた。元々強靱だった肉体は、サイズと硬度を増しながら急成長し、堂々たる体躯へと育った。入門から三年の月日が経過し、練習生の中では頭一つ、いや二つも三つも抜けた存在になったキーナムは、いよいよプロレスラーとしてデビューする事になる。


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惑星テラではプロレスが隆盛している。バイオメタル技術は、軍隊だけではなくプロレス界をも変貌させたからだ。生身の肉体では到底出来ない力と技、そして連日の激戦にも耐えうるタフネス。ボクシングなどとは違って、ほぼ毎日試合のあるプロレスという競技に、バイオメタル技術はマッチしていた。


世の中がそうであるように、プロレスの世界にも善玉ヒーロー悪玉ヒールがいる。キーナムがデビューを控えた時期には、ジャガーマスクというスターレスラーがいた。スターが輝き続ける為には卑怯で強い悪役が必要で、キーナムはその悪役に選ばれたのだ。


正々堂々のストロングスタイルを貫くヒーロー、ジャガーマスク。そのライバルは毒霧に凶器攻撃、場外乱闘なんでもござれのヒール、ブラックジャガー。所属団体が提携している大手団体が描いた絵に沿って、キーナムはマスクマンとしてリングに立つ事を決めた。彼にとっても悪い話ではなかったからだ。地方でドサ回りをするよりも、悪役であってもメガロシティのリングに立つ方が金になる。人気絶頂のスターレスラーのライバルという設定だけに、ジャガーマスク以外には負けてやる必要もない。


かくしてキーナムは、いや、ブラックジャガーはリングに吹き荒れる黒嵐となった。まともに戦っても強いのに、汚い手を使って勝ち続けるヒール。負ける時は常に反則負けという悪役に、観客達は罵声を浴びせた。ブラックジャガーにとってその罵声は心地よかった。世間には"怖いもの見たさ"という言葉があるが、プロレスの世界には"憎いもの見たさ"という言葉がある。誰かあの悪逆非道な覆面レスラーを叩きのめしてくれないか、そんな思いを抱く観客は試合に駆けつける。ブラックジャガーにとって浴びせられる罵声は、空から降り注ぐ札束のように思えていた。


大手団体もよくしたもので、ファンのフラストレーションが高まった頃合いを見計らって、ジャガーマスクVSブラックジャガーの試合をマッチメイクする。憎きブラックジャガーが懲らしめられる待望の一戦、チケットは飛ぶように売れた。


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通りにジャガーマスクに敗れたブラックジャガーは、肩を落として逃げるようにリングから去る。プロレス稼業で唯一、憂鬱な仕事だ。


控え室に戻ったブラックジャガーはマスクを脱ぎ捨て、ニアム・キーナムに戻った。そして部屋で一番豪華な専用椅子に腰かけ指を鳴らすと、付き人が冷えたビールを持ってくる。室内には若手や中堅レスラーだけではなく、タイトルホルダーもいれば、ベテランレスラーもいたが、誰も咎めようとはしない。レスラー歴5年のキーナムはまだまだ若手のはずなのだが、皆が知っていた。真剣勝負セメントであれば、誰が一番強いのかは。


「キーナムさん、ご苦労様っした!」


キーナムが可愛がっている後輩で、新人レスラーのウーゴ・バリオスが持ってきたタオルで汗を拭う。


「おう。ウーゴ、今日の試合はなかなかだったぞ。特にトペ・コンヒーロがよかった。あれだけ出来るなら、前座はそろそろ卒業じゃないか?」


「キーナムさんもわかってるでしょ。プロレスラーは強けりゃ前座を卒業出来るってもんじゃないんですって。」


「だそうだぜ、先輩方?」


ベテランレスラー達は答えないどころか、キーナムと目を合わせようともしない。迂闊な事を言ってキーナムを怒らせれば、次の試合でセメントを挑まれる。この黒い猛獣は猛獣使いプロモーターでさえ御しきれないのだ。彼は自分の強さを知っているだけに、クビになる事を恐れていない。プロレス界から追放されても、他の格闘技をやればいいだけ。その競技に慣れさえすれば、頂点に立つ自信があるのだ。


「キーナムさん、飯に行きましょうよ。こないだいいステーキレストランを見つけたんです。」


「いいねえ。胸クソ悪いショーは終わった事だし、肉でも食おうか。」


キーナムは椅子から立ち上がり、隠し通路へ繋がるドアを開けた。モデル上がりでマスクの下の素顔を知られているジャガーマスクと違って、ブラックジャガーは"マスクマンは正体を知られてはならない"という美学を守っていた。


自分の素顔と真の強さは、同僚だけが知っていればいい。プロレス界の影の帝王は俺だ、という自負がキーナムにはあった。


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「うわっ!混んでますねえ……」


待合室では数珠生りのように客が群れていた。これではなかなか座れそうにない。


「人気は味の証明にはならんが、期待は出来そうだな。」


さほど旨くない店でも、プロモーション次第では繁盛店になれる。決して長続きはしないにしてもだ。キーナムはショービジネスの世界に生きているだけに、その事を弁えていた。結局、飲食店なら本当に旨い店、格闘技なら真に強い者だけが生き残る。


「人気は実力の証明にはならない。俺らの世界もそうですね。」


「そういう事だ。」


「キーナムさんを待たせる訳にゃあいかねえ。俺がちょっくら話をつけてきますよ。」


プロレス界の影の帝王といえど、この場では客の一人である。当然、順番を守るべきであった。だが、プロレス界で怖い者なしになっていたキーナムには、驕りが芽生え始めていた。黒いジャガーのマスクに影響された訳ではなかろうが、実生活でもヒール化し始めていたのである。


キーナムはウーゴが店のマネージャーを掴まえて、鍛えた肉体を誇示しながら話をしているのを、黙って眺めていた。


「よしな、坊主!店にも他の客にも迷惑だろ。」


客席から飛んできた女の声、坊主呼ばわりは後輩の癪に障ったらしい。


「姉ちゃん、すっこんでな!……痛い目をみたいのか?」


「痛い目? ケツの青い坊やが言うじゃないか。」


客席から立ち上がった女、いや、大女は後輩を怯ませた。ウーゴもプロレスラーだから、かなり体格もいいし、上背もある。だが、大女の体格と筋肉は、新人プロレスラーを凌駕していた。首からネックレス代わりにドッグタグを提げているところからして、この迷彩タンクトップを着た大女は軍人らしい。


怯みを振り払ったウーゴは、女軍人に啖呵を切る。


「軍人さんよぉ、見たとこ銃さえ持ってねえみたいだが、素手で本職に喧嘩売るってのかい?」


「雑魚を相手に武器なんざいるもんかい。……表に出な。」


「上等だ。軍病院の予約をしとけ!」


大皿が13、14、15枚か。大女のテーブルに重ねられた皿の枚数を数えたキーナムは、この女が自分達と同じ、重量級バイオメタルだと判断した。


……鍛え上げられた拳を見るに、ウーゴでは荷が重いな。女子プロレスラーにも知り合いがいるが、女でここまでデキる奴は見た事がない。


「女、相手は俺だ。名を聞いておこう。」


コイツなら明日からでもリングに上がれそうだ。期待通りの腕前なら、叩きのめした後でプロモーターに紹介してやってもいい。そうすりゃ仲介料も入る事だしな。キーナムは頭の中で算盤を弾く。




「アビゲイル・ターナー。この坊やじゃオードブルにもなりゃしないが、おまえはちょっとは歯応えがありそうだねえ。」


※続編もあります(笑) 近いうちに上げますので。


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