第11話 漢帝国への道

 横一線に並んだ劉邦軍だったが、戦闘開始間もなく右翼が押され始めた。

 曹参そうさん廬綰ろわんがそこに配置されていたが、その中で最右翼の廬綰の部隊がじりじりと後退している。曹参が奮闘し、まだどうにか潰走は免れている格好だ。

 秦軍の武具を入手して強化したとはいえ、まだ戦闘力には開きがあった。


「やはり廬綰には荷が重かったか。援軍を送ったほうが良くはないか」


 劉邦は不安げに張良を見た。だが、彼女は全く表情を変えていない。

 中軍から左翼は、ほぼ互角に秦軍に対している。左翼に至っては徐々にではあるが押している程だ。


「いや、このまま行こう。大丈夫だ」


 戦場に立ちこめる砂埃が強い風に吹き払われた。張良は陣容を見渡し、大きく頷いた。どうやら彼女の思い通りの展開になってきた。


 劉邦軍は、横陣から斜行陣へと、自然と隊形を変えていた。

 秦軍は劉邦軍と黄河の支流に挟まれる格好になっている。くさび形になった秦軍の先端に当っているのは廬綰の部隊だった。

 今まで後退を続けていた彼らは、ここに来て一転、頑強な抵抗を見せる。

 秦軍の攻勢が止まった。


「騎馬隊、戦車隊、敵の後方へ回り込め!」

 張良は号令を発した。

 中軍の後方に控えていた部隊が凄まじい勢いで走り出した。

 左翼を迂回し、一気に秦軍の背後に出る。


「突撃ーっ!」

 灌嬰かんえいの指揮のもと、精鋭騎馬部隊が秦軍に襲いかかった。敵陣に突っ込んだ彼らは、秦兵を蹴散らしていく。だが深入りはせず、二つの円を描くように左右に分かれ後方へ抜ける。

 一方の指揮は灌嬰の副官、ようがとっていた。彼女も果敢に敵陣を駆け抜けていく。そして灌嬰と合流し、一撃離脱を繰り返す。


 そこへ夏候嬰かこうえいの戦車部隊も到着し、激しい攻撃を加えた。

 後方から襲われた秦軍は恐慌状態に陥った。


「よし、全軍、押し込めっ!」

 劉邦がだみ声で怒鳴った。


 形勢は一気に決した。半数以上の秦兵が討たれ、河に逃げ道を求めた兵士もその多くは溺死した。


 劉邦軍の完勝だった。

「廬綰よ、見事だったぞ。あれは演技でやっていたのか」

 序盤の劣勢を劉邦に問われ、彼は無表情な顔を少し緩めた。


 灌嬰と遥をねぎらっている張良のもとへ伝令が飛び込んで来た。

鉅鹿きょろくにおいて、項羽将軍が章邯しょうかん率いる秦の主力を撃ち破りました」

 楚軍大勝の報だった。

 だが、これは喜んではいられない。張良は顔を引き締めた。


「こちらも、急がねばならない」


 張良は軍を再編成し、関中へと進軍を開始した。

えん城はどうするのだ」

「ここだけは叩きつぶさなければならない。だが、まずは囲んで降伏勧告だ」

 この地方の拠点となる城だ。そう簡単に開城とはならないだろう。だが、あまり時間は掛けられない。戦力を誇示しながら、力ずくで説得を行うしかない。


 そう覚悟していた張良だったが、先の白馬の会戦で劉邦軍が大勝したことが功を奏したようだ。宛城はあっさりと降伏した。

 鉅鹿での秦主力壊滅の情報も入っていたのかもしれない。


「太守を斬る必要はない。降れば許されるのだ、という事を知らしめよう」

 張良は主張した。

 ここまで城を攻め落としても、兵士に狼藉を働かせなかったのはこのためだった。今までの暮らしが保証されるのであれば、人は反抗しようとはしないものだ。


 読みどおり、武関へ向かう途上の城は次々に使者を送り、降伏を申し入れてきた。

 ほとんど戦闘らしい戦闘もせず、劉邦軍は武関の前に立った。


 関上には秦の旌旗せいきがはためき、精兵が守りを固めている。文字通り、最後の砦となった武関だ。劉邦軍に緊張が高まる。


 城頭に弓兵が姿を現した。

 一列に並び、射撃体勢に入る。


 ぶん、と唸りをあげ一斉に矢が放たれた。

 劉邦軍前面の兵は盾を掲げ、それに備えた。


「おおっ?」

 盾を持った兵達からどよめきが起きた。矢は飛んで来なかった。

 全ての矢は、彼らの前方の地面に突き刺さっていた。

 届かなかった訳ではない。劉邦軍の手前を狙ったのは明らかだった。


「どういう事だ?」

 劉邦が素っ頓狂な声をあげた。

 その時、城頭に翻る秦の旌旗が次々に倒された。

 そのまま、しんと静まりかえっている。


「罠でも構わん、城門を打ち破れ」

 劉邦が命じる。

 巨大な破城槌はじょうついを抱えた兵団が城門へ突っ込む。2度、3度と城門を揺るがすが、秦兵の反撃は無かった。

 ついに城門を破壊し、突入した劉邦軍は目を疑った。

 武関の城門内は全くの無人だったのだ。


「防衛のため攻撃を仕掛けたが、力及ばず城門を放棄した。という体にしたかったのだろうか」

 曹参の言葉が事実に近いのかもしれない。軍団が駐屯していた形跡がないのだ。城頭に姿を見せた小部隊が全兵力だったのではないか。


 ついに劉邦軍は秦の本拠地、関中へ入った。


 咸陽を陥とし、項羽との直接対決を経て漢帝国を建国する、その第一歩を、いま踏み出したのだ。


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兵書に淫する姫~少女軍師 張良~ 杉浦ヒナタ @gallia-3

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