第10話 会戦の地は白馬
「では手始めに
「華々しいだけの事を言うな。あんな堅城が簡単に陥ちるものか。関中入りという目的を忘れているだろう」
「いや、お前が来たから大丈夫かなと思ったのだけれど、やはり無理か」
以前にもこの開封を攻撃して全く歯が立たなかった事はもう忘れているらしい。その時より兵力は増えているが、まだこの程度では張良にもどうしようも無い。
しかもそのルートを通るとすれば開封、
「わざわざ真正面から突っ込んでやる必要はない。というより、絶対無理だ」
そうか、と劉邦もあっさりとそれを認めて、前言を撤回する。
「陽動にもならないしな。ところで沛公」
ここで張良は表情を改めた。
「お前は、陽動部隊として項羽の支援をするだけで満足なのか」
「わしは、無能だからな」
劉邦は何の気負いも
「部将に向かないのはよく分かっている」
だから、と劉邦は続けた。
「わしに出来るのは、王としてふんぞり返るくらいだ」
張良は肩をすくめた。
「ならば是非とも項羽より先に関中へ入らねばならないな」
そうなると尚更、開封などに構っている場合ではない。
ただ心配なのは、後方を
そのための工作が必要となるのだが、途方もない困難が予想された。
その時、張良のもとに使者が到着した。
「父さまから?」
一瞬不安に襲われたが、それは悪い報せではなかった。
使者が差し出したのは、旧韓と秦の国境付近の、城と街道の詳細な配置図だった。
「おい、これは何だ」
劉邦が声をあげた。張良は思わず劉邦と顔を見合わせた。その部分だけ朱で表されているルートがあった。街道を外れ、関中の南にある
「成る程、こんな方法もあるのか」
張良は大きく頷いた。さすが父さま、すべてお見通しのようだ。
旧韓の南部を抜け、武関から関中へ入るルートであれば、比較的小城ばかりで攻略も容易だろう。ただ問題が無いわけではなかった。父の地図にもそれは大きく記されていた。
「この辺りでは最大の城だ。間道に入る前に、ここだけは降しておかねばならない」
「狭隘路で後ろから襲われては困るからな」
劉邦にしては、まともな事を言う。
「もう一つ。ただ関中へ入ればいいのか、という問題がある」
確かに懐王の出した条件は、最初に関中に入り咸陽を陥とした者を関中王とするというものだった。だが、ろくに戦いもせず、いわば裏口から関中に入っても諸将がそれを認めるのか。
「そうか。わしなら認めんな、そんな奴は」
「だろうな」
「だから、武功が必要だ。誰にも文句をつけさせない程のな」
特に劉邦軍は作戦開始以来、全くと言っていいほど勝っていない。兵数はともかく武装が貧弱で、秦の地方軍にさえ苦戦している状態だ。だからまず、兵備の充実を図らねばならない。
その方法はただひとつ。秦軍から奪うことに尽きる。
張良は全軍をあげて秦の小城を攻め潰し始めた。城に備えられた武具を全て接収し、自軍へ配備する。こうして徐々に戦力を整えている所へ、願っても無い情報がもたらされた。
「秦の正規軍が出てきたぞ」
張良は劉邦の宿所に入り報告する。
「勝てるか、張良?」
劉邦は言葉とは裏腹に、ひとつも疑っていない口調だった。一連の戦いで張良に対する信頼は揺るぎないものとなっていた。
秦軍の主力は
集結しようとしている小部隊を個別撃破するのが常道であり確実ではあるが、ここは少し派手にやってみようと思った。
これは決して名誉欲などではない。数で上回る相手を会戦で撃ち破ったという実績が劉邦軍には必要なのだ。楚軍における発言力を確保し、項羽の対抗馬とならなければ劉邦の生きる道はない。
斥候からの報告によると秦軍は白馬の平原に集結しているという。その数、劉邦軍の1万5千人に対し、秦軍は3万に近い。
「ちょっと集まり過ぎじゃないか、張良」
さすがに不安そうな劉邦だった。居並ぶ
「金床の戦術を応用します」
まず説明を行うのは
ローマで育った遥は、その戦法を熟知していた。
つまり
劉邦軍にあって、初めて戦術的な解説を受けた部将たちは揃って首を捻った。
(この人たち、大丈夫なのかしら)
部将たちの反応に不安を募らせる遥と、張良の目が合う。彼女も苦笑するしかなかった。
「心配するな。基本は包囲殲滅だから」
張良は作戦の詳細を伝える。
劉邦軍は白馬へ進出し、横一列に布陣した。
中央はもちろん劉邦。
左翼には周勃と
黄河の支流に接する右翼は曹参と
そして灌嬰の騎馬部隊と
両軍はゆっくりとその距離を縮めていく。
張良にとって最初の大規模戦闘である『白馬の会戦』が、まさに始まろうとしていた。
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