おわりの駅

@sonzoku

おわりの駅

 僕がいるのはたしかに駅の構内だ。それはわかる。

 しかしここはどこの駅だろうか。そして何故僕は今ここにいるのだろうか。僕の頭の中に次々と疑問が生じ、はげしく渦巻く。

 だが一方ではどこか懐かしい思いもして、なんだか奇妙に心持の良い落ち着きがそこここから感じられる。初めて来た場所に対するような新鮮さや不安さがないのだ。

 これが既視感というものだろうかと、もどかしい戸惑いを抱きつつ、僕は切符の販売窓口に向かった。まずは駅員に尋ねてみよう。

 切符売り場は改札よりもずいぶん手前にあった。そして駅内はかなり広々としているのに、売り場の窓口は一箇所でしかも並んでいる客は誰もいなかった。だが駅の中は人でごったがえしている。改札に並んでいる客が多いのだ。

 切符売り場の前に立つと、小さな半円の窓から駅帽をかぶった痩せた男性が顔をのぞかせた。そしてわずかに目を見開いた。

「おや、まだ子どもじゃないか」

 理由はわからないが、どうやらその駅員は僕の顔を見て少し驚いたようだ。僕のような小学生が一人で駅に立つのが珍しいのだろうか。

「・・・あの、ここはなんという駅なのでしょうか」

 僕の問いに駅員は再び眉を上げたが、すぐに目を伏せてため息をついた。そして今度はやさしい、いたわるような柔和な視線を僕に向けた。

「ここは『おわりの駅』だよ」

「おわりのえき?」

「ああ。おしまいの駅、つまり道の終わりにある駅ということさ」

 僕は改札口の方を見た。

「じゃあ、あっちに並んでいるのは旅を終えた人たちだね。これから帰っていくんだね」

「いや」

 駅員は首を一振りした。

「みんな、ここから旅立つ人たちだよ」

「でも、駅はここで終わりなんでしょ? この先に線路もないのに、あの人たちはどこにどうやって行くの?」

 僕の質問に、駅員はわずかに表情をくもらせた。

「やっぱり君は何も知らないんだね・・・無理もないか、まだほんの子どもだもの」

「子ども扱いしないでください」

 僕は抗議した。確かに子どもだけど、子どもは大人から露骨に子ども扱いされるのが一番きらいなものだ。

「ちゃんと教えてください。ここはどこで、ここからはどこに行けるのですか」

「ああ、ごめんよ。この駅はたしかに終点なんだよ、ここまで続いてきた線路はここで終わり・・・だけど、ここからまた新しい、まったく別の線路が延びてるんだ。向こうを見てごらん」

 駅員が指差したのは、いくつかある改札口に並ぶ列の中で最も長蛇に連なるものだった。改札口の上には看板が下がっており、「1番線乗り場用」と示されている。

「彼らのほとんどは指定席券がとれず、一般の乗車券のみで列車に乗ろうとしている。だけど、それはかなわないだろうな。1番線の列車は全て指定席で、指定券のない人はキャンセルがはいらないかぎり乗り込むことはできない。そしてその指定席券をもらえる人はごく一部に限定されている。彼らの多くは、100年たったってあの列車には乗れないだろう」

「どうしてそんなに1番線の列車に乗りたいの?」

 僕は、1番線の改札口から他の路線のそれに目を移しながら、駅員に質問した。

「他の路線はあまり混んでないじゃん。たとえば・・・3番線なんて誰も並んでないよ」

 十数人並んでいる2番線の列を隔てた3番線用の改札には、切符切りの駅員がぽつんとたたずんでいるだけで、乗客らしき人は誰もいない。

「ああ。あの路線は人気がないからねぇ・・・まあ、行き先が行き先だから当然だがね。だけど、あれにしか乗れない人もいる。ほら」

 駅員があごで示した先――駅構内への正面出入り口から、一人の恰幅のよい壮年の男性が入ってきた。見るからにブランドものの揃いの背広が、自らの太鼓腹で今にも張り裂けそうだ。まだ老人と呼ぶには早すぎる年代だろうに、杖をついて歩くのにも難儀している様子だった。

「あのおじさんは、きっと3番線だよ」

 決め付けるような駅員の言葉をいぶかしく思いながら見ていると、男はやがて立ち止まり、スラックスのポケットから紙切れのようなものを取り出した。そして改札口の上に設置されている列車の発着表示板とそれを見比べている。

「あの紙切れは乗車券だ。彼は今、自分の切符とこれから乗る電車の路線を確認しているんだよ。だがそのうち・・・」

 駅員が言い終わらないうちに、男は何やら一言叫び、いきなり切符を握りつぶして床に投げつけた。さらに、くしゃくしゃに丸められた切符が転がっていくのを忌々しそうな目つきで一瞥した後、今度は切符販売窓口――つまり僕のいる方をぎろりと睨みつけた。そのまま肩をいからせ、顔を真っ赤にして真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

「あのおじさん、なんだかひどく怒ってるみたいだよ。しかもこっちにやってくるみたい。どうしたんだろ」

 そう僕は問いかけたが、駅員は応えず、かわりに「ちょっとの間わきにどいていなさい」と言って軽く手を一振りした。急に邪険にあつかわれたような気がして僕は少しむっとしたが、同時に駅員の態度に少し緊張した様子を感じ取ったので、この場は素直に彼の指示に従うことにした。

 男はときおり足をもつれさせていたが、その歩みは杖をつく必要もないほど早足だった。そして僕にはまったくわき目もふらず、切符売り場の窓口に両手をついて駅員に向かって何か言おうとした。

 だがそこで男は完全に息があがってしまったようだ。さらに過度に興奮していたこともあったようで、しばらくの間は言葉を発せず、贅肉で盛り上がった胸と肩を震わせるばかりだった。

 やがて、駅員のほうから声をかけた。

「いかがなさいましたか、お客さん」

 いささか冷ややかともとれる駅員の口調だったが、切迫した男の様子から、今の彼にとって駅員の接客態度など気にかけるような問題ではないということぐらいは僕にもわかった。

「…き、切符を…」

男はうめくように言った。

「…い、1番線の切符を、売ってくれ!」

「あいにくその路線の指定席券は完売でしてね」

「た、頼む! 金ならいくらでも出すから」

「どんなにお金を積まれましても、あなたに1番線の切符をご用意することはできません」

 切実な男の要求に対しても、駅員はあいかわらず冷淡に応対した。

「あなたの切符は…これですよ。どうぞ」

 おもむろに駅員が差し出した切符を、男はすぐさま手で払いのけた。その勢いで駅員の手を離れた切符が、ひらひらと床に舞い落ちた。

「だ、だれが3番線などに乗りたがるか! 1番だ、1番線の切符をよこせ! い、いや、どうしてもそれが無理なら、この際2番線でもいい。とにかく3番線だけは…」

「この際も何もありませんな。あなたはすでに3番線に乗ることが決まっているのです。あなたに他の路線を選ぶ権利はない」

 まさに突き放すといった感じで言い捨てた駅員は、もうこれ以上は取り合わないというように手を振った。

 男はなおも必死に食い下がろうとする様子をみせたが、駅員の「警備員を呼びますよ」という言葉がとどめとなって、がっくりと肩を落とした。そして急に魂が抜け出てしまったかように、ふらふらと身体を揺らしながらおぼつかない足取りで引き返していった。

 男の遠ざかっていく背中を尻目に、僕は床に落ちている切符を手に取った。それには『3番線列車・「シャイニング・ヒル行き」乗車券』と記されていた。

「シャイニング・ヒル?」

「 “光が丘 ”とも呼ばれるところさ」

 切符を見て思わず呟いた僕に、駅員は説明してくれた。

「シャイニング・ヒルにはこの世界の税務署があるのさ。裁判所もね。あの男は、そこでたっぷりと「業」という税を搾り取られる。そうとう強欲な人生を送ってきたんだろう、見ればわかるよ。そして裁判所では実刑が下される。懲役300年はくらうだろう」

 300年だって? 僕は驚いて駅員を見上げた。

「そんなに長い間生きていられないよ。それとも、死んでも受刑者ってこと? そんなの死刑より残酷じゃないか・・・あ、おじさん、ひょっとして、僕が子どもだと思って、またからかってるんでしょう?」

 すると駅員は、なぜかまた急に表情を暗くさせた。

「死刑があれば、むしろ楽だろうねえ・・・でもそんなものはない。いや、そもそもできないんだよ、この世界では」

「どうして? 死刑が廃止になったの?」

「いいや。死ぬということがないからだよ・・・だって」

 駅員は僕の顔から視線を外し、構内を見渡すように目を細めてから、軽く首をゆり動かした。

「みんな、すでに死んでるからさ」

「・・・どういうこと?」

 僕は一瞬の間を置いて、訊き返した。

 みんな死んでるって、どういうこと? だってみんな、普通に立って歩いているじゃないか。でなければ、ここにいる人たちはみんな幽霊とか?

 まさか。

 そう思ったとき、僕はにわかにぞっとした。まわりが怖くなったのではない。急に自分が怖くなったのだ。

「ねえ、もしかして、僕も・・・」

 僕は、おそるおそる、訊いてみた。

「もう、死んでたりして・・・?」

「ああ、そうだ」

 ひょうしぬけするほど、あっけない答えだった。

「おわりの駅は、現世で死んだ人が最初に来るところだ。そして、ここから先の進路は、生前の生き方によって、決定される」

 駅員は僕の目をじっとみつめながら、一言一言諭すように、丁寧に説明してくれた。

 人間は死んだ後、いったんこの駅に集められる。この後の行き先は、その人がこれまでどういう生き方をしてきたかによって決められる。

 生前善行をつんだ人、あるいは努力したにもかかわらず不幸な人生を歩んだ人、不慮の事故や病気により幸福な人生を奪われた人などは、1番線の『サン・マウンテン・パーク(日和山公園)行き』の列車に乗る。

 サン・マウンテン・パークは、現世でいわれるところの “天国 ”にあたり、そこへ行くための切符をもらえるのはほんの一握りの人間しかいない。全席指定で常に満席であり、万が一キャンセルがあれば他の列車の乗車券でも乗れるが、そんなことは滅多になく、すくなくともここ100年ぐらいは一番線列車をキャンセルした乗客はいないということだった。

「あそこで並んでいる人たちは、そのキャンセル待ちさ」と駅員は、1番線改札口に連なる長蛇を指して言った。

「1番線の切符を買うことができるのは、生前に残した “貯金 ”の多い、ごく一部の人に限られる。ただし、貯金というのは現金のことじゃない。それは「幸せに生きる可能性」の量だよ。人は現世に生まれ出るときに、誰もが「幸せに生きる可能性」を与えられる。その量には差があるがね。たとえば、裕福な家庭に生まれた人は少ないことが多い。その時点ですでに幸せを使っちゃってるからね。反対にそうでない家に生まれた人には、これから幸せになっていく権利があるんだ」

 僕が「なるほど」と言うと、駅員は満足そうに頷いた。

「そして、生きていく中でその可能性を自分のためだけに浪費した人や、他人の可能性を奪ったりした人は、こっちの世界でたっぷり返済させられる。さっきの男がそうさ。見た目は金持ちに見えるが、こっちでは逆に莫大な “借金 ”を抱えた貧乏人で、しかも罪人だ。さっきも言ったように、あっちでは相当あくどいことをしてきたようだ。破産宣告だけでは済まないだろう。重い刑が下されるに違いない」

 僕の頭に、がっくりと肩を落として立ち去っていく男の姿が浮かんだ。生きているときにどんなことをしてきたのかは分からないが、あの様子は哀れに思われた。

「反対に、幸せに生きる可能性を有しながらも使わなかった人、善行を積んだり、それを人に与えたりした人などは貯金がたまっていく。たとえば、君のような子どもたち。1番線の改札付近を見てごらん。あそこで切符を切ってもらっているのが、1番線列車の正式な乗客だ」

 僕は再び1番線の改札口を見た。駅員の指差す方向、人ごみの山の奥のほうに目をやると、駅員に切符を差し出してゲートを通過する人たちの様子がなんとか確認できた。

「子どもたちが多いだろう。子どもの頃、成長過程にあるときは可能性を蓄え、大人になったときにようやくそれを好きに使えるようになる。あの子たちは使う前にこっちに来てしまったんだよ。だから、貯金がたくさんある」

 駅員は僕の頭にそっと手をのせ、やさしく言った。

「切符を見せてごらん」

 僕は駅員を見上げた。

「僕、まだ切符を買ってない」

 すると駅員はかすかに微笑み、僕のズボンのポケットを指差した。

「いや、もう買っているはずだ。確かめてごらん」

 僕はズボンのポケットに手を突っ込んだ。硬い紙片の感触があった。取り出してみると、どうやら切符のようだった。

「これ?」

 僕は紙片を差し出して見せた。

 駅員は頷き、「どれどれ」と言って切符を手に取った。

 駅員は二度三度、目をしばたいた。同時に顔が一瞬曇り、目に哀しそうな色が浮かんだようにも見えた。

 だがすぐにまた笑顔に戻り、僕の頭をなでながら切符を返してきた。

「やっぱり1番線の切符だよ。よかったね」

 切符の見ると、『1番線列車・「サン・マウンテン・パーク行き」永久乗車券』と書いてあった。

 たしかに1番線だ。3番線のシャイニング・ヒル行きじゃなくてよかった。でも――

「ねえ」

 僕は切符を持ったまま、駅員に訊ねた。

「 “永久乗車券 ”って、なに?」

「永久乗車券というのは、無期限のフリー切符のことだよ。その切符があれば、いつでも自由に何回でも、1番線列車を利用できる。さらにサン・マウンテン・パークの永住権も付いているから、君はこれからずっと、天国で暮らすことができるんだ。しかしとても珍しい、貴重な切符だよ。私はここに勤めてもう150年ぐらいになるが、これまで十数枚しか目にしたことがない」

 駅員の話によれば、ただでさえ入手困難と言われる1番線の乗車券の中でも、最も価値の高いレア切符なのだそうだ。

「普通の切符は一度きりの乗車だし、サン・マウンテン・パークでの恵まれた生活にも期限が定められている。君にはその制限がない。つまり、永遠に天国暮らしだ」

 だが、駅員はまた少し哀しそうに目を伏せた。

「生きているときによほどつらい目に遭った、よほどいい子だったに違いない」

「え?」

「いや、なんでもない」

 駅員はあわてて首を振り、顔を和ませた。

 僕はあらためて切符を見つめた。

――そんな高価な切符を、どうして僕が持ってるんだろう。

 駅員に訊ねようとしたが、駅員のどこかぎこちない笑顔を見て、僕は問うのをためらった。

 僕は駅員にお礼を言い、切符売り場を離れた。駅員は「気をつけるんだよ」と手を振ってくれた。

 僕は1番線のホームに向かって歩いた。3番線付近でたむろする客の後ろを通るときは、少し早足になった。さっきの太ったおじさんもいた。

 どうやら、彼らは3番線に並ぶのを躊躇しているらしい。暗い顔をした乗客たちの目が背中に張り付くようだった。すがるような視線を振り払うように、僕は通り過ぎた。

 長蛇の列をつくる1番線の改札が見え、僕はほっと一息ついた。そばには列の末尾を矢印で示す立て看板があり、「キャンセル待ちの方はこちら」と書かれていた。

 列の前の方に行くと、長蛇がいったん途切れてロープで仕切られており、駅員が立っていた。そして駅員とロープを境にして、五・六名の客が改札のゲートに並んでいた。ほとんどが僕と同じような子どもだった。

 僕は駅員に近寄り、

「1番線の列車に乗りたいんですけど」

 と、切符を見せた。

 駅員は「ちょっと拝見」と言って僕から切符をあずかると、一瞬驚いたような顔をした。目をこらして見たり、上にかざしたり、裏返したりにしてみたりしていた。

 しばらくそうした後、駅員は切符を返したくれた。

「失礼。ここの切符は偽造が多いものでね」

 駅員はにっこりと笑顔を見せた。

「確かに1番線の切符だよ。それも永久券だ。ただ、次の改札までもうしばらく時間があるから、こっちに並んでいてください」

 そう言って体をよけた駅員の脇を、僕は通過した。駅員は僕の後ろですぐにもとの直立体勢に戻った。

 僕はようやく胸をなで下ろした。

 あらためて辺りを見回し、ふととなりの改札ゲートに目がいった。そこには十数人の客が並んでいた。その乗客たちは老若男女まちまちだったが、ひとつだけ、彼らに共通していることがあった。

 気になったので、駅員に聞いてみた。

「あの人たちは、どこに行くんですか?」

「ああ、2番線かね」

 駅員は2番線に列をつくる人たちを一瞥した。

「 “やり直し ”の人たちだね。行き先は『はじまりの駅』だよ」

「やり直し? はじまりの駅?」

 僕が怪訝な顔つきをしたためか、駅員はちょっと苦笑いした。

「2番線は、他の番線とは少し違うんだ。唯一行き先が駅でね、はじまりの駅っていう。そして、はじまりの駅は現世に通じている。改札を外に抜けると、現世に戻るんだよ」

「それって、生き返るってこと?」

「まあ、そういうことだね。彼らはサン・マウンテンやシャイニング・ヒルなど、死後に送られる行き先が定まらなかった人たちだ。生前の貯金額がプラス・マイナスの境界にあって、評価が微妙なんだよ。行き先を決定する審査・裁定が次に持ち越され、人生をもう一度やり直すのさ」

「ふーん・・・」

 もう一度やり直す、ってなんだか、スゴロクの「スタートに戻る」みたいな感じだと思った。でも――。

「彼らがどうかしたかい?」

 僕が気になったのは、彼らの表情だった。

「いろんな人がいるけど・・・なんだかみんな、生き生きしてるみたい」

「そうかい?」

と駅員が首をかしげた。

「評価が出なくて、また厳しい現実世界で試されるんだよ? テストの追試みたいなものじゃないか。私は勘弁願いたいね」

 僕はあらためて2番線の人たちを眺めた。

 駅員の言う、追試を控えたようなうんざりした様子はない。それどころか、表情が期待とやる気で輝いているように見える。

 人生のやり直し――駅員はまるでそれがペナルティであるかのように言うが、現実世界に生きる人たちにとってはまったく違うのではないか。死んでから、生き返ることができるのだ。もう一度、そして今度は悔いが残らないように自分の人生をやり直すことができるのだ。それこそ、ほとんどすべての人たちが切望するも、叶えられない夢のようなことではないだろうか。

 二番線に並ぶ、おじいさんの声が聞こえた。

「今度は、若いうちからちゃんと勉強するぞ。好きな勉強を思う存分やるんだ」

 おじいさんの前にいる中年の女性が言った。

「私、次の人生では親孝行したいわ。両親とも亡くなったとき、生きているうちに何もしてあげられなかったことをすごく悔やんだもの」

「俺はもっと旅行するぞ」

「じゃあ、わたしは結婚のやり直し!」

 耳を向けてみれば、2番線の乗客たちはみんな、人生のやり直し話で盛り上がっている。

 それを聞いているうちに、僕の心に焦りに似た感情が生じた。

 ――僕だって、やりたいことがたくさんあった。やり残したことが、まだたくさんある。もしもう一度現世で人生を体験できるなら、すぐにでも取りかかるのに。

僕は唇を噛んで、俯いた。

「もうそろそろ、改札が始まるからね」

 と駅員が言った。

――本当に、これでいいのだろうか。

 漠然とした不安が僕をとらえた。僕は、1番線の他の乗客の様子を横目でうかがった。

 僕と同じような子どもたちは、安堵感と充足感に満たされているようだった。僕がここに到着したときのように、何度も切符を確認してはほっと息をつく人もいた。

 しかし彼らは一様に、どこか気の抜けたような顔つきをしていた。2番線の人たちのような、興奮や覇気はいっさい感じられない。

 安心感と、期待感。よくよく比べれば、あまりに対照的な乗客の姿。

――そうか。

 僕は気がついた。

 天国に行く1番線と、現世に戻る2番線。その違いは、1番線が “終わり ”に向かうのに対し、2番線は “始まり ”に向かうということだ。

 天国に行った先には、何があるのだろう。僕の切符は「永久乗車券」だ。永遠の天国暮らしが待ち受けている。ということは、二度とそこから戻って来られないのではないか。

「・・・ねえ、駅員さん」

 僕は駅員の袖を引っ張っていた。

「僕の切符、この「永久乗車券」って、効力を失うことはないの?

絶対に、ずっとサン・マウンテン・パークで暮らさなきゃならないの?」

「そりゃあ、そうだよ」

 駅員は、変なことを聞く子だ、という顔をして僕を見た。 “暮らさなきゃならない ”という言い方に引っかかったようだ。

「うらやましいことじゃないか。もう辛いことも悩むことも何もない。ずっと永遠に、気楽で優雅な暮らしができるんだよ」

 それは、けっこう困るかも。

 だって僕はまだ子どもだ。完全に終わってしまうには早過ぎるのではないか。安楽と引き換えに、可能性を失いたくはない。それは僕にとって、永遠の理想郷である天国暮らしよりずっと貴重なものに思えた。

 すぐに、僕の心は決まった。

 僕は永久乗車券を差し出した。

「これ、2番線の切符と換えてもらえませんか?」

 とたんに、駅員が目を丸くした。そして怒ったような顔つきになった。

「冗談だろ? そんなもったいないことを言っちゃいけないよ、ぼうや」

「冗談ではありません」

 僕は駅員に詰め寄った。

「僕はもう一度僕の人生を始めたいんです。天国に行ったきりなんて嫌です。まだ、こっちで何ひとつやり終えてない。今天国なんかに行ったら、きっと後悔します。それに・・・」

 僕はうなだれて言った。

「それに、まだ誰にもさよならを言っていない」

 僕がどうして『おわりの駅』に来ることになったのかは思い出せない。たぶん突然のことだったのだろう。

 しかし、僕はまだ自分が死んだのだという実感を持てないでいる。普通に生きていて、学校に行って勉強したり、友だちと遊んだり、両親とごはんを食べたりといった日常の中にいるような気がしている。そんな宙ぶらりんな気持ちで死後の天国に連れて行かれたらたまらない。この世界を、僕はまだ受け入れることができない。

「交換、できませんか?」

「ちょっと君、本当に・・・」

「どうなんですか?」

 駅員は気圧されたように身を引いた。

「それは、できないことはないが・・・永久乗車券は最高ランクの切符だからね。他の下位の切符に換えるのに問題はないが・・・逆はダメだがね。しかし、ぜひ考え直したほうが」

「じゃあ、換えてください。2番線と」

 僕があまりに真剣に頼むからだろう、駅員もようやく真剣な表情になった。

「お願いします」

 僕は切符を突き出した。

 駅員はしばらく僕をじっと見つめていた。やがて、ため息を漏らした。

「わかったよ。ここで待っておいで」

 駅員が僕の手から切符を取り、切符売り場に向かった。



 『はじまりの駅』に到着すると、僕はすぐに電車を降り、改札口に駆け出した。遠い旅からようやく故郷に帰ってきたような、うずうずした気持ちで胸が膨らんだ。

 そのままゲートを走り抜けた。

 突然、真っ白な光に包まれ、目が眩んだ。

 一瞬、ふわっとからだが浮いたようになり、そのあとはジェットコースターのように勢いよく落下していく感じになった。

 やがてそんな感覚も薄れ、意識が遠のいていった――



 意識が戻ると、目の前に両親の顔が迫っていた。目が僕の顔をとらえ、凝視していた。

 僕は思わず「わっ」と小さく叫んでしまった。

 両親は両親で、目を丸くしたまま固まってしまっていた。

「二人ともどうしたの? 大丈夫?」

 と僕が聞くと、いきなりお母さんが泣き出した。お父さんは両手で僕の肩をつかみ、何か言いたそうに口をぱくぱくさせていた。

 さっぱり状況がつかめなかったが、なぜか自然にそれが口に出た。


「ただいま」


(了)

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