図書の国

碧音あおい

なずなと魔女と、そして出会った彼女たち

 ──図書の国。

 この国ではあらゆる書籍の分類ごとに土地が分けられている。まるで大きな図書館を丸ごと国に置き換えたかのように。例えば物語。例えば地図。例えば古文書──他の国や海に挟まれつつも広大であるこの大地は、国会によって多種多様に本の種類が決められ、細分化され、それぞれに応じた広さの地区が当てがわれている。

 そしては、その中の『書簡地区』で『紙売り』をしていた。

「いらっしゃいませ! いつもありがとうございます! 今日は想いを伝える薄紅紙や、お気軽に使える一筆箋いっぴつせんがお買い得です!」

 朝と昼との間ごろ、店の前で笑顔で道行く人に声をかけるなずなのその肩には、小人のように小さい少女が座っていた。つばが広く先の折れ曲がった三角帽子に、全身を覆い隠すような長袖ロングスカートのワンピース、顔には大きな丸い眼鏡。少女は大きな声を出しているふうでもないのに、凛とした声はよく通っていた。 

「はぁい、本日おすすめの書簡は、『薬学者デルタから医学者ベータへと送られた暗号文書』。さあ、謎に包まれたこの暗号を解いてみせる勇気のある人間はいないかしら?」

 この地区は名前通りにあらゆる国の、あらゆる生物による書簡──手紙などを保管、管理しており、そしてそれを不特定多数が一定条件のもとに閲覧できる、またはその複製品が購入できる地区だった。

 その地区を歩く人の一部が、なずなの、あるいはその肩にいる『魔女』の声に歩みを止める。さらにその一部がひやかし、また別の一部が様々に取り揃えている書簡用の紙を求め、珍しい書簡の複製品を求め、代価として通貨を支払っていく。

「ありがとうございます!」

「どうもね」

 なずなと魔女は、いつも通りの盛況な時間を過ごしてお昼までの仕事を終えた。



 ──商業地区にある小さな喫茶店。

 人間用のテーブルの上にあつらえられた専用の小さなテーブルセットで、

「……ああ、疲れた……」

 と、魔女が椅子に背をあずけて独りごちた。両サイドにふんわりと分けている桃色の三つ編みが魔女の言葉を誇示しているかのようにばさばさと揺れている。なずなは配膳された瑞々しいサラダや赤いソースのパスタを魔女サイズのお皿へと取り分けてから、小さく頭を下げた。

「はい、今日もお疲れさまでした」

「というかね。なんで私まで売り子なんてしなきゃいけないわけ? 私の担当は『再製紙および書簡複製』でしょう? いつの間にか配置換えの通知でも上から来たの?」

「いいえ。そんな通達なんて来ていませんよ? だってお仕事の役割分担は、オゼットさんとわたしの2人で決めたことじゃないですか」

 小さな魔女──の皮肉に対して、なずなはにこにこと微笑みながら、彼女の小さなグラスに果実を絞ったジュースを注ぐ。それから自分のグラスにも。オゼットは半眼になって、なずなのあざやかな紫瞳ひとみを見やる。

「……貴女も随分とたくましくなったこと」

 はあ、と息をついてオゼットは小さなグラスに指先で触れた。すると中身のジュースは一気に凝縮され、ぷるんと弾力のあるグミのようになった。オゼットは出来上がったそれを口に放り込む。疲労のせいか、ぐにぐにとした食感はイマイチだ。それを見ていたなずなが思い出したように声をかける。

「あのぅ、オゼットさん」

「なに?」

「オゼットさんは『魔女』ですよね?」

「そうね。貴女の見ての通りにね」

「オゼットさんには使えない魔法ってあるんでしょうか?」

 それはなずながぼんやりと抱いていた素朴な疑問だった。再び空になったグラスにジュースを注いでいると、

「あるわよ」

 と、淡々とした声が返ってきた。あるんですね……となずなが自分のぶんのサラダに手をつけつつ意外に思っていると、オゼットはパスタを食べながら言葉を続けた。

「『私が使えない魔法全て』が私の使えない魔法になるわ」

「……?」

 まるで本に出てくる謎掛けドリルのような言い回しに、思わずきょとんとなった。もぐもぐ。ごくん。なずなが口の中を空にしてからあらためて問いかける。

「じゃあ、オゼットさんの使える魔法は……?」

「決まっているでしょう。『私が使える魔法全て』よ」

「すごく範囲が広いんですね……」

 あまりにも漠然としていて、そうとしか答えられなかった。『全て』の懐が深すぎます、と思った。

「それよりも」

「はい?」

「貴女、午後はどうするの? さっきの言葉からして、今日はもう販売をしないみたいだけれど」

「ああ、はい。今日の午後は『紙売り』をお休みして、いろいろと買いつけに行こうかと。オゼットさんに紙や手紙を創ってもらうにしても、良い素材がなかったらもったいないですから」

「そう」

 ちぎった紙ナプキンで口元を拭って、オゼットが言う。

「じゃあ私は付き合わないから」

「ええっ!?」

「そこでどうして驚くのよ? 言ったでしょう、私は疲れているの」

「だって、いつも一緒に買いに行ってるじゃないですか……わたし一人で行くなんて、そんな……」

 言いながらストローをくわえてうつむく。オゼットは魔法を使ってなずなの白い髪をぴんと引っ張った。ひゃっ! と甲高い声が上がる。

「どうせ問屋はいつもの所でしょう。時間的に回れるのはせいぜい二、三ヶ所。貴女の顔と名前と名刺があれば、向こうはそれを照会していつも卸してる素材の情報くらい分かるわよ。こっちの帳簿を使えば仕入れ数と実売数だって分かるのだし」

「でも、書簡の品質や需要はわたしだけじゃ見極められませんよ……」

「単純に貴女が良いと感じたものと、直近の二週間で入荷されたものを、ひと通り記録しておきなさい。あとで私が確認してあげるから。そうね、題名や記述者や宛先は当然だけれど、それがいつ頃にどこで書かれたものなのか。使われた紙やインクなどの材質はなんなのか。封蝋がされていたのならその種類も。手紙以外に併せて送られたものはあるのかどうか。ああもちろん、肝心の内容がどんなものなのかという概略もね」

「……多いです……」

「いつものことでしょう?」

 まあほとんど私がしていることだけれど。と、オゼットはしれっと笑んだ。なずなは肩を落としてうなだれた。



 ──商業地区にある、とある卸問屋。

「……あのぅ、ごめんください。いつもお世話になってます、『書簡地区Ⅱの紙売り・なずな』ですが、製紙の素材を見せてもらいに伺いました……!」

 一軒目に引き続き顔馴染みである──少なくともなずなはそう思おうとしている──二軒目の製紙問屋の扉を開けて来訪を告げた。けれど、店内になずなの声が響くだけで店主の返事はなかった。たったそれだけで、どうしてでしょうかと不安になる。

 なぜなら、一軒目に向かった書簡問屋では数多くある書簡のひとつひとつにある情報量に溺れそうになりながらも、百通ほどの書簡情報をオゼットに言われたとおり手持ちのノートに手作業で記録しきって──オゼットがいるときは魔法による自動書記なのだが──、どうにか無事に作業を終わらせたからだ。そう、どうにか。つまりなずなは一軒目にして疲れ切っていた。そのせいで頭の回転がかなり鈍くなっていた。

 そんな中で、

「ねえ」

 と、爽やかな声が耳に届いた。どこか幼さを含んだ知らない女性の声。不思議に思ってその方向へ足を進めると、均等に配置されている背の高い棚の向こう側から声の主が現れた。なずなと同じ色をした──不純物のない紙のような、真っ白い髪をした少女だった。偶然というそのめずらしさに、なずなは思わずまじまじと少女を見つめてしまう。少女の緑瞳ひとみが驚いたように丸くなっている。

「……あー、えっと。初めまして?」

「あ、はい! 初めまして! わたし、『書簡地区Ⅱの紙売り・なずな』と申します! よろしくお願いします!」

 反射的に名刺を差し出してお辞儀していた。

 ……相手が面食らっているような沈黙をしばらく感じてから、なずなは顔から火が出ていると思えるくらい恥ずかしくなった。どうしてわたしは飛び込みの営業みたいなことをしているのでしょうか?

「……なずな、さん、ね。あたしは。『絵本地区Ⅴ』で『司書』をやってるよ。ごめん、今日非番だから名札も名刺も忘れちゃったんだけどさ」

 これはもらっとくね、ありがと。と、いすずは名刺を受け取った。なずなはそこでやっと顔を上げる事ができた。知らず詰めていた息を吐くと、目の前の少女は財布に名刺をしまいながら、くすっと小さな声を立てていた。

「で、ここの店主さんなんだけど」

「あっ、はい!」

 親指で店の奥を指すいすずを見て、なずなはなんとなく背を伸ばした。なぜだろう、彼女の方が自分よりも結構背が高いからだろうか。耳にかかる程度に短く切られた白い髪が、爽やかな声とよく似合っているからだろうか。

「パートナー絡みの急用で、ちょっと店空けるってさ。だからその間だけあたしが代わりに店番……というか伝言役? をしてるんだけど」

「そう、なんですか……」

「どうする? 戻ってくるまで待つ?」

 どうしましょうか……と考えを口にする前に、なずなはすぐ横にあった棚にもたれかかるようにしゃがみ込んでいた。緊張と疲労──主に脳みその──が限界に達したからだ。瞼すら開けないほどに。

「ちょっ、君、大丈夫!? うわっ、顔色悪い!」

 いすずが駆け寄ってきて背中を撫でてくる。その動きは力強くも優しい手つきで、なずなは少し癒されてどうにか立ち上がろうと膝に力を込めた。……その場から動けないまま。

「肩貸してあげるから、先に力抜いて。それから右手はこっちについて、あたしが「せーの」って言ったら一緒に立ち上がるよ」

 いい? と耳元で声がする。すっとした爽やかな声に誘われて頷く。腕を引かれて肩に回され、それから自分の身体にも腕を回される感覚がして重心が移る。右手はこっちと動かされる。

「いくよ。……せーのっ」

 かけ声と共に力を込められ、引き上げられるように立ち上がった。棚には手をついたまま。棚が紙のぎっしり詰まった重い棚で良かったとぼんやり思う。

「すみません……ありがとう、ございます」

「気にしないで、慣れてるからさ。それより君、貧血とかじゃない? すっごい顔色白いし」

「いえ、貧血ではないので……その、ちょっと疲労が溜まっていたみたいです」

 たぶん、知恵熱とかそういう類いです。とは、恥ずかしくて言えなかった。




 ──居住地区にある個人書店。

 オゼットは魔法で宙に座ったまま、いくつかの本を見繕っていた。装丁、手触り、箔押しされたタイトル、遊び紙、栞紐など、内容の前に自分の好みに沿うような外観の本を選んでいた。

 理由としては、魔女は知らない知識がほとんど存在しないからだ。経験はまた別の話になるが、魔女というのはそういう存在だった。だから知識の会得よりも、娯楽や退屈しのぎの面で本を選んでいた。──ただ、今回はめずらしく、本の内容は一律だった。主に毒物に関した内容で、個人あるいは数人によって自主制作された本だった。

「……あの子を甘やかしすぎかしらね」

 ぱたんと本を閉じてオゼットは独りごちる。隣で浮かぶ本の上に三冊目を重ねた。よくこんな条件の本が、しかも質も良いものが、この店だけで三冊も見つかったものだと内心で驚きながら。やはり知識だけでは解らないものだと気持ちのどこかで納得する。

 オゼットは選んだ本をカウンターに持っていくと店主に代価を支払った。それから魔法でなずなと自分の住む家へと本を転送する。物体の任意転送は、魔法を使う自身の位置と、固定された送り先の位置と、その間にある障害物全てを記憶していれば可能な容易たやすい魔法だ。

「ありがとうございましたー」

 店主の声を背中に店をあとにして、入り口まで辿り着いたとき、

「……あらら?」

 という柔らかな疑問形の声と同時に、その声の主であろう黒い髪の毛に、オゼットは絡め取られた。

「な……っ!」

 一瞬思考が混乱する。オゼットを弾くように絡んできた髪の毛がぐらんぐらんと揺れている──この髪の毛の人物が周囲をきょろきょろと見回しているせいだと、オゼットはそう認識した。そして目を閉じて自身を中心とした短距離の転移魔法を即座に使用する。

 次に目を開けたときは、黒いポニーテールをした誰かの、白い杖をついている手の甲の上にいた。移動軸を間違えたか……思いながらオゼットは宙に飛ぶと、ポニーテールの持ち主の顔の前まで浮かび上がる。

「手を踏んでしまって悪いわね、怪我はない?」

 顔の前で手をひらひらと動かす。ポニーテールの女性は一旦動きを止めると、焦点の合わない黒い瞳をしばし彷徨さまよわせてから、ゆるりとオゼットへ手を伸ばしてきた。その動きに害意を感じなかったオゼットは、自身に届きかけていた指先に自分の手を添える。

「ああ、よかった。こんな所にいたのね、小さな妖精さん。それとも精霊さんかしら?」

「魔女よ。パートナーのね」

「まあ、魔女なのね! パートナーなら私と同じだわ、私は魔法は使えないけど」

 くすくすくすと彼女が嬉しそうに笑う。初めまして、よろしくね。と、彼女は指先を握手代わりに軽く揺らした。彼女に合わせて握手を返したオゼットが尋ねる。

「なぜ、私が妖精だと? 普通、妖精の類いは人間には視えないのだけれど、貴女は違うのかしら」

「あら。見えなくてもほんの少しくらいなら聴こえるし、さわればあたたかさだってあるわ。あなたの手みたいにね。それに、物語にいるのに実際には居ないなんておかしいわ」

 ……そうかもね、とオゼットは曖昧に頷いた。どこか距離感が掴みづらい女性だと思いながら、手早く話を切り上げようと口を開きかけたところで、

「ねえ、魔女の貴女なら知ってるかしら? 私、特別な絵本を作りたくて、参考になるような本を探していたの」

 彼女はオゼットに焦点を合わせないままゆるく首を傾げた。

「絵本?」

 その唐突さに、オゼットは訝しんで言葉を繰り返す。彼女は今度はしっかりと頷いた。

「ええ、そうなの。さわれたり、聴こえたり、香りのするような絵本。……そうだ、食べられる材質ならお菓子の家みたいでおもしろいと思わない?」




 ──数日後。

 ──書簡地区にある、紙売りなずなの小さな店。

 なずなは、契約して借りている店舗の前に、簡単な出店でみせを出す形で開店準備をしていた。その隣で魔女が宙を飛んでいる。が、オゼットは今日は売り子はしない。この前売り子をしていたのは、一度くらい一緒にお仕事をしてみたいです、となずながオゼットに言ったからだ。

 製紙問屋で仕入れた材料でオゼットが改めて創っ再製した、その用途別に多少の効果がある魔法が掛けられた、特別な製紙類。書簡問屋から直接仕入れ、オゼットが魔法を加えた様々な種類の手紙類。それらと比べると少ない数の、ペンやインクや蝋や印璽いんじ。それをオゼットの意見も取り入れつつ、重ねたり積んだり立てたり見栄えがするよう目立つところに置いたりして、準備を整えていると、

「やあ、お邪魔するよ」

 と、覚えのある爽やかな声が聞こえた。なずなが顔を向けると、そこに立っていたのはいすずだった。その隣には、杖をついた黒いポニーテールの女性。

 女性がなずなに向かって黙礼するのと同時に、オゼットがなずなの肩にふわりと降りた。なずなはおずおずと女性に黙礼を返してから、いすずに向かって頭を下げる。

「この前はお恥ずかしいところをお見せしまして失礼しました……!」

 出会い頭に謝罪するなんて、貴女一体なにしたのよ。という耳元の小さな声は聞かなかったことにする。思い出すだけでも恥ずかしいやら情けないやらで、オゼットには言っていなかったのだ。いすずは困ったように苦笑いを浮かべた。

「全然気にしてないから、君も気にしないでってば。それより、あれから体調は大丈夫?」

「はい、おかげさまで健康そのものです」

 なずなが顔を上げて返事をするといすずは笑顔になった。

「それなら良かった。なら、むしろあたしの方が得したくらいかな」

 ね? と、いすずが隣の女性を見て肩をぽんと叩く。女性も同意するように首肯した。そうして女性の方が口を開く。

「ええ。本当、素敵な巡り合わせだわ。しかもいすずが貰ったあの名刺、お店近辺の詳細な立体地図が見られる魔法がかかってるんでしょ? 話を聞いてびっくりしちゃった。さわれたらもっと嬉しかったんだけど」

 女性の黒い瞳がちらりとオゼットを見ると、それは一考に値するわね、とオゼットが女性に向かって言葉を返す。自分と同じで初対面のはずの、けれどどこか気安い雰囲気な女性とのやり取りに、なずなは不思議に思う。それに気づいたのか、いすずが表情をあらためた。静かに女性の手を取っている。

「あ、ごめん。ちゃんとした挨拶がまだだったね。あたしはいすず、こっちは。あたしのパートナーだよ」

 ──パートナーとは、この図書の国の生まれでない外の人間がこの国に辿り着き、図書の国への永住を希望した際に一時的に適応される制度のひとつである。

 外の人間が最初の書類審査を通過し、前段階である一週間の仮入国を経験した後に国への永住を申請すると、申請が認可されてから一年前後の間、国内から任意に──もしかすれば作為的に──選出された人間と生活を共にする事になる。それがパートナーと呼ばれる存在だ。

 もちろん、四六時中常に一緒に居なければいけないほどではないが、ほとんどの場合は同じ時間を共有する。それが国から選ばれたパートナーの役目だからだ。外から来た人間が、本当にこの国に相応しいかどうかを見定めるための存在──この国の外にいた頃にそう聞いた事があるが、実際のところは不明であるし、詳しいことまではよく知らない。そもそもなずなのパートナーは人間ではなく、魔女だ。

「──なずなさんの魔女さんは、ヨーコのこと知ってるよね?」

 続けられたいすずの言葉に、なずなの心当たりはない。けれどオゼットにはあるのだろう。そうね。どこかあっさりと返答していた。なずながいすずとの出会いを話していなかったように、オゼットもまた、ヨーコとの出会いを話していなかっただけなのだろう。……でもそれが、寂しいと、心細いと、なずなは思う。

「……ちょっと、どうかしたの?」

 オゼットの怪訝そうな顔に気づいて、なずながはっとなる。慌てて取り繕うようにいすずに向き直った。

「えと、ご来店ありがとうございます! ……本日は、オゼットさんにご用事ですか?」

 なずなの白い髪をオゼットが半眼で引っ張っていて痛い。けれど我慢した。いすずはそれには特に触れずに首を振った。

「どっちかって言うと『紙売り』なずなさんの方かな。や、オゼットさんの魔法もないと無理だとは思うんだけどね」

「創って売ってもらいたい紙があるの。それが可能かどうか、数や質はどんなふうになるのか、実際に創れた場合の予算とか……なずなさん、少しお話させてもらえないかしら?」

 微笑んだまま首を傾げるヨーコの隣で、よろしくお願いします、と、いすずが名刺を差し出してきた。



 ──紙売りなずなの店内。

 店外には一時休業中の看板を出して、店内へといすずとヨーコを招く。『司書』の仕事は大丈夫なのですかと尋ねると、今日は半休にしてもらったんだと、いすずがヨーコの後ろで言った。商談用のスペースでは、いすずが椅子を引いてヨーコがそこに座る。白い杖は手にしたままで。

 なずなは来客用のアイスティーと茶菓子を手早く用意して二人に提供する。オゼットはなずな用にペンやインクやノート、計算機や資料などを用意してくれていた。なずなが二人の向かいに座った。

「……それで、創ってほしい紙とは、どのようなものでしょう?」

「あのね、私、目が見えないの」

「……はい」

 なずなはヨーコへと控えめに頷いた。見ているようでいてどこか焦点の合っていない眼差し。いすずが時折しているヨーコの動作を補うような行動。一番はやはり白い杖だろうか。それらを鑑みて、なずなはヨーコの目が不自由なのを察してはいた。おそらくはオゼットも。さすがに、こんなに単刀直入に切り出されるとは思ってはいなかったが。

「だから、私みたいな人でも楽しく読めるような絵本を作りたくって。あっ絵本なのは私たちが絵本地区で働いてるからなのもあるんだけど、やっぱり子供ってすごく可愛いじゃない? だからそんな子たちにも読んでほしくて」

「それは素敵ですね。……だとしますと、点字用の紙を色々とご用意するだけでは……えと、ヨーコさん、のご期待には添えませんよね」

「そうね。それだけじゃぜんぜん足りないの。例えば絵の実線部分が膨らんでいて物の形が解る紙だったり、色によって質感の変わるインクだったり。例えば花がテーマの絵本なら、本物の花の香りがしたり葉っぱの手触りのする紙で創ったり。例えば音楽がテーマの絵本なら、ワンシーンごとにストーリーに合ったメロディが流れ出したり。これはできるか解らないけど、食べ物がテーマの絵本なら、一ページだけ食べられる材質で創って、そこでは絵本に出てくる食べ物を味わえるようになってたり、とかね」

 一気に言い切ったヨーコは、ふーっと息をつきアイスティーをこくこくと飲み始める。そのあとを次ぐようにいすずが話し始めた。

「だからオゼットの魔法が、一体なにからどこまで創れるのかを知りたくってね。仮に複数生産するとなると、予算の都合もあるしさ」

「量産まで検討されてらっしゃるんですね」

 なずながヨーコの案をノートに記録しながら相槌をうつ。

「量産なんて、そんなに大げさなものじゃないよ。あたしが『司書』を務めてる児童館で借りられるようにできたらな、って程度。一種類を五冊くらいか、数種類を一冊だけにするかはまだ考え中なんだけど」

「さすがに児童館の管理側上司に企画として提出しても、予算が降りるとは思えなかったから、私たちで自費出版しようと思ったの。でも内容までは作れそうにないから、そこは著作権フリーのものを使わせてもらうとして、」

「自費出版ですか……! 居住地区に自費出版専門の書店がたくさんありますよね! それは素敵です! とっても良いと思います!」

「今すぐ椅子に座り直して落ち着きなさい。仕事中よ」

 ヨーコの言葉に立ち上がり、緑の目を輝かせて胸の前で手を組むなずなの髪を、オゼットは強めに引っ張った。なずなは全く頓着せずにオゼットに尋ねる。

「ねぇねぇオゼットさん、できますか!?」

 もちろんできますよね! という言外の言葉が聞こえた気がして、オゼットは帽子のつばに触れながら顔をしかめた。二人の様子を見ていた、あるいは聞いていた、いすずとヨーコが少し不安げにお互いの手に触れ合う。

「……可能か不可能か、だけを言うならば、可能よ。書籍としての規格とページ数と趣旨テーマに合わせた、素材の種類と数、それから相応の時間と魔力が必要だけれど」

 腕を組むオゼットの言葉を聞いた二人が安心したように息をつき、顔を見合わせて微笑み合う。なずなは小さく声を上げてますます目を輝かせた。

「ありがとうございますオゼットさん!」

「だから座って落ち着きなさいと言っているでしょう。まだ話はまとまっていないのだから」

「大丈夫です、すぐにまとめますから! ──ということで、ヨーコさん、まずは概算でいいので予算をお願いできますか? 次にオゼットさんが創る紙の方向性を決めたいので、絵本の題材テーマを。それから必要な紙の種類を割り出して選別しましょう!」

 なずなが椅子に座り直して資料集を手にし、ヨーコにぐっと身を乗り出した。



 ──一週間後。

 ──絵本地区にある、とある児童館の前。

「ここ……ですよね?」

「ええそうね。貴女が住所を読み間違えていなければね」

「だ、大丈夫です!」

 名刺を片手に歩いてきたなずなの肩に、オゼットは座っていた。今日は日差しが強いので帽子を目深に被っている。

 なずなは手荷物を持って、大きく扉が開かれた児童館の前に立っている。そこから見えるのは子供たちが元気に走り回る姿。聞こえるのは子供たちの明るい笑い声。

 なずなは扉の陰から館内を覗き込む。

「では、いきましょう……!」

「ねえ、子供相手にまで妙な人見知り発揮しないでくれる?」

「今日はオゼットさんが一緒だから大丈夫なんです!」

「「「わーーーーっ!!!」」」

「ひゃあああっ!?」

 背中を押されながらの大きな声に、なずながひっくり返った声を出す。がばっと振り向けばそこには三人の少女たち。楽しそうだったり、不思議そうだったり、こちらを伺っていたりと、様々な反応をしている。

「あっははは! なに今のめちゃくちゃ声高い!」

「でもこのひと、いすずねーちゃんじゃないよ? 髪白いのに」

「てかいすずちゃんこんなに髪の毛長くないよねー。ねーおねーさんいすずちゃんの妹ー?」

「いえ、あのっ、わたしは、」

「──いすずとヨーコの友人よ。ねえ貴女たち、二人がどこにいるか知っているのなら、案内してもらえないかしら」

 十二分に人見知りを発揮しているなずなを遮って、オゼットが簡潔に要件を述べた。三人の少女たちは声を揃えて頷き合う。

「「「いいよー!」」」

 三人は走る勢いで館内へと向かっていく。なずながそれを追いかける。三人はオゼットを見ながらきゃっきゃと楽しそうに話しながら、また、なずなたちにも話かけてくる。

「赤い服のおねーさんなんでちっちゃいのー?」

「ヨーコねーちゃんが言ってたすごい魔女のひとなんじゃない?」

「絵本から出てきたみたいって言ってたよね、じゃあ本物なんだ!」

 彼女たちのそんな好奇心をオゼットは微笑みひとつでさらりとあしらう。なずなは何も言わないようにしているのか、口を押さえていた。

 やがて案内されたのは、二階の図書室だった。一人の少女が扉を開ける。別の少女が声をあげる。また別の少女がなずなの手を引いて入っていく。

「こんにちはー!」

「いすずちゃーん、お客さんだよー!」

「こーら! 図書室では静かにしなさい!」

「「はーい」」

「いすずねーちゃんも声おっきいよ?」

「あたしも静かにするから、あんたたちもするの。わかった?」

「「「はーい」」」

「よし。よくできました」

 いすずは笑って三人の頭を撫でていった。それから少女たちは、なずなたちに手を振ったりなずなの手や髪に触れたりしながら、ばいばーいと図書室を後にしていく。なずなはそれを見送ってから、『司書』のだろう制服姿のいすずへと頭を下げた。

「お疲れさまです、いすずさん。お仕事中に失礼します」

「お疲れさま、なずなさん。オゼットさんも。わざわざこっちまで足を運んでもらっちゃって、ごめんね」

「平気よ、このも来たがっていたから」

 仕事中だからだろう、綺麗なお辞儀を返すいすずに、オゼットは片手を上げて応じた。なずなは手に持っていた包みを掲げて微笑する。

「音楽用の再製紙が出来ましたので、見本をいくつかお持ちしました。予算のご都合上、フルコーラスではなくワンコーラスになっていますが、ちゃんと歌声が流れるパートページもありますよ」

「ありがと。視聴するのが楽しみだな。あ、もちろんヨーコも楽しみにしてたよ」

 図書室という場所のため、いすずは声量を抑えて話しているが、その顔はとても嬉しそうだ。

「そういえば、今日はヨーコさんは?」

「あっちでみんなに読み聞かせしてる。最初に出来た、食べられる方のね」

 いすずは指差しながら奥に進む。なずなはその後に続きながら話も続ける。

可食部分パーツの残量はいかがですか? 一応、補給できるように供給素カートリッジもお持ちしてありますが」

「本当? 残り少ないから助かったよ。予想はしてたつもりだけどさ、すごい人気で。お菓子の家ってやっぱり食べてみたくなるよね」

「はい。わたしも、小さな頃は憧れました。ガラスの靴とか」

「わかる」

 くすくすと小さな声でなずなといすずが笑い合う。だんだんと近づいてきた扉の向こうから届いてくるのは、誰かに聞かせるように響く、柔らかなヨーコの声だ。

「あとさ、うちの児童館に来た子限定なんだけど、最近は魔女に憧れる子も増えてるんだ」

「本当ですか? わあ、すごいですねオゼットさん!」

「……わかったから、静かになさい」

 いたずらっぽく片目を閉じて笑むいすずに、声を弾ませるなずな。まったく誰のせいなのかしらね、と思いながら、オゼットは眼鏡を直した。まあ、別段悪い気はしないが。

 三人が『朗読室』と書かれた部屋の前に着いた瞬間、扉の向こうがしんと静かになった。それから、わあっという子供の歓声と大きな拍手。きっと、ヨーコの朗読が終わったのだろう。

「……丁度読み終わったところみたいだけど、良かったら聞いていってよ。また読んでもらうから」

「はい、ありがとうございます」

 なずなが満面の笑顔になる。

「そうね、せっかく来たのだし」

 オゼットもつられるように微笑した。

 いすずは二人を見てから朗読室の扉を開ける。中には十人ほどの子供たちとヨーコがいた。微笑むヨーコの腕の中には、大切そうに、特別な絵本が抱えられている。

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