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 それは間違いなく、幼馴染の三上翼みかみつばさだった。

「翼!」

 反射的に名前を呼んでいた。聞こえない距離ではないはずなのに、翼は振り返らず、歩く速度を緩めない。

「おい! 翼って! ……!?」

 翼の顔が見えた時、俺は気付く。翼の目はまるで思い詰めてるように据わっている。明らかに普通じゃない。

「なあ! 翼! 聞こえないのか? 翼!」

 俺は何度も叫ぶが、翼は何も聞こえないかのように歩き続けた。そのまま翼の住むマンションの前まで来てしまい、翼はエントランスに消えた。

 なんだあいつ……どうしちまったんだ?

 俺の脳裏に寿の言葉が蘇る。「一般人が強い負の感情を持つことによって、無意識に他人を呪うケースもあります」


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 釈然としない気持ちを抱えつつ、俺は家に帰った。玄関で靴を脱ぎながら、あることに気づいた。知らない靴が一足置いてある。学生靴だが、麻織のものじゃない。

 まさか……? 俺は急いでリビングへ向かった。

「おや。おかえりなさい、大嶺くん。お邪魔しています」

 寿潤が、当然のようにテーブルについていた。

「ちょっ……お前、なんで……」

「近くで仕事があったので、ついでにお邪魔したのですよ」

「じゃなくて! なんで俺の住所知ってんだよ!」

「ふふ……」

 怖すぎるんだけど。

「あら? 新の彼女ちゃんじゃなかったの?」キッチンに立つ母親が言った。

「ちげーよ!」

「……大嶺くん。あの……」

「ただいまー」寿が口を開いた時、ちょうど玄関で声がした。麻織が帰ってきた。

「ねー聞いてよ。今日部活でさ……えっ!? 誰?」リビングに入ってきた麻織は寿を見て驚いた。

「この人ね、新の彼女」母が息吐くように嘘をつく。

「はっ!?」麻織もすぐ真に受ける。

「ちょっ、あのな、この人は……」 

 俺の言葉は耳に入らないらしく、麻織はテリトリーを侵害された野良猫のような目で寿をにらんだ。主に胸を。そして自分の発育途上なそれと見比べて言った。

「やっぱお兄ちゃんもあーいうのがいいんだ……」

「何が!?」

「もういい! 死ね!」麻織は走って二階へ行ってしまった。あー……スネるなこりゃ……

「あの……大嶺くん?」

「ああ、すまん。変なもの見せて。なんで俺の家に来たのかは知らないけど俺もちょうど聞きたいことがあったんだ。お前が言ってた『生霊』についてな。でも、悪いけどちょっと待ってくれるか? まずはあいつの誤解を解かなきゃ」

「……はあ、わかりました」

 二階へ上がり、麻織の部屋のドアを叩く。

 返事がない。

「麻織? 入るぞ」ドアを開けた。


 ###


 そこには、麻織はいなかった。どころか、部屋の中はだった。

 布団と枕のカバーは引き千切られ、羽毛が散乱していた。本棚は倒されていた。机は傷だらけで、その上の教科書や参考書は破り捨てられている。

 全身からさっと血の気が引くのがわかった。

「麻織!」

 名前を叫んだ。だが返事がない。クローゼットを開くと、麻織の制服、全ての私服がズタズタに引き裂かれていた。

「麻織! どこだ!?」

 もう一度名前を呼ぶ。返事はない。

 心拍数が上がっていくのがわかった。部屋を出て廊下を急いで引き返し、階段を駆け下りる。

「寿! 何が起きてる!? 麻織が……妹が消えた! なあ! ことぶ……」

 俺は絶句する。一階はさっきとはまるで別の場所だった。

 ソファは引き裂かれ、中のスポンジが飛び出している。テレビは画面に亀裂が走っている。パキラの植木鉢はひっくり返り、土が撒き散らされている。電球は床で粉々になっている。

 キッチンには母の姿がない。腐った果物や野菜、割れた食器で埋めつくされている。

 混沌カオス。まさに混沌だった。唯一さっきと同じなのは、テーブルに座る寿ただ一人だった。

「なんだよ……これ……おい寿! 何が起きてんだよ! 母さんは!? 麻織は!?」

「一体どうしたって言うんですか? ?」

 寿はそう言った。

「何を……」

「落ち着いてください、大嶺くん。一つ質問があります」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……」

「大嶺くんは、?」

「は……?」

 寿が何を言っているのか、まったく分からない。息が荒くなっていく。俺は思わず手で顔を押さえた。

 ––––臭い。

 異臭が部屋の中に充満していた。肉が腐るような匂い。そして……血の匂い。


 どうして?


 声が聞こえた。朝に聞こえたあの声だ。徐々に大きくなっていく。


 どうして?

 どうして?

 どうして?


 俺は声が聞こえる方へ、臭いが漂ってくる方へと導かれるように歩き出した。洗面所のさらに奥、バスルームへと。

 バスルームは、真っ赤だった。

 まるでペンキをぶちまけたかのように、壁が、床が、天井が、赤で染まっていた。ただ、ぶちまけられたそれは、ペンキではなく血液だった。だからどす黒い赤で、すでに乾き始めていた。

 誰の血だ? この血液は誰のものだ?

 バスタブを見る。蓋で覆われていて浴槽の中が見えない。だが、バスタブの中からも血がしたたっている。俺は震える手で蓋をどけた。

 そこには、三人の人間が詰められていた。

 うちのバスタブは広いけど、さすがに三人は入らない。だから詰めやすいようにするためか、三人はそれぞれ

 腕と、脚と、胴と、頭に。

 まるで組み立てる前のプラモデルのように。

 吐き気がこみ上げる。あの声が、耳元で聞こえた。


 どうして殺した?


 それは。

 バスタブに詰められた、彼らの声だった。

 

「思い出されましたか?」

 いつのまにか、寿が後ろに立っている。

「なんだよ……これ……」

「大嶺くんの方がよく知っているはずです」

 嘘だ。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 俺はどこにでもいる普通の高校生で、平凡だけど幸福な家庭で、父親はざっくばらんだけどいつも見守ってくれて、母親は毎日弁当を作ってくれて、麻織はいつまでたっても俺に甘えたままで……。

 そうだ、だから、


 父が言う、こっちを見ようともせずに。

「高校を卒業したら家を出てくれ、それがお前のできる唯一の親孝行だ」

 母が言う。心底めんどくさそうに。

「は? なんで私があんたの夕飯を作んなきゃいけないの?」

 麻織が言う。まるで虫の大群を見るような目で。

「あのさあ、なんで生きてんの? あんたが肉親ってだけで一生の恥なんだけど」


「だから殺したんですか?」

「だってだってだってだってあああああ愛してくれなかったから、だから、だからだからだからバラして、組み立て直せばって。わ悪くない、悪くない、俺は悪くない! 俺は俺は俺はあああああ!!」

「大嶺くんが悪いのかどうか、残念ながらもう裁くことはできません」

 寿が、そう言った。

「言いましたよね。霊が突然見えるようになるきっかけは、他者に呪われるか、霊能に目覚めるか……実はもう一つあるんです。

 俺は走り出していた。リビングを抜け、階段を上り、俺の部屋の前に立つ。

 ドアを開ける。そこには。

 


 ###


 依頼人、三上翼みかみつばさは大嶺新について次のように語った。

「新くんとは子供の頃から友達だったんです。家に行ったことはないんですけどよく遊んでて。……私、中学の時にいじめられちゃったことがあるんです。でも、新くんはいつも励ましてくれて、そのおかげで高校では友達もできて楽しくやってるんですけど……」

「なにがあったんですか?」

 話を聞いていた霊能者、寿潤は尋ねた。

 たまたま派遣される学校が大嶺新と同じだったため、祓魔連は潤に白羽の矢を立てたのだった。

「高校に進学してから、だんだん新くんと連絡が取れなくなっていったんです。新くんは……あまり家族とうまくいってなかったみたいで、心配だったんですけど、この間、道で久しぶりに新くんを見かけたんです。でも、まるで人が変わったみたいで……目は虚ろだし、ずっとぶつぶつなにか呟いてるし、それこそ何かに取り憑かれたみたいに」

「それで私たちに依頼されたんですね?」

「はい。新くんに電話したんですけど、全然繋がらないんです。家にかけても……警察に言うわけにもいかないし……」

「なるほど。お話は分かりました。私にお任せください、彼が霊に取り憑かれているのかどうか、私の力で彼の家庭を詳しく調べてみます」

「ありがとうございます。どうか新くんを……助けてください」

 そう言って三上翼は頭を下げた。


 ###


 新と接触した潤は、すぐに違和感を覚えた。翼の語った人物像とまったく違ったからだ。しかも、霊を視認している。昼休みのあと、潤はすぐさま潤と共にこの街に派遣された同僚の霊能者、須藤すどうに、大嶺家を調査するように伝えた。

 まさか、彼がすでに死んでしまっているとは。それも、家族と心中していたとは。

 潤としてもそれは大きな衝撃だった。だが、こうなってしまった以上、霊能者として潤は新を除霊しなくてはならない。

 葬刀を携え、新を追った潤は、階段で新の絶叫を聞いた。自分の死体を見てしまったのだろう。潤が部屋に着くと、霊の新は自分の死体の下でうずくまっていた。

「大嶺くん……」

 その時、新の体が歪み出した。胴が伸び、膨らみ、腕と脚が次々に生えていく。顎が外れるほど口が開き、牙が生える。

「まずい……! もう悪霊化を……」

 潤はとっさに葬刀を構えたが、完全に巨大な百足むかでと化した新は素早く潤の手から得物を弾き落とした。

「……ッ!」

 潤が怯んだ隙に新は体をくねらせ八本に増えたその腕で潤の腕、胴、脚を掴んで拘束し、壁に抑えつけた。残りの二本の腕は潤の首をがしり、と捕えた。

 新は咆哮した。それはまるで、新たな生き物の産声のようでもあった。

 潤は必死にもがくが、八本の腕で押さえられてはさすがに身動きが取れない。

「ねえ、なんで? なんで俺の腕が、脚が、こんなに多いの? ああ、そうか。これはの腕なんだね。俺たち、やっとなれたんだね。あははは、あは、ねえ、母さん、父さん、麻織。ずっとずっとずっとここで暮らそうね。–––こいつを殺したら!」

 潤の首を掴む手に力が込められる。

「ぐ……あ……いいえ新くん、あなたは……」

 ぞぶっ、と、新の体で音がした。胸を見ると葬刀の刀身が飛び出していた。

 どうやって、いや、

 新は振り返る。コートの裾が見える。

 電話ボックスの、あの女だった。


 ###


 新は気づく、自分が潤の膝枕で眠っていることを。身体は醜く変形したままだった。だが、脚の方から徐々に崩れて消えようとしていた。

「ああ……俺、死ぬのか。いや、もう死んでたか」

「はい」

 潤は静かに答える。

「私……霊能者の中でも死霊使いネクロマンサーと言って、幽霊を操れるんです。幽霊の方は悪霊化しない限り誰でも私の命令を聞いてくれます」

「そうだったのか……」

 新は話し始める。ずっと誰かに聞いて欲しかった話を。

「あのさ、寿。俺、ずっと『どこにでもいる普通の高校生』に憧れてたんだ。結局なれなかったなあ……それどころかこんなバケモンになっちまった。……なあ寿、お前は俺を除霊するように依頼されたのか?」

「……いいえ。『大嶺くんを助けて』と」

 新は微笑んだ。誰かが自分を助けようとしてくれた。それだけで、新は少しだけ救われたような気がした。

「はは……は、ごめんな。……ごめんなさい、ごめんなさ……」

 誰への懺悔ざんげだったのか、分からないまま、新は跡形もなく、消えた。

 それを見届けた潤は、家を出た。

 あとは静寂が、大嶺家をいつまでも包んでいた。


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 何台ものパトカーが、大嶺家を取り囲むように停まっている。家の中から捜査官たちの手により、この家の住人だったものたちが次々と運び出されていく。その様子を野次馬たちが遠巻きに眺めている。

 その中には、三上翼と寿潤の姿もあった。潤から新の最期を聞いた翼はショックで震え出した。

「わ、私が、私がもっと早く依頼を出していれば……新くんは……」

「それは違います。決して三上さんのせいなどではありません。……新くんは死んでなお、三上さんのことを気にかけていましたよ」

 それを聞いた翼はその場で泣き崩れてしまった。かける言葉が見つからず、潤はその場を立ち去った。

 それを追いかけるように、野次馬の一群からひとりの男が離れた。

「よお、ジュジュ。相変わらず見事な仕事だな」

「須藤さん……そのあだ名はやめてください。それに、今日の仕事は失敗です」

「へえ、意識が高くていらっしゃる。さすがは違うねえ」

 潤がにらむと。須藤はへらへらと笑った。

テーブルの上には睡眠薬が転がっていた。あれで家族を眠らせ、惨殺したのち、精神が錯乱して家中で暴れ最後に自室で首を–––そう警察も結論づけるだろう。

「ま、とにかくご苦労だった。ゆっくり休んでくれ……と、言いたいところだがそうも言ってられねえ。次の依頼だ」

 そう言って潤に封筒を手渡した。

「そんなにこの街は多いんですか」

「ああ、異常だ。今調査中だが、難航している」

「退屈しなさそうですね……」

 潤は自嘲気味に言った。夜空を見上げ、月を探す。しかし、今日は新月だった。

 パトカーの明滅する赤い光が、二人を照らしていた。


(了)

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じゅじゅ 霧沢夜深 @yohuka1999

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