箱庭奇譚~ゲームの中のコワイハナシ~
海野しぃる
6202123
目を覚ます。ストーブの中で小さく火が燃えている。口の中はカラカラで、胃袋の中身は今にも逆流しそう。
ああ、間違えた。生まれてくるんじゃなかった。
午前五時、二日酔いの頭。昨日は作家仲間での忘年会。小説の仕事ができていないにも関わらず、二次会三次会まで乗り込んで、財布を忘れたからって先輩から金を借りて飲みまくった。破茶滅茶に酔っ払ってしまったことを覚えている。
仕事、執筆、エトセトラ、やらなきゃいけないことが多すぎる。自分のキャパシティを超えた仕事だって、自分自身が分かっていた筈なのに。できもしないことをやろうとしてしまうものだから、人生何時でも面倒続きだ。
「ん……駄目だ……二度寝しよ」
こんな時に考え事は良くない。
水を飲んで乾いた喉を潤しつつ、いつもの癖でツイッターを開く。タイムラインには好きなソシャゲの話が流れている。忙しくてイベントのストーリーをなぞるのがやっとだが、仕事の合間に仲の良い面々が楽しくゲームの話をしているのを見るのは癒やされる。
『これ、サクフワフランスパンさんのメッセージボックスに送ったのって、アルバさんですか?』
相互フォロワーの一人から
『え? いやこれは……』
内容は今俺がはまっている
こういうのを俗に怪文書と言う。
確かに俺はこのゲームの二次創作を書いてるし、それをSNSなどで発表している。だが――
『んん……これは違いますねぇ……。そもそも俺、ナグ君は推しじゃありませんから。俺、基本的にエロい女の子書くのが好きなんで』
そう、自分が興味の無いキャラに対してここまで熱の籠もった長文は書けない。
俺は改めて画像の文章を見直す。
【私は懺悔しなくてはいけません。私は教師であるにも関わらず生徒を愛してしまったのです】
そこから始まる偏執的なキャラクターへの愛情を綴った文章は、とてつもない熱量を帯びていた。メモ帳に換算して約10kb、それだけの量の文章を毎日書くという時点で、熱のこもり方が伺える。というか、そんなの物理的にできそうな人間となるとこのゲーム界隈で出来る人間は確かに限られる。俺が疑われるのも道理だ。
筆者は自らを愛するキャラクターのクラスで数学を教える教師だと語り、まるでゲームの世界の中に居るかのように、彼との生活を語っている。
最初は遠巻きに眺めているだけで満足していた。授業中に板書をする彼の姿に見惚れてしまった。私の天使だった。そう書いていた。しかしこの書き手はそれで我慢ができなくなる。彼を愛でるただそれだけの為に、愛する彼や彼と共に世界を守るゲームの主人公を騙し、世界の破滅を目論む魔王の軍勢に売り渡し、その報酬として愛するナグ君との生活を手に入れたと語る。
「うーん、原作ブレイク……」
俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
確かにこの妄想は業が深い。懺悔の一つもしたくなる。クトゥルー42の有名プレイヤーであるサクフワフランスパンさんのメッセージボックスに送れば、多くの人の目につく可能性は自然と高くなる。多くの人の前で抑えきれない妄想を爆発させつつ、自分の匿名性は守る。妄想の中身はさておき、それはきっと比較的健全な二次創作の遊び方だ。少なくとも俺は好感を覚えた。何故なら――
『それにしても、良い文書ですね』
そう、とにかく文章が良い。論理的で、淡々としているが、内容は一貫してキャラクターへの歪んだ愛に終始している。破綻した思考にも関わらず、奇妙に納得できてしまう。
『その雰囲気だとこの続きがあるのは知らない感じですか?』
『続き? こんな重たい愛情の発露がまだ続くんですか?』
『ここのところ毎日毎日そんな感じでナグ君との妄想怪文書がメッセージボックスに大量に届いてますよ』
同じようなメッセージが大量にスクリーンショットで貼られる。
いずれも廃人となったナグ君と数学教師さんの退廃的で残酷で美しい日常を描いている。これはひどい。文章が綺麗なのがなお酷い。しかもこの物量を毎日ってどういうことだ。ちょっと見えてる世界が違っている人なのかな?
『なにこれこわい』
『で、昨日、同じプレイヤーさんのメッセージボックスに届いたのがこれ』
そう言って、相互フォロワーの彼はスクリーンショットを貼り付ける。
【ナグ君しか愛せないのかよ、もう一つの人格ごと愛せない癖に語るなよ】
あ、やばい煽りだこれ。
『これ言ったらあとはもう戦争でしょ』
『はい、つい先程、こんなものが届いておりました』
それはこれまでと異なり比較的短いスクリーンショットだった。
【私は学校で学生に「人の気持ちになって考えましょう」と言います。しかし、そんなこと実際には不可能なのです。人間は己の気持ちさえ言葉にできない生き物です。なのにどうして他人の気持ちなど分かるでしょうか。貴方は私の居る世界が想像できないのか、あるいは貴方は自分の気持ちを他人のものにして語ることができるのか、それともナグ君と同じ神の子か。果たしてどれなのでしょうか。少なくとも今、私の傍にいるのはナグ君だけです。ナグ君の身体に宿るアレは追い出したのですから二人きりなのです。とはいえ、アレが私と彼の愛の日々を邪魔すべく執念深く迫っているのも事実。私たちは愛の為にもう一度逃避行を始めなくてはいけません。とはいえ、この世界には私たちの愛の障害が増えすぎました。もはや何処に行こうと私と彼は人類の敵として石もて追われる他ありません。そこで私は考えたのです。私は貴方がたの世界に向かうことにしました。貴方がたの世界でなら、誰も私たちを邪魔することはできません。ご存知でしょうか、世界は数によって存在し、なおかつ無数に存在します。貴方が
内容は不穏だ。こちらまで来るとはどういうことなのか、この6202123という数字は一体何なのか。俺にはさっぱり分からない。
『流石にイタズラにしてもやばいかなと思ったので、まさかと思って確認したのですが……完全に僕の勘違いでした。申し訳ありません』
『いや、これは面白いことになってるね……びっくりしたよ。教えてくれてありがとう』
チャットが終わり、与えられた情報を元に様々なフォロワーの会話を辿っていくと、一時間ほど前からネット対戦で6202123と番号を打ち込むと、数学教師なるアカウントが現れて、ナグ君を使って戦いを挑んでくるらしい。手の込んだ悪戯をしてくれたものだ。お陰で疑われたし、対戦でコテンパンにしてやるか。
所定の番号を打ち込み、しばらく対戦相手を待つ。何度か「この番号は使用中です」と表示されたが、最後には無事に繋がった。
「――っ」
表示された名前は『お前の正体を知っている』。流石に気味が悪い。数学教師って名前じゃなかったのか?
次に表示されたキャラクターたちで驚いた。
食いしん坊の神ダゴンを筆頭にした持久戦型のチーム。
これはサクフワフランスパンさんの得意としている戦い方……というかサクフワフランスパンさんのチームそのものだ。
俺の聞いた話と違う。ここにあの数学教師は居ないのか?
「それはそれとして――強いっ!」
流石に有名プレイヤーだけあってサクフワフランスパンさんは強い。対人戦で不人気の持久戦型チームを上手に使い、チームリーダーにしたダゴンによるHP吸収とヘイトコントロールでこちらの攻撃をいなし、それでいて確実にこちらへのダメージを重ねてくる。
「んん……こりゃ無理だな……」
大方こちらの負けが決まりかけた時、パソコンに入っているボイスチャットツールで、サクフワフランスパンさんから通話を申し込まれる。
断る理由は無いので、マイクをパソコンに接続しながら通話を開始する。
「どうも、今戦っているのってアルバさんですよね? サクフワフランスパンです。今回の事件について、少しお話したいことがありまして」
「サクフワさん? サクフワさんじゃないですか。何やってるんですか。話って、今起きている事件の犯人でも知ってるんですか」
「ですです。あ、今ゲージ溜まったんでアルバさんのキャラにトドメ刺しますね」
「うん、鬼だな?」
こうしてさっくりと対戦が終わった。
「俺、数学教師の正体に心あたりがあるんですよ」
「んんー……マジっすか。メッセージボックスに怪文書を送りつけるやべえ数学教師に心当たりが?」
「6202123って、俺の大学時代の学生番号なんすよ」
「ん゛っ……やばいっすねそれ」
「学生番号なんて古い友人くらいしか知らないし、その中でクトゥルー42をプレイしている人間というと流石に限られてきますから。多分同じ大学出身の同僚だと思います。一緒にクトゥルー42のリアイベとか行きましたから」
さて、これは本当にただの友人か?
いくら仲が良いと言っても相手の学生番号を知っていて、リアイベまで行って、職場も大学も同じって妙じゃないか。しかしここを聞いても嫌な思いをさせてしまう可能性があるし、今は黙っておくか。
「アルバさん、普段から二次創作してるから、今回の事でもちょっと疑われてたりしたみたいですし、たぶん犯人を探していたんですよね?」
まあ、そういう気持ちは大いにある。
なにせ全然気にもしてなかったし関わるつもりもなかった事件の犯人と疑われてしまったのだから。だが正直なところ、それだけではない。
「まあ多少は。あとまあ、良い文章を書く人間が好きなんです。ネタの収集がてら少し話を聞いてみたいと思ったんですよ……スランプ気味ですし」
「成る程……でしたら、俺が話をつけてこようと思うので、少し待っててくださいませんか? この辺りの事情は、ちゃんと後で説明します」
話を聞く感じ、ただの知り合いではなさそうだ。
画面を覗き込むほど近い関係で、ゲームのリアルイベントに二人で参加していて、同じ職場で、誕生日もしっかり覚えている。
ついでに言えば、ナグ君は眼鏡と二重人格が多くの淑女を狂わせると評判のキャラだ。案外、単純な友人とかではないのかもしれない。だとすれば、部外者の俺が興味本位で詮索するのも無粋だし、後でサクフワさんから話を聞いた方が後腐れが無い。
「んん、分かりました。それではあとでご連絡お願いします」
「はい。もし連絡が無かったら、俺の本名と職場を書いたファイルをメールで送るので、開封して連絡をとってください。以前に同人誌のゲスト原稿してもらった時のメアドに送っておきますから」
妙に危機管理に気合が入っている。一体彼は何を知っているんだ?
それも含めてあとで聞かせてもらうとして……今は少し眠ろう。
まだ二日酔いの残る頭は、起き抜けの頭脳労働ですっかり疲れ果てていた。
*
「ナグのデータが……消えた?」
日曜朝午前九時。久しぶりの休日。
俺が目を覚ましても、事態は何も解決していなかった。
それどころか、例の6202123に接続して、数学教師とやらに敗北した人間のアプリからナグのデータが消える怪現象まで起こっている。
「くそっ、公式ツイッターが動いてねえ」
休日朝なので運営の対応も出遅れ気味だが、おそらくもうすぐメンテになるだろう。その前に確かめたいことがある。
俺はもう一度6202123を打ち込み、ネット対戦を開始する。
「……ッ!」
すぐに繋がる。
「どうなる……どうなる……?」
ロードが終わり、相手が表示され&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#&””!”#
「うわあああああああ!?」
思わず悲鳴を上げ、スマートフォンを取り落とす。
フリーバトルの表記は文字化けだらけ。
対戦相手が使っているのはナグ君。
ただのゲームのキャラなのに、まるで画面の中に囚われているようで気味が悪い。
状況を確認するために、もう一度スマホを拾い画面をそっと覗き込む。
背筋に悪寒が走った。
タスケテ
対戦相手の名前はそう書いてあった。
俺はスクショを撮ると切断する。
信じられない。あんなことがあるなんて。
俺はスクショをSNSに投稿して、今しがた起きたことを報告する。
『アルバさんもですか? 私は「イェブ、何処?」でした』
『俺、倒したら勝敗画面のところで名前が変わって「痛い……イタイ……」になってたわ……』
『いやおかしいっしょこれ。運営対応遅すぎるわ。もうすぐ一周年なのに不味いって』
『サプライズイベントにしてはおかしくないか?』
『たまにやらかすからなあ。うちは「&””!”#」って文字化けしかわからんかった』
『新衣装実装フラグでは?』
皆の発言がひどく呑気に感じられた。
早朝からの一連の事件を知らなければ、サクフワフランスパンさんからの話を聞いてなければ、ただのバグとしか思えない。何か得体の知れない事が起きていると思っているのは、きっと俺だけだ。
認識されなければ問題ではないのだ。
俺はパソコンの画面を眺め、SNSでこの事件の話題についての書き込みをざっくりと眺める。
『なあ、実は今朝からこういうのが話題になってたんだけど……』
一連の事件を知っている人間がこれまでの経緯を拡散し始めている。デマにせよ、なんにせよ、騒ぎは広まっていく一方だ。どうにかして止めないと不味い。そして止められる筈の人間は――そうだ。何故俺は忘れていたんだ?
「……サクフワさん。サクフワさんは、何しているんだ。あの人が解決してくれるんじゃなかったのか」
俺は指示に従ってメールを開き、そこに記載されていたサクフワさんの電話番号に連絡をする。
幸いにも通話は簡単につながった。
「サクフワさん! どうなってるんですか! 事態がまだ全然――」
くすり、と笑う声が漏れた。女の声だった。
「サクフワさん……じゃないな」
くすり、と笑う女の声。
「――彼の友人ですね? サクフワ……いえ、
それを聞いて俺は表情を歪める。
克也とは、サクフワフランスパンさんの実名だ。
「誰だあんた」
「彼の同僚で、数学教師をしています」
「悪い冗談だろ……」
「冗談なものですか。全ては虚ろ。であれば信仰、星の巡り、正しい値。貴方たちが私の存在を信じ、私が正しき星の道行きを見計らい、観測値を所定の式に代入すれば、何処にだって行けるんですよ。勿論ナグ君も一緒ですし、あなたの友人のサクフワフランスパン……克也さんも一緒です」
狂っている。何を言っているかは分かるが、そんなもの
「サクフワさんを返してくれ」
「ネットでやりとりするだけの間柄でしょう?」
「だったらどうした。俺のゲスト原稿を喜んでくれた人間だぞ」
「ふうん……だったら、ゲームをしませんか? クトゥルー42のネット対戦。それで貴方が勝ったら克也さんをあなたのところまで返します。負けたら……あなたの
「さっきの対戦……まさか?」
女はくすくすと笑うばかりで、答えようとはしない。
「やりますか? やめますか?」
「ふざけるな! 対戦くらいやってやる! それよりも約束を破るなよ!」
デュエル!(ドンッ☆
――と、意気込んだものの負けた。
完膚なきまでに叩きのめされた。実は俺ゲーム苦手なのだ。
案外こういう時って勢いで勝てるし、なんならゲームの仕様上運の要素は無くならないので、あるいは行けるのではないかと思ったのだが、まったくもって駄目だった。
「ゲームの中のことだと思っていませんか?」
女は俺を嘲るように問いかける。
「ゲームだろ。これはゲームだ。空想だ」
「貴方が絵空事と思うそれも、違う世界では実在しているんですよ。画面を通じて見るしかできないか、実際に触れられるか、それだけの違いです」
「妄想に付き合うつもりはない」
「さあ、どうします? そちらのナグ君はこれでいただけるとして……まだやりますか? 克也さんを取り戻すために、今度は何を賭けてもらおうかしら?」
「……ああ、それは」
胃袋に鉛を流し込まれたような気分だ。
もう一度戦ったところで絶対に勝てない。そもそも狂人の土俵で戦っているのが駄目だ。このままでは行き詰まり、彼女の土俵の上で俺が第二の犠牲者になるだけだ。
幸い、今の段階で俺が失ったものはそんなに興味のないキャラクター。それだって所詮はデータに過ぎない。だったら惜しむことはない。それよりもサクフワさんのことが心配だ。どうすればいい。どうしたら彼を助けられる。あるいはあの女の奇妙な妄想をぶち壊せる。おそらく、あの女から妄想を払うことができれば、サクフワさんが助かるための切っ掛けになる筈なのだ。
「……冗談じゃない」
「あら、勝算が無いと悟りましたか? さっきあれだけ格好良く啖呵を切っていたのに?」
「お前とはもう一切戦わない。ふざけた賭けもしない。俺はお前と戦うまでもなく勝ってるよ」
「は?」
女は理解できないという声を上げた。
まるでこちらが病人みたいな気分になる。もしかして世界を正しく認識できていないのは俺の方なのか? なんて、背筋が冷える。
「お前のそのイカれた妄想において、信仰が欠かせないんだってな」
「妄想ではありません。多くの人々が私とナグ君の
「じゃあ俺はその信仰を破壊する。多くの人々がお前の絵空事を信じるから、お前は妄想に浸って生きている」
「違います。ですから本当に私は……」
「お前の大事な大事な
「はったりを……あなたのように無知で常識に凝り固まった人間が私の邪魔をできる訳が……」
「そうかい。物書き舐めんなよ」
通話を切る。
さあ、俺の
*
通話を終えたあと、俺は急いで一連の事件をモデルにした小説を書き上げた。そしてクトゥルー42のメンテナンスが終わるよりも早くネット上に公開した。俺とサクフワさんをモデルにしたキャラが主人公で、一連の事件の仕掛け人じゃないと分からない情報をたっぷり詰め込んでいる。読む人間が読めば、俺とサクフワさんが全てを仕込んだと思いこむだろう。
そうなれば奴の妄想は矛盾を孕む。只の病人なら勝手に妄想の内容を修正してケロッとしていることだろう。だが万に一つ、本当に俺の預かり知らぬ法則がこの世界で動いているならば、この行動はその法則への挑戦として機能する。
「……こいつは酷いな」
作品に対するネットの反応はあまり良くない。
反響が無かったという意味ではない。
これまでに無いくらい怒られたのだ。辛い。
『アルバさん、それにサクフワフランスパンさんも、ちょっと悪ふざけが過ぎたんじゃないですか?』
『いやこれタイミング悪くバグが起きたのが不運だったんですって。だからこうして種明かしした上でちゃんと謝ってますし』
『皆さん申し訳ございませんでした。最初は軽い悪戯心だったのですが、思った以上に事態が大きくなって、いまさら自分のやってしまったことが余計な混乱を生み出したことを実感し、深く反省しております……メンテ、早く終わるように心から祈っております』
俺は謝罪の投稿をSNSにアップすると一つ大きなため息をつく。
怒られたのはとっても悲しいが、既にこの事件の犯人は俺だと皆が信じている。
そして、俺が言った言葉こそが大多数にとっての真実になる。
俺はこれが只の悪戯だと断言した。
あの女は見ているだろうか。この一連の狂った事件はもはやお前一人の妄想だ。
そんな時、サクフワさんのアカウントが投稿を行う。
『アルバさんと一緒に面白がっていたのですが、たいへんお騒がせしてしまいました。平にご容赦を……』
良かった!
サクフワさん、生きてるっぽいな!
俺は思わず笑顔になる。しばらくしてから、サクフワさんから通話が来る。
「無事だったんですか!?」
「ええ、お陰様でなんとか……」
向こうから聞こえてくるサクフワさんの声は何処か元気が無かった。
無理もない。いきなり彼女がどうかしてしまったのだ。これから通院とか大変だろうけど、まあそれは俺の関わることができない問題だ。ただ、応援するとしよう。
「あの、アルバさん」
「んん? なんです? いやほんと、生きてて安心しましたよぉ……」
「あはは、その、あれです。巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「別にこれくらい! 俺、自分の読者が大好きですから!」
「……ふふ、アルバさんらしいや。ありがとうございました」
「んー? サクフワさん?」
返事が無い。
もう一度呼びかけてみる。やっぱり返事が無い。
「克也はもうこの世界には居ませんよ」
くすり、と笑う女の声。
通話が切れる。
「……何だ今の」
聞き覚えの無い女の声だった。
サクフワさんの家にあんな女性が居たのか?
「……えっと、あれ?」
俺はパソコンを開いて、己の目を疑う。
サクフワフランスパンさんの投稿は無い。
事件は全て俺のメッセージボックスを使った自作自演ということになっている。
それはまだ良い。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ……!」
サクフワフランスパンさんのアカウントが無い。
チャットツールで先程まで彼との通話画面を開いていた筈だ。
無い。何も無い。
彼の痕跡が無い。
馬鹿な。ありえない。あれは只の妄想じゃなかったのか。妄想していたのは俺だったのか? 何処からが妄想だ? 何が妄想だ? 俺は何をした? あるいはしなかった? 彼は本当に存在したのか? 俺は、今ここにいる俺は?
「誰か、誰かサクフワさんの話を……!」
SNS内部でサクフワフランスパンと打ち込んで検索する。
彼のアカウントどころか、話題さえも出てこない。
認識されてなければ存在しないのと同じ。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
「俺は覚えている。覚えているんだ。サクフワフランスパン、三木克也、クトゥルー42第一回大会のチャンピオン、趣味は同人誌の制作で……」
そんな時、携帯がぶるぶると震える。
慌てて画面を確認してみるが、それは飲み代を借りた先輩からのメッセージだった。
だけど、今はメッセージを見ている場合じゃない。俺はもう一度パソコンを――
「なんだこれ?」
検索フォームに残る意味不明なサクフワフランスパンの文字。
フランスパンは嫌いじゃないが、普段から食べるものじゃないだろう。
いや、そうじゃない。見なきゃいけないものがあって……なんだったっけ。
すごく大事なことを調べようとしていたのに……!
「あー、メモしときゃ良かった! こういうの偶にあるんだよなあ……何やろうとしてたんだっけ……」
それにしてもフランスパンか……。
お腹へってきたなあ。今日は仕事も休みだし、偶にはパン屋で焼き立てフランスパンでも買って食べてみるかな。珈琲ともよく合うかも。
俺は検索履歴を消去すると、冬用のコートを着込んで、真っ白な街に飛び出した。
※この物語はフィクションです
箱庭奇譚~ゲームの中のコワイハナシ~ 海野しぃる @hibiki
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