第六話 Kawagoe 1
俺は埼玉県の川越に向かった。
アメリカでの被害者、ホワイト元空軍大佐の『カワゴエを知らないか』という言葉が、妙に気になったのである。
しかし、考えてみれば雲を掴むような話だ。
何故彼がカワゴエと言う名前を知っていたのか、それすらも分からない。
しかし事件を知る手掛かりはそこにしかないのだ。
ホワイト氏と日本を結びつける接点があるとすれば、それは第二次世界大戦ということになる。
ホワイト⇒軍人⇒空軍のパイロット⇒
俺は東京から川越に向かう車中で、メモ帳にぼんやりとそんな言葉を書きつけていた。
JR川越駅を降り、東口からまずタクシーで川越市役所に向かおうとした。
地域の歴史についてしらべてるんだがと、問わず語りに運転手に話すと、
『それならば歴史資料館というのがあるから、そこへ行ってみたらどうか?』と勧められた。
なるほど、地域の歴史を当たるなら、そういう場所がうってつけに違いない。方針を変えてそこに向かうことにした。
係員に『戦争の歴史について調べている』というと、割と簡単に教えてくれた。
『昭和十九年、つまり1944年の11月ですか、この町の西に川があるでしょう。あそこのT橋という橋がかかってましてね。そのすぐ近くの土手で、当時2歳くらいの男の子が米軍の戦闘機から機銃掃射を受けて死亡したことがあったんです。
あの辺りじゃ結構有名でして、近くに工場があったわけでもないのに、何故あんなところに戦闘機が飛来したのかと、誰もが不思議がっていたそうですよ。今でも近くのお寺に慰霊碑がありますよ』
何でしたら案内しましょうかという彼の言葉に、
自分で行くからといって、そこを出た。
1944年、戦争、戦闘機、子供、機銃掃射・・・・
バラバラのピースが俺の頭の中で、何となくだが繋がりかけている。
予感ばかりを当てにするわけではないが、こういう時というのは、結構自分てものが信じられるものだ。
『ええ、その時のことはようく覚えておりますよ。』
80をとうに過ぎたその住職は、本堂の縁側に座りながら、遠くを眺めるような眼をして、俺に言った。
『当時私は12歳でしてな。尋常小学校の六年生でした。その子の事も良く知っております。名前を野沢晴彦といいまして、私らは「はるちゃん」と呼んでおりました』
その日は朝か良く晴れた日曜日だった。
当時もう既に学校はあってないようなものだったが、近くに工場がなかったせいか、空襲の被害もさほど受けず、疎開もせずに済んでいたが、それでも危険であることに変わりはない。
野沢晴彦・・・・晴ちゃんには光子という8歳になる姉さんがいた。
住職とは家も近所だったので、三人で良く遊んだりしていたという。
晴ちゃんは飛行機が好きだった。
日本軍の戦闘機が飛んでいると、
『ヒコーキ、ヒコーキ!』と飛び跳ねて手を振っていた。
だからその日、河原で遊んでいた3人の上空を、一機の戦闘機が飛来した。・・・・紛れもない米軍の戦闘機『グラマン』だった。
住職と光ちゃん・・・・晴ちゃんの姉は、それが直ぐに分かったので、慌てて逃げようとした。
だが、幼い晴ちゃんにそれが分かろう筈はない。
後がどうなったか・・・・それは悲惨なものだった。
晴ちゃんはハチの巣にされてしまった。
光ちゃんと住職は、戦闘機のパイロットの顔を良く覚えていた。
つまり子供の目からも識別できるほどの超低空で飛んできたのである。
『あれから70年以上は経ちますが・・・・あの時の顔は今でも忘れておらんです。頬に傷のある若い白人で、こっちをみながら笑っておりました・・・・』
住職はそこで大きなため息をついた。
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