欠席した隣。
歌うたい
──。
恋をする人間は、どうしてきっかけをそれとなく思い返すんだろうか。
夢中になる理由が知りたいのか。
あるいは不安なのかも。
いずれにせよありふれてしまう事を、私は嫌っているのかもしれない。
月並みな自分がどこか嫌で。
J-POPに流れるような「愛してる」と「会いたい」の枠に嵌まるのが嫌だった。
もっと言えば「私」を好きになれなかったのかも。
「……あ、どうも」
「……」
新学期の席替え。多分そのとき。
黒板の上の音のならない針が、速くなりだしたきっかけは、多分そのときから。
跳ねた音が秒針代わりに心臓を噛んだのも。
「ぁ……べつに」
落とした消しゴムを拾ってもらった。
ただ、それだけ。
いや、違うかも。
自分でも思うくらいに薄っぺらなお礼を、隣も一度流したのに。
まるで、その対応は冷たかったと反省するように、取り繕った「べつに」の三文字に心をくすぐられた。
なんとなく、気になった。
ありきたり。
そんな「ベタ」な恋愛小説の冒頭は嫌いだったのに。
自分の時だけ棚に上げるのは、誰だって得意技。
──◇◆◇◆◇──
で、それから。
目まぐるしいような展開はなく、例えば数学の授業は隣から聞こえてくるシャーペンの音が遅かったりとか。
反対に、英語は滑るようだったりとか。
昼休憩には食堂で。麺ものばっかり食べてるからそんなに痩せがちなのにとか。
あんまりクラスに馴染もうとしないとか。
浅く広い人付き合いが、私と一緒なのが嬉しいと思ってしまったりとか。
そんな風に些細な情報収集をしてるみたいで、その都度に浅ましい感じがして、自分自身に嫌気が差しても、結局は止めない。
割と長いよね、な24時間。
その頃からは時々長く、時々短い。
愛想笑いで応じていた何気ない「分かる」も、少しだけトーンが低くなっていた気もする。
恋の話なら尚更。
「ベタ」なのが嫌いだったんじゃなくて、ただ単に「下手」なだけだったと。
普通に恋をしていた。
でも初恋だったと思う。
幼い頃に抱いた、足の速い男の子に対する憧れみたいな。
そんな、雨の日に映る自分の顔の様なふやけた輪郭とは違って。
確かに、初恋だったと思うよ。
臆病な私にでも出来るほど、幼稚な恋だった。
一度でさえ。
おはようとすら、言えなかったけど。
───◆◇◆◇◆───
手持ち無沙汰のようで充実した日に、より一歩を詰めるきっかけが転がっていて。
厚い雨雲を睨む彼の、隣が空いている。
私も雨が嫌いだからって、そんなシンパシーに頬を緩める自分はきっと気持ち悪い。
傘かごに伸びる手に、雨とは違う水滴が滲む。
掌に収まる水溜まりの成分にはきっと、勇気がこれっぽっちも含まれていない。
「……」
「……」
傘を持った私と、傘を持たない隣。
そこからの進展が出来ず、そこから動かず。
誰にも睨まれてはいないのに、ピシリと石みたいに固まった私は、蛙と違って雨と相性が悪かった。
絶対変な奴だって思われてる自信はあって。
もの凄く物言いたげな横目がチラチラとぶつかって、その度に傘の柄を持つ手に力が入った。
雨は嫌い。今もっと嫌い。
棚上げ八つ当たりは得意で、そんな想いを一心に込めるように空を睨んでいた。
「……」
「……」
「……」
「……」
結末だけを言えば、雨はやがてシトシトと緩んでいき。
彼の人生において一番奇妙な十分間は、空の神様の意地悪で終わりを告げた。
嫌いな雨が弱くなって、なんだか泣けてきそうだった。
「……」
パシャ、と水溜まりを濁らせる靴音にそっと顔を上げた。
そこには何が何やら分からないと、酷く困惑しながら頬を人差し指で掻いてる彼が、左半分振り向いて。
「……またな」
「──え、ぁ」
おはようの挨拶すらまだなのに。
また明日を先に貰って、その不思議さに反射的に手を振った。
痩せ気味だけど高い背中が、去っていく。
「……また、明日」
勢いを失くした雨音にも負ける、小さな呟き。
もうほとんど背中が見えなくなってから手を振った私は、やはり自分を好きにはなれない。
ついには、嫌いにまでなったのは二日後の午前。
明日は来た。でも、彼はもう来なかった
──◆◇◆◇◆──
体育館に反響する校長先生の言葉が、何一つ耳に残りはしなかった。
普段であれば、例え陰惨たる事件ですら顔をしかめて、ホットココアで流し込む。
同じ国で起きた悲劇に逐一口を覆えるほどではなかったし、きっと大体がそう。
通学路に埋め尽くされた傘の群れ、その一つである在り来たり。
違ったのが、私の初恋の相手だったということ。
それだけ。
それだけで、世界中の色が死んだ。
「……」
伽藍とした空き教室の温度さえ、必要以上に冷たい。
あまり周囲と馴染まなかった彼が、たまにここで時間を潰していた事を思い出す。
光が負けた学舎で、残り香の様に追いかけた光景。
笑った顔をまともに見たことがなかった事に気付いて、それが一番痛みを呼んだ。
「……ねぇ」
悪戯に書いた相合傘。
左側だけを消した。
何も伝えれず、何も始まらず、ただ席を欠いたこれは、一体なんなのでしょう。
残ったのは、ただ私の名前だけ。
外を見れば窓に水滴が幾つも幾つも伝ってる。
過分な水が、花を腐らせるように。
花瓶に水を注ぎ過ぎれば、花ごと落ちてしまうだろうに。
それならいっそ──花なんて、いらなかった。
「……好きでした」
右側を消す。
黒板消しでなぞった軌跡から、白い粉が舞って落ちた。
はらはらと、涙のように速く落ちてる。
花なんていらなかったのに。
欠席した世界で、傘だけが咲いていた。
欠席した隣。 歌うたい @Utautai_lila-lion
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