Dance Forever



 ボクは爺ちゃん婆ちゃんの家に住んでいる。門から庭へ入ると、窓は開け放してあって、家の中からショパンのワルツが聞こえてくる。


 タンタララン、タンタララン、タンタラランターン。


 また爺ちゃんがCDをかけているのだろう。その爺ちゃんは、縁側から入り込んできたボクらを見て、棒を飲んだみたいに立ち尽くした。

 それから大音声で叫んだ。


「俺の可愛い息子が! 帰って来た!」


 まあどうしたの、と奥から出てきた婆ちゃんも、やはり息を飲んで立ち尽くした。


「そ、そんなまさか」

 婆ちゃんの目は見開かれ、爺ちゃんは満面の笑みで歩み寄る。

「おぅどうした、そんな顔色で。病気の後遺症か?」

「落ち着いて、あなた。死者は蘇ったりしないわ」

「何を言うか。この子は死んでなどいなかったんだよ」

「あなたこそ何言ってるの。ちゃんと葬式まで出して、弔って――グスン」


 だがボクたちは二人の会話にあまり興味を持てなかった。父さんはワルツに乗ってゆるゆると爺ちゃんの手を取った。


「ア゛ー」

「お、踊るのか。いいぞ、ワンツースリー、ワンツースリー。わっはっは」


 ぱっくん。


 案の定、父さんは爺ちゃんを齧った。

 愛する人を噛みたくなる衝動は、ボクにも理解できる。


 婆ちゃんは顔面蒼白になった。

「あなた!」

 大慌てで駆け寄って、爺ちゃんから父さんを引き離そうとする。しかし反対に、爺ちゃんが婆ちゃんを噛んだ。


「あなたぁァゥウガアァ」


 こうしてめでたく、ゾンビ一家が誕生した。ボクたちは夜通しウガウガ言って、ワルツを踊った。

 うむ。素晴らしい一家団欒だ。こうして五人で過ごす日を、ボクはずっと求めていたんだ。ラララ〜。


 ……翌朝。


 ボクらは列を成して、なんとなく阿波踊りをしながら、再び町へ下りた。

 町は今日もカーニバル状態だ。車などは路上に打ち捨てられ、道はダンサーたちで一杯になっている。歩行者天国──いや、踊子天国だ。

 フラメンコ。盆踊り。ムーンウォーク。ポールダンス。バレエ。恋ダンス。ラジオ体操。オタ芸。仰向けになって手足をバタバタさせているのは──おそらくブレイクダンス。


 その雑踏の中で、微かに聞き覚えのある音楽が、ボクの耳に届いた。

 相変わらずうまく機能しない頭で、ボクは必死に考えた。そう、この曲は、ナンチャラの——えっと、「ダッタン人の踊り」だ。ボクの吹奏楽部の先輩たちが、先月のコンクールで演奏した曲だった。


 ボクは家族のもとを一旦離れ、音のする方へ近寄って行った。

 

 音の周囲に群がる仲間たちは、ひときわ熱心に踊ろうとしている。しかしテンポに全くついていけず、目を回しているようだ。

 そしてその集団の先頭に、その音の主──まだ仲間になっていないニンゲンを、見つけた。


 それはボクのセンパイだった。


 先日引退した三年生で、もと首席奏者コンサートミストレス


 漆黒の長い髪を無造作に風になびかせ、布で包んだ長細いものを持っている。

 ボクはそれが何なのか知っていた。

 あれは、クラリネット。日除けのためにタオルを巻いたクラリネットだ。


 ボクはセンパイに向かって手を伸ばし、仲間を掻き分け、一生懸命進んだ。早くセンパイを噛みたかった。センパイと一緒に踊りたかった。


「ウガー、ウガー」

「どうどうどう。後輩君じゃないか」


 センパイは演奏を中断し、クラリネットのベルでボクのおでこを押さえた。ボクはそれ以上前へは進めなくなり、手で宙を掻きながら足踏みをした。

 周囲の仲間たちは安心したように、各々の好きなテンポで踊り出す。


「キミもゾンビになってしまったのか……」

 センパイは言った。

「見事に灰色だな」

「ウガー、ウガー」

「はいはい分かった分かった。キミがアタシを慕ってくれているのは分かったよ」

「ア゛アー!」

「だが噛むのは勘弁してくれ。ここでくたばるわけにはいかん」

「……ウガー」

「そう切なそうな顔をするな」


 そう言ったセンパイの方が、切ないようなやりきれないような表情だった。何でだろう?


「キミがゾンビになっていなければ、デュエットでもしながらずっと一緒に生きていけたのにな……」


 ボクは首を傾げた。噛まれてアホになっちゃったせいだろうか、センパイの言うことがいまいち頭に入ってこない。

 だって、ずっと一緒に生きるには、センパイが仲間ゾンビになればいいんだよ?


「……分からないなら、そのままでいい」

 センパイは寂しげに言った。

「アタシは町を出るよ。この町はもうダメだ、ゾンビに占領されちまってる。どっちを向いてもダンサーばっかでさ……。だから保護を求めに他所へ行くんだ。──そこへゾンビを連れて行く訳には、いかない」

「……ゥゥ」

「その、なんだ。そのうち、国中ゾンビだらけになるか、それともゾンビが殲滅されるか──世界が一体どうなるのかまだ分からんが、キミはどうか無事でいてくれ」

「ァー……」

「アタシも無事に生き残ってやるさ」


 センパイはボクの額を楽器でヒョイと突いたので、ボクはよろけた。


「さ、お別れだ。行くぞ、野郎ども」


 そうしてセンパイは毅然と顔を上げ、高らかにマーチを吹いた。

 パッパカパーン、パッパカパーン。

 クラリネット特有の広い音域で、自在にメロディを紡ぎ出す。


 それを聞いたボクは、伸ばした両手で他の仲間の肩を後ろからガシッと掴んだ。そのボクの肩をまた別の仲間が、その仲間の肩を別の仲間が──ガシーンガシーン、次々と連結していって、電車ごっこで歩いた。

 縦笛を吹くセンパイに続いて、ぞろぞろぞろ。ハーメルンの笛吹きみたいに。

 センパイの指示おんがくに従って歩くのはとても嬉しいことだった。ボクは力の抜けきっていた表情筋をぐいっと動かして、頑張って微笑してみせた。


 ちょうたのしい。

 ちょうちょうたのしい。


 ――なのに。なのにだ。

 気が付いたらセンパイは遠くにいた。

 センパイは、ボクらがついてこないように、別の方向へ行くように、音楽で命じていたのだった。やがてセンパイは見えなくなって、マーチも聞こえなくなって、ボクは電車ごっこをやめた。


 おかしいな。


 今ボクはとてもガッカリしている。踊っていれば幸福なはずだったのに、今は幸福ではなくなっている。

 センパイに置いていかれちゃったから。センパイと友達になれなかったから。


 ボクが悄然とボックスステップを踏んでいると、家族四人がボクを探し当て、ボクのもとへやってきた。

 どうやらボクのいるべき場所は、センパイのところではなくて、自分のおウチらしかった。


 ボクは大人になりそびれちゃったんだな、とボンヤリ思った。


 不老不死だから、ボクはもうこれ以上大人になれない。ボクはいつまでも家族に守られる男の子のままで、センパイのおそばに立てるような一人前の男にはなれないのだ。それを直感のように悟ってしまって、ボクはしょんぼりした。

 ゾンビが楽しいことばっかりなんて、ウソだ。あのパンサーはきっとバカだから、早とちりしていたのだ。本当にもう、バカだ。バカピエロ!


 でもまあ、仕方ない。だってもう、後戻りはできないのだから。

 いつかセンパイが会いに来てくれるまで、ボクは待ち続けよう。何十年でも、踊り続けよう──。




 その後、世界情勢がどうなっているかなんて知るすべはなかったが、とりあえず今の所は、ゾンビが虐殺されるなんてことは無さそうだ。ボクたちは今日も楽しく踊っている。


 世界は、平和そのものだ。


 家族で踊るのは悪くない気分だ。何しろ、二度と会えるはずのなかった父さんと母さんまで一緒なのだから。それに、食べたり眠ったりする必要もなくなって、生きる上で何の心配事もないし、争いごとも全く起きない。

 他のどんな悩みも憂いも、ダンスが吹き飛ばしてくれる。


 気がかりなことは一つだけだが、これについてもあまり深く悩まないことにしている。

 この世界のどこかでセンパイはクラリネットを吹いているかも知れないし、誰かに噛まれてもう仲間ゾンビになったのかも知れない。


 ボクはセンパイの隣で踊りたいし、センパイの音色になら操られてもいいと思っている。

 ボクには時間が無限にあるから、巡り合わせが良ければまたセンパイに会えるだろう。もしまだセンパイが仲間になっていないのなら、彼女が死んでしまう前に、もう一度お会いしたいと思うものだ。

 その夢がいつ叶うかは分からない。


 分からないなりに、今日も踊る。

 永遠に。永遠に。




 おわり

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ダンシング・ゾンビの愉快な世界 白里りこ @Tomaten

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