10話  愛すべき遠回り

 完ぺきに寝坊した。言い方を変えると、パーフェクトな寝坊だ。寝坊は、英語で何ていうんだろう。スリープ・ボーイ? たぶん違う。

 何しろ、目が覚めたのがホームルームの始まる一分前だ。残念ながら、瞬間移動とか気の利いたことはできない平凡な人間なので、速やかに紺にメッセージを送っておいた。


『遅刻します。探さないでください。』


 五分で家を出て、駅で電車を待っている間に、売店で買ったあんぱんを口に押し込むようにして食べる。

 紺から返事がきていた。


『一限の英語は自習になった。』


「お、ラッキー」

 それならば、五分遅れても十分遅れても同じことだ。


 電車は空いているとは言えないまでも、となりの人と肩が触れ合うほどには混んでいない。列車もいつもの時間より軽やかに走るようだ。

 同じ車両に、制服を着た学生はおれ一人で、少しだけ居心地が悪くて、少しだけ特別な感じがする。おなかがそわそわして、落ち着かないけれど、わずかな非日常にときめいてもいる。


 学校の最寄り駅でも、同じ制服の生徒はもう見かけなかった。みんな、遅刻をせずに学校へ到着したようだ。

 走るべきか、とも思ったけれど、走っても歩いても、一限目の時間中には教室へたどり着く。のんびり歩いていくことにした。


 いつもはたくさんの生徒が歩いている道も、学生はおれだけだ。今だけはおれだけの通学路である。

 胸を張って、道の真ん中を堂々と歩く。遅刻のことを重役出勤と言ったりするけれど、なるほど、こんな感じか、と思う。重役が何かはよくわからないけれど、とりあえず偉そうな感じだ。後ろから来た車にクラクションを鳴らされた。

 重役も、道の真ん中を歩くのはほどほどにしたほうが良さそうだ。


 思いついて、少し遠回りをしていくことにした。通学路は二通りあって、大半の生徒が使うのは、近い方の道だ。わざわざ遠回りをする必要なんてない。

 けれども、一部にはなるべく遠回りをして歩く時間を伸ばしたい連中もいる。


 そう、彼氏彼女という奴らだ。

 遠回りの道は、別名、ラブラブロードと呼ばれている。桜並木や、他にも季節の花が植えられたりしていて、ちょっとばかり雰囲気の良い並木道になっているのだ。

 その雰囲気の良さに興味はあったものの、ラブラブロードという通称から、ちょっと通ってみようというには抵抗があった。でも今ならば、誰もいないし、絶好のラブラブロードおひとり様日和だ。


 ラブラブロードという通称はうちの学生だけのもので、近所の人たちは普通に散歩をしている。うちの学生にさえ見られなければ、堂々と歩けるのだ。

 

 緑色になった桜の並木を、木漏れ日のきらきら光る部分を踏みながら歩く。オレンジ色の花たちが、日の光をいっぱいに浴びながら、歌うように、仲良く風に頭を揺らしていた。

 犬の散歩をしているおばあさんとすれ違い、おはようございます、と挨拶をする。

 姿の見えてきた学校からは、体育の授業中らしい、ホイッスルの音がかすかに聞こえてきた。

 自然と鼻歌がついて出る。

 遅刻はよくないことだけれど、たまには良いんじゃないかな、と思う。

 人生には、鼻歌を歌いながら歩く時間が必要だ。


 お、名言じゃない? などと思いながらラブラブロードを通り抜けたところで、走って来た桃衣とばったり出くわした。近い方の通学路との合流地点だ。


「あ」

「楓?」

 桃衣は額の汗をぬぐいながら、おれとラブラブロードを見比べるようにして見た。


「桃衣も遅刻?」

 おれは動揺を悟られないように、落ち着き払って言う。こういう時は、慌てず騒がず堂々としていたほうが怪しくない。いや、何もやましいことはないのだけれど。でもこの場合、やましいことがないほうが痛いような気がする。


「うん、まあね。……楓は遅刻なのにわざわざ遠回り?」

「どうせ遅刻なら、五分も十分も変わらないかなって」

「妙なところで度胸があるよね、楓は」

 見られたのが桃衣で良かった。ラブラブロードなどという浮ついた噂には興味がない、クールな男なのだ。だがしかし、その安心は一瞬で打ち砕かれた。


「あっれー? 楓と桃衣じゃん。二人して遅刻で、しかもラブラブロード通って来たの?」

 ぶらぶらとやって来たのはルチオだった。どうなっているんだ、今日の遅刻率ときたら。さっきまではおれだけの通学路だったではないか。


「ルチオ。あの、それは誤解だから」

 にやにやしているルチオに言う。

「わかってるって。秘密にしといてやるから」

 ルチオが小指を立てて言う。なぜ小指、と思っていたら、おれの小指をつかまれて、ぶんぶんと振られた。指切りをしたかったらしい。


「いや、おれがこっちの道を通ってきたことは秘密にしてほしいけど。そうじゃなくてだな。桃衣も何か言ってよ」

 と、桃衣の姿を探したら、もう先に歩いていってしまっていた。クールな男なのだ。

「振られたみたいだな。元気出せよ」

 楽しそうにルチオが肩を叩くので、その腕をがしりと組むようにとらえた。

「振られちゃったみたいだから、今日の帰りは一緒にこの道通ってくれよ、ルチオ」

 もうヤケクソだ。悪ノリをして、ルチオも困れば良い、と思ったのだけれど、選んだ相手がまずかった。


「オーケイ。楓ってば積極的だね」

 ルチオが爽やかに笑う。悪ノリにさらに悪ノリされた。

 そしてたちの悪いことに、ルチオは悪ノリを実行する行動力があるのだ。

 後日、おれとルチオはちょっとした噂になってしまうのだった。

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青春ひと口サイズ 七尾 茜 @nanao_a

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