9話 隠し味の楽しみ方
同じ量を食べるなら、おかわりをするよりも、最初から大盛りになっているのが好きだ。
遠慮せずにたくさんお食べとご飯が微笑みを浮かべてくれているのが見える。もちろん、実際に目に見えるわけではない。ご飯からあふれでる歓迎のオーラが、そんな幸福な想像をかき立てるのだ。
今、おれの目の前には大盛りのカレーライスがあり、まさに、たくさんお食べと女神のような微笑みで光り輝いていた。カレーライスの神様は、きっとインドっぽい美女に違いない。
「いや、ターバン巻いたおじさんじゃないかな?」
カレーライスの神様について語ると、なぎさが言った。彼の前のカレーライスは、小ぶりな皿に盛りつけられている。なぎさはその上に、福神漬けを山とのせた。
「象だと思うな、おれは。あと何か猫みたいな神様もいなかったっけ?」
紺のカレーライスは中盛りだ。でも、大きくすくって、大きな口で食べるので、お皿が小さく見える。
「いや、だって、カレーだよ? 美女っぽくない?」
「達人のカレーはおじさんっぽいと思う」
「よくわからんスパイスとか入っているところが、野性的で動物っぽいだろう」
くだらないことを喋っている間も、スプーンの往復は止まらない。
今日は、なぎさに誘われて、彼の家でカレーライスを食べに来たのだ。なぎさは料理が好きで、おれたちが中学生の頃から、たくさん作っては、食べきれないからと分けてもらっていた。勉強の合間の糖分補給と息抜きに、と最初はお菓子作りからだったのだが、最近は色々な料理に挑戦しているようだ。
「カレー、おいしいね」
「ありがとう。ここ二週間カレーばかり作っていたから、家族にはもう嫌がられちゃって。二人が食べてくれて助かるよ。たくさん食べてね」
別の高校に入り、少し合わないうちに、すっかり高校生の顔になっていたなぎさだけれど、笑うとちょっと幼くなるのは変わらない。
「なぎさは凝り出すとそればっかりになるよな。中学の時の毎日ロールケーキもきつかった」
「そう? 中身はいつも違ったじゃん」
「うんうん。楓のそういうところ、男前だよね」
「そうか? どっちかっていうと女子っぽいと思うけど」
なぎさが持ち上げて、紺が落とす。
中学の頃から、そんな感じだ。大人になっても、こんな感じなのかな。
「カレーも、二週間ずっと同じじゃなくて、毎回違う隠し味を試してるんだ。さて、ここで問題です。今日のカレーの隠し味は何でしょうか?」
なぎさがスプーンを立てて言った。
「隠し味……?」
「ヨーグルトとか、蜂蜜とか、チョコレートなんかも入れたりするって聞いたことあるな」
言いながら、紺は少し食べるスピードを緩める。
おれは残り三分の一ほどになったカレーライスをじっと見つめた。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、と入っている野菜は普通だった。肉は鶏肉で、ルーは普段食べ慣れているものよりも黄色っぽく手作り感がしたけれど、ややこしそうなスパイスをたくさん使っているという感じではなかった。
「隠れてるんだから、見たってわからないだろう」
紺が呆れたように言う。
「わかんないじゃん。頭隠して尻隠さずって言うだろう?」
おれが言うと、水を飲んでいたなぎさがむせた。何かがツボにはまったらしい。咳き込みながら笑っている。何が面白いのかわからないところでも、一人でツボにはまるのがなぎさだ。
「にんにく?」
紺が言った。
「にんにくも入ってるけど、隠し味のつもりじゃないな」
笑いをおさめたなぎさが言った。
「オレンジジュース!」
「外れ。今度試してみようかな」
にこり、となぎさは綺麗に笑ったあとに、またぶり返したのか、口を押えて横を向き、肩を震わせる。
「味噌」
「レモン」
「醤油」
「パイナップル」
「コーヒー」
「からし」
紺とおれは口々に言ったけれど、どれも当たらなかった。
「降参。答えは?」
両手を上げて言うと、なぎさはにんまりと笑った。
「徒然草」
「つれづれぐさ?」
「そ。つれづれなるままに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれってね。暗唱の宿題が出てたから。ずーっと呟きながら作ってた」
「ええ?」
それは隠し味とは言わないのでは、と思いながら残り一口になったカレーライスを見つめた。古典文学の欠片は見つからない。
「良かったな、楓。これでお前もちょっと賢くなるかもしれないぞ」
紺のまなざしが腹の立つ優しさだ。
おれは最後の一口を大きな口で食べた。
味わうように咀嚼して、水も飲んでから、重々しく口を開く。
「……むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」
「……桃太郎かな?」
「古典文学で返したかったけど、暗唱できるものが何もなかったんだな」
ひそひそと、なぎさと紺が目の前で内緒話をする。
まったくもって、その通りだ。
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