オチのない話すんなと言われて育つ関西人
タナカミハル君という六年生の男の子が、電話してきたのである。
どこにといって、わたしの家にではない。平成三十年八月三日、夏休みこども科学電話相談にだ。NHKが制作する夏休み恒例のラジオ番組で、毎年わたしは楽しみにしている。昆虫、動物、恐竜などいかにも子供は好きやろ、というテーマのほか、天体、宇宙、こころとからだ、人工知能にいたるまで、毎回四人ほどの専門家が入れ替わりで登板し、全国の子供たちからの質問を電話で受けて一生懸命回答してくれる。子供相手の説明だからわたしにでも理解できる。もう、もんすごわかりやすい。めちゃ勉強になるのである。
それに、タナカミハル君は電話してきた。電話してくる子供はどこの子であっても、まず標準語でしゃべり始める。このタナカ君もそうであった。教育とマスメディアの力である。しかし、しょっぱなの名乗りの時点で、このオバチャンはタナカ君が自分と同じ関西人であることを見破った。「タナカ」の発音が「マクド」「ミスド」のように二音目が高くなる音程でなされたのである。果たしてタナカミハル君は大阪在住の男子で、質問の内容は、
「学校でお笑い芸を見せたら、みんなけっこう笑ってくれたのだけども、ほんとに心の底から面白いと思ってくれているのか、そういう心の動きを調べられる装置はありますか?」
というものであった。
関西人……!
つまりタナカ君は、自分が本当にちゃんとウケてんのかどうか、知りたかったのである。オレのあのネタはほんまにオモロかったんか。
この質問は、おそらく関西以外の地域の子供からはまあ出るまい。まず小学校で漫才(とタナカ君は進行役の局アナとのやりとりで明かした)をやる、なんてことが、例えば東北や甲信越で日常的に行われているとは思われない。そんなことすんのは関西人だけだ。そしてもっと言うと、関西でだって、そうしたパブリックな場でネタをやれるような人間は一握りである。一部の、人気者だけがそれをやる。子供の世界ではとくにそうである。どれだけ自分の中にお笑い玉手箱を抱え込んでいても、悲しいかな地味に生れ付いたシャイな子供には舞台はあまりにも遠い。よくせき自信があって、不退転下剋上背水の陣、くらいの気持ちでそれに挑む子もいないではないだろうが、誰だって衆人環視の中すべるというリスクは取りたくないものだ。人気者はその点安心である。人気者にはみんなの方がすすんでガードを下げている。だいたい、関西で人気者になるには多少なりともおもしろくないとダメで、一旦人気者認定を受けてしまえばあとはよっぽど下手を打たないかぎり、まわりの人間が甘い採点をする。平たく言うと、勝手に笑ってくれるのである。
タナカ君は、多分、人気者なんだろうとオバチャンは推測した。その上で、自分がほんとに受けてんのか、それともお追従で笑われているのか、気にしているのだろう。
回答に当たったのは、脳科学者の篠原菊紀先生とAIが専門の坂本真樹先生だった。異例の二人がかりである。篠原先生は、装置としては、脳の「おもしろい」と感じる部所の反応を調べる機械を使えばいい、と答えられたが、まず「本当のこころ」というのがどういったものかということ自体明言するのが難しい、と断った。「こころ=脳の働き」という考えを取っていいのかどうか、脳がそのように運動していても、人間の気持ちはどうかわからん、ということだってやっぱりあるから、という意味のことを言われた。そして坂本先生が、表情を読み取るAIを使って、「ほんとに爆笑してるときの顔」「笑ってください、って頼んで作ってもらった笑顔」のデータを取って、ひとりひとりを調べるということも可能だけれど、ただAIはまだまだヒトの感情とか、空気を読むのは苦手です、と付け足された。
タナカ君は、先生の回答の最中、しきりに「なるほど」「あー、なるほど」と合いの手を入れた。これも他の子供にはあまりみられない反応で印象深かった。タナカ君がもう六年生であることを勘定に入れても、やたらに大人びている。話芸に興味があるとそうなるのか。
装置があるのかどうかという本題に関する一連の回答が済んだあと、篠原先生が、タナカ君ねぇ、と質問者に語りかけた。完全に脱線するわけではないが、ほとんど余談、といった流れで。
お笑いの分野の人で、大成するかしないかっていうのは、そこの見極めができるかどうかなんだってさ。自分が本当に面白いから笑ってくれているのか、そうじゃないのか、そこをちゃんと感じ取れる人が成功するんだよ。
「これからも、そういう、学校でお笑いをやったりする機会があるの? 芸人さんになりたいとか?」
そう話を振られたタナカ君は、言下に応えた。
「いえ、それはないです!」
ないんかーい。
関西人はごく幼少のうちから、なんでもええけど最後は落とせと教育されて大きくなる。タナカ君は、単に真実を述べただけで落とすつもりでもなかったのだろうが、結果的にこの相談は落ちた。ないんかーい、と、わたし以外の聴衆も、タナカに各自で突っ込んだものと思う。その多くは、きっと関西人であろう。関西人はごく幼少のうちから、ボケた者にはつっこめ、と教育されて大きくなる。そしてまた、ボケてへん者にも、やはりつっこめ、と教育されて大きくなる。
阿呆とバカではどちらがたわけものか(シーズン1~3) 灘乙子 @nadaotoko
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