老け顔五輪

 繰り返し申し上げて恐縮なのだが、わたしは幼少の砌から老け顔であった。老けていることが何かものすごく値打ちのある世界に住んでいたならなあ、と思ったことは一度や二度ではない。たとえば老け顔五輪みたいなものがあったとしたら、わたしは毎回メダル候補になり、大きな話題になっていただろう。「前人未到の4連覇なるか」とか。老けていれば老けているだけ報奨金が貰える、などという制度があったとしたら、わたしは若くして億万長者になり、今頃ひだりうちわで島のひとつくらいは買っていたはずである。あなたは初めて入った美容院で、前世代のアイドルの話題をこちらも知っていて当然の態で延々しゃべり倒されたことがあるか? あなたは高校生のころにつき合っていた同い年の彼氏と買い物に行った先で、「弟さんですか?」と聞かれたことがあるか? 念のために言っておくが、相手がとてつもない童顔短軀で小学生に見えた、とかいうわけではなく、むこうは身の丈五尺四寸、学校の制服を着ていて、わたしの方が私服だった。二十二か三のとき、単発で行ったバイト先で一つ二つ年下の女の子から、「遠藤さんはおいくつなんですか?」と尋ねられ、自分の老けはどこまで通用するのか調べるために、「三十一で子どもが二人いるよー」と答えたら、「へ~、何歳? お名前は?」なんて平たく返され無駄に自信を深めた。

 そのうえ物を言っても声が低く太く、受け答えの仕方にしてもなにかとハッタリの利いてしまう、端的に言うと「しっかりしたお子さん」だったため、小学生のころから電話を取ってもしょっちゅう母親と間違えられていたし、初対面の人に、未成年であるといくら言っても信じてもらえなかったために生徒手帳を見せたこともある。普通逆やと思う。「たばこなんか吸うて、キミいくつや? 年齢証明見せえ」的なヤツが普通やと。


 しかしハッタリというのは所詮ハッタリなわけで、胆力のない人間の、内実を全く伴わないハッタリというのは最終的に自分の首を絞めるものでしかないのである。しかも自分としては何もかましてやる、という気なくただ喋っているだけなのに、それが自動的にハッタリになっていっているらしく、気付けば相手はわたしのことをむっさしっかりした人材、とか思っている。ちゃうねん、と否定しても、一旦そうと思い込んだ方はいやあまたまた、ご謙遜、みたいなことを言って、もう取り合わなくなっている。


 ひとに対する評価が、第一印象からその後加点式で行われるか減点式でなされるかということは、大変重要な問題である。今まで「しっかりしたお子さん」長じては「しっかりしたお嬢さん」「しっかりした奥さん」と世間に思われながら、幾度となくその第一印象評を裏切ってきたわたしとしては、当然、低いところから徐々に上げていってもらう加点式を希望する。いや、実際上がるかどうかもあやしいが、とりあえずそちらなら他人様から不必要にがっかりされることもないだろう。しかしこればっかりは自分の希望ではどうにもならず、「あんた、もうちょい出来ると思ったで」という痛い痛い一言を頂戴しながら、くそお、わたしがもうちょっと、中身どおりの抜け作に見えたら、と思うのだ。


 アホじゃないのにアホのふりも出来る、というのが最上級のカシコのふるまいだとわたしは思う。「能ある鷹は爪を隠す」というのがつまりそういうことだろう。翻って自分は、「能なしですがようわからん付け爪を施されています。強制的に月一、ネイルサロンで二万円」みたいなありさまになっていて、これに関しては一昼夜で足りない文句を言い倒したいが、どこに言いに行っていいのかわからない。かなしい。

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