梅干製造作業にまつわる
久々に夫の実家へ帰ると、義母が市場で買ってきた赤紫蘇の枝から葉っぱをむしっていた。先月から仕込んでいた梅漬けに、色をつけるためである。
こういう仕事は一人でやるより二人でやった方がはかが行くし楽しいものだ。わたしは豆の皮をむいたり、いんげんの筋を取ったりする台所の軽作業が決して嫌いではない。しかも至って簡単なことなのに、マメマメしい雰囲気だけは満杯で、手伝いました感がすごい。これは嫁として好印象をアピールしておくチャンスである。まあ、結婚十年、一時は同居もしたし、地金も馬脚も晒しまくり、今さら好印象もへちまもないのだが、早速脇から手を出して、枝を一本取り上げた。二人手があればあっという間に紫蘇むしりは完了し、今度はざんぶりざんぶり、大盥でその葉を洗う。
最後のひと枝分の葉をざるに入れるために盥の前に立った行きがかり上、わたしがついでに洗いの係をやることになった。義母はその間に散らばった小枝やクズを箒で集めていた。が、そのすぐ後に、
「あ! もう行かなあかんわ。ほしたら、あと頼むで」
義母は大きいばあちゃん(夫の祖母)のところに行く用があったのである。
ぼええええ。この道はいつか来た道。あ~あ~そうだよう、とつぜんにおせち料理を任されたときだ。おかあさんがいなくなってしまって、ひとりぼっちになったのだ。
わ、わたしがこの大量の赤紫蘇の始末をつけるのかい? 独力で? 確かに、わたしは一度梅干しを漬けたことがある。まだ結婚する前のことだ。そのとき住んでいた家に小さいながらも梅の木があって、ある年出来心で、成った梅を漬けたのだ。岩海苔の徳用瓶一個に入りきるくらいの、少量かつ小型の梅だった。わたしは料理とか保存食作りというのは基本的に理科の実験か何かだと思っていて、やれば面白いがゆえにやる。でもそれだけに、いっぺんやってしまえば、「すげえ、ホンマに出来た! ふーん」で満足し、もう二度とやらない、ということも多い。梅干しはその最たるものであった。それ以来、一度も漬けたことなどない。しかもそのときの梅干しには赤紫蘇を入れなかった。無着色タイプの梅干しだったのだ。
わたしも昔梅干しをつけたことがある、と過去に義母に話をしていたため、当然、コイツは出来るもの、と思われたのである。しかし結局、義母は出掛ける寸前に、もしわからへんことがあったらこの紙に書いてある、と写真入りで手順を解説した虎の巻を置いて行ってくれた。恐らくわたしが今から捨てられる犬のような顔をしていたのに気がつかれたのであろう。さすがだ。
そしてわたしは紫蘇を塩で揉み、アク抜きを開始した。が早速塩の量を間違える(倍入れた)。もはや半笑いで、まあ、塩の多い分には殺菌効果が増すわけやから、カビが生えたり傷んだりすることもないやろ……とプレー続行。だが精神的な負担が半端ではない。漬けこむ梅は3kg、わたしが遊び半分に漬けた小梅とは規模が違う。しかも一族が一年間食べるのだ。失敗したらどうすんだ。ゴメンで済んだら警察いらん、てヤツじゃないのか。
でも、どうにかこうにか工程を果たし、日本昔話に出てくるようなまるであのまんまのthe・甕に紫蘇を投入。そのとき思い出して、漬け梅を一粒失敬した。以前知人から聞いた、「一生にいっぺん飲んでおけば脳卒中にならない」というまじない薬を作ろうと思い立ったのだ。卵白一個分、蕗の葉の絞り汁三~四枚分、清酒大匙一、すりつぶした土用干前の漬け梅一個分、これらを挙げた順に加え混ぜ、一気に飲むらしい。
ほんまかよ、と疑う気は溢れるほどにあった。しかもレシピを見ただけでクソまずいに決まってる。そんなん飲むくらいやったら脳卒中なって死ぬわ。だいたいそんなに長生きしようなんて思ってへん。とここまで考えたところで、しかし、いやいやいや、脳卒中でぽっくり逝けるとは限らん、中途半端に生き残ったら手間や、と思いなおした。わたしの翻意は、実父が先月軽い脳梗塞を起こしたこととも無関係ではない。健康でいることはそれだけで人助けなのだ。
わたしは決意を固め、早速林の裾に生えている蕗を取ってきた。蕗の葉が欲しければ当然蕗の茎も付いてくるわけで、茎はおかずになるのだからもったいながりのわたしには捨てられず、だからって四本くらいあったところでどうにもならないから、結局辺り一面の蕗を刈り取って時間を食い、さらに取った以上は重曹で茹でてアク抜きしたのち調理しなければならんことになる。わたしはこうしてどんどん自分の仕事を増やすんである。今日はゆっくりするぜ、いぇー! と思っていたのにさっぱりわやである。
とにかく取ってきた葉っぱを刻んでポリ袋に入れてぎゅうぎゅう揉み絞る。終盤袋が一部裂けて黒い搾り汁が飛び散ったが、ちゃんとエプロンをしていたため、わたしが着ていたSちゃんからのお下がりブラウスが無事だったことを特に記しておく。わたしはエプロンが大好きである。無法な天ぷら油やケチャップからわたしを守ってくれるエプロンに、全幅の信頼を置いている。さらに娘の同級生のYちゃんのママが、エプロンしてればノーブラでも平気、と教えてくれてからはその信頼もいや増すばかりだ。
搾り汁が用意できたので、卵を割り、君を泣かせて知る豆乳(黄身をなかせて汁投入)。酒が大関の大吟醸のエエやつしかなかったことは救いか、無駄な抵抗か。最後に梅の潰したのを入れて、うっわー、エグい色。卵の白身って、存外分量があるのである。飲み切れるのかこれ。
でも作っちまったもんは仕方がない、わたしは意を決してそれを飲んだ。まぁっずーー!! けれども、もう初手からまずいに決まってる、と覚悟のある物を飲んでいるのでさほどの衝撃はない。その覚悟を凌駕するほどのまずさではない、とも言えるか。これなら昔初めてしょうが湯を飲んだときの方が衝撃的だった。落差の問題。そういうことである。一つだけ気がかりなのは、ちゃんと飲み切ってからも、ほんまけ、ほんまけ、と疑う気持ちが消えていないということで、まじないなら腹から信じなくては効かないのに、わたしはそれで脳卒中の魔の手を永遠に拒むことが出来るのだろうか。
諸兄には、是非わたしと同じようにこれを作って飲んで頂き、お互いに観察し合いっこしような、と呼びかけたい。蕗がないなら取ってきてあげる。ともに白髪の生えるまでとはーやれーとれわいのせー。
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