第2話 フレキシビリティ

私は人間観察が趣味だ。

いや、癖というのか。もはや習性。


母によると、幼い頃ママ友お茶会なるものに連れて行った時、静かに大人たちの会話を聞いて様子を観察していたそうだ。

何か言葉を発したり、一人遊びをし出してしまうこともせず、

みんなの顔をじっとみつめて会話をひたすら聞いている子供だったらしい。


その頃からなのか、私は人の顔色を異常に気にしてしまう。

その人が今どんな感情なのかすぐに推測しコトコトと煮詰める。


しかしこれは、ある出来事がきっかけでこの人格を創り上げたのではないかと思っている。



幼稚園の林間学校のようなお泊まりイベントの時。

ご飯は給食方式で、配膳係は先生方だった。


ある先生が私のプレートに目玉焼きを乗せてくれて、そこにドバッとソースをかけたのだ。

『おしょうゆのほうがよかったなー』

何の悪気もなく発したこの一言が、先生の顔色を一瞬で変えた。


あからさまに顔をしかめた先生の顔が怖くて、

「あっ…なにかいけないこと言ったかな…」と思った瞬間、

先生がすぐさま私の後ろに並ぶ子へこう言ったのだ。


『アンちゃんはソース嫌いなんだって。○○ちゃん交換してくれるー?』


いいよーとその子はまさかの快諾。まだ何もかかっていない目玉焼きと交換してくれた。幼稚園児とは思えない懐の深さだった。


気まずさのあまり先生とも交換してくれた子とも目が合わないよう遠くに座り、下を向いて食べた。


その日、私の記憶の限りでは生まれて初めて人の感情を推測した。

私の発言で先生を傷つけてしまったのだろうか?それとも怒ってしまったのだろうか?嫌われたのだろうか?

出るはずのない答えを求め考え落ち込んだ。三日は落ち込んだ。

そして自分の軽はずみな醤油発言で友達にまで迷惑をかけてしまったと猛烈に反省。

挙げ句の果てにこうして永遠に根に持つ始末。


先生もそこまで怒ってはいなかっただろうし、

今では「幼稚園のとき過激ソース派な先生がいたんだよね」とおもしろおかしくエピソードトークできるが、当時は「誰かを嫌な気持ちにさせてしまった」という推測だけが私を覆った。


『誰かに嫌われてしまうって、なんて苦しいことなんだろう。』


私は今でもこの考えに支配されている。


それゆえ必然的に小・中・高・大ではどこのグループにも属さず、

だけど色々なタイプの子たちとうまくやる立ち位置で永世中立を死守していた。


人に合わせることで感じる苦痛よりも、

人に合わせないことでその後感じうる苦痛のほうが耐えられないのだ。


私も本心では人と正直に会話できるリレーションを築いていきたいと望んでいる。それが人間の理想だと思う。


でもそれで人に嫌われずに生きていくことはできるだろうか。

誰からも嫌な顔をされずに生きていくことはできるのだろうか。


どうあがいても、人は他人の全てを受け入れる器を手に入れることはできない。

嫌われないなんて到底無理というものだ。わかってはいる。


それでも他人に自分を受け入れてもらうために、自分はどうすればいい?という気持ちから産み出された私なりの処世術。


こんな人間関係を行ってきた末に私には誇れる能力が身についた。

『この人が今一番言われたい言葉はこれ』を察する力だ。

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