未だ見ぬ世界の君の声
すずらん。
Reading date
ふわり、と花が香る。
ひらり、ひらりと蝶が舞う。
陽の光は暖かく僕を包み込む。
───今日は、読書日和だ。
外のベンチに腰掛けて、僕は本を開く。
挟んでいた栞が飛ばされないように片手で押さえながら、もう片方の手で文字を追う。
昨日の続き。
怪物と呼ばれたお姫様が、王子様と出逢うところ。
泣いているお姫様の隣で、王子様は静かに話をする。
大丈夫、怖くないよ。
嗚呼、僕もこんな王子様になれたらいいのに。
さらさらと、風が草葉を揺らす。
コツ、コツ。
静かな場所に、テンポよく石を叩く音が響き渡る。
コツ、コツ、コツ、コツ。
その音はさらに近づき───僕の前で止まった。
「隣、座ってもいい?」
凛とした声。
「おーい?聞こえてますかー?」
もう一度、凛とした、綺麗な声が響く。
「あっ、僕の隣なんかでよければ」
「じゃあ遠慮なく」
声の主はストン、と僕の隣に腰を下ろした。
さらさら、さらさらと草葉は音を鳴らし続ける。
僕はまた、本を読み始める。
「何、読んでるの?」
「『かいぶつの姫と王子様』っていう本」
「怪物……どんな話?」
「僕も最後まで読んでないんだけど……怪物って言われてたお姫様が王子様と出逢うお話……かな?」
「へぇ……ちょっと気になる! 読み終わったら私にも教えてよ」
「わかった」
再び字を追ってから暫く経った頃、隣から歌が聞こえてきた。
凛と美しく、鈴のように軽い音色。
とても……安心する。
「綺麗な歌声だね」
「私?」
「そうだよ」
「えへへ……言われた事無かったから驚いちゃった」
嬉しそうに、少しはにかむ声。
僕はそれに聴き蕩れる。
「とても……綺麗なのに」
風が木々を揺らす。
ざわざわと、音がする。
「……そう言って貰えて嬉しいよ。……ほら、早く読んで私にも教えて」
「うん」
彼女はまた歌い出した。
僕も文字を追う。
王子様と外に出たお姫様は外の世界に触れ、様々な体験をする。
花、鳥、風、月……数々の美しい風景。
一方、王子の国では王子様が化け物に攫われたという噂が出るようになる。
それを知った王子様は、お姫様の手を取ってこう言う。
2人で逃げよう。
王子様はお姫様を連れて逃げた。
それも虚しく、王子様とお姫様は見つかり、お姫様は牢屋に入れられてしまう。
王子様は助けようとするが、結局叶わず、とうとうお姫様は処刑される。
お姫様の亡骸の前で王子様は涙を流す。
僕が連れ出したからこうなってしまったんだ、と。
その日の夜、王子様の夢にお姫様が現れる。
自分自身を責めないで。
私は貴方と出逢えて嬉しかった。
貴方と外の世界に行けて良かった。
だからこれからも、貴方は誰かを救ってあげて。
そう言ってお姫様は消えてゆく。
それからというもの、王子様は人助けを積極的にするようになり、やがて王となり平和な国を築き上げる。
そして寿命を迎えた王様は、微睡みの中でお姫様と出会い、天国で幸せに暮らした。
めでたし、めでたし。
僕はパタリと本を閉じた。
丁度彼女も歌い終えた。
ぽたっ。
雫が紙の上に落ちる音。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「え?」
「泣いてるよ?」
言われて始めて、雫の正体が自分の涙だと気づく。
「あれ……どうしてだろ……読み終わったら何かよく分からない気持ちで一杯になって……」
「どんなお話だったの?」
僕は手探りでポケットの中からハンカチを取り出して、本の上の涙を拭き取った。
「えっとね、王子様がお姫様に外の色んなものを見せてあげて、お姫様は喜ぶんだけど」
「外の世界かあ、お城の中はきっと窮屈だもんね。だけど?」
「王国でお姫様の事を嫌ってる人が、王子様が化け物に攫われたって噂を流すんだ」
「酷いじゃない! お姫様はちっとも悪くないのに……2人はどうしたの?」
「王子様が逃げようって言って逃げるんだけど……結局捕まっちゃって離れ離れにされちゃう」
「そんな……」
「最後はお姫様は処刑されて、王子様は悲しむんだけどね、夢の中でお姫様が王子様にこれからも人を助けてあげてって言ったから、王子様は王様になって幸せな国を作り上げた」
「それで最後はどうなるの?」
「歳をとった王様は死んじゃって、天国でお姫様と幸せに暮らしたんだって」
「会えたんだぁ……」
彼女はほっとため息をつく。
「うーん、私には君の気持ちが分かるわけじゃ無いんだけどね?多分君が泣いちゃったのって、幸せでよかったー、っていうほっとする気持ちと、お姫様が死んじゃって悲しいーって気持ちが混ざっちゃったからじゃないかな?」
ふっ、と笑うように息を吐く音がする。
温かい笑み。
「優しいんだね、君は」
「僕が?」
「だってこの物語の中の2人を思いやってるでしょ?」
「そう……なのかな?」
「きっとそうだよ! この王子様みたいにさ?」
「え!? いやいやそれはないよ……」
「なくないよー……だって私とお喋りしてくれるんだから」
「……え?」
ふと彼女の声のトーンが落ちた気がした。
「あっ、特に深い意味はないよ?」
「そう?」
「うん」
元気な声に戻った。
良かった。
「怪物っていえばさ、最近噂になってるよね?」
「確かに僕も聞いた事あるかも。詳しくは知らないんだけど」
「何かね、蛇の怪物で、姿を見た人は石にされちゃうんだって」
「石かあ……不思議だね」
「怖くないの?」
「だってそれってその人がわざとやってるか分からないでしょ? もしかしたらいい人で、石にしたくないとか思ってたりするかも」
「……凄いね、君は。本当に優しいね」
「そんな事ないよ? 僕は何にも……」
「ううん、十分だよ。だからこれからもいろんな人に優しくしてあげてね?」
「……? まあ、うん、わかった」
ぽたっ。
雫がベンチの上で音を立てる。
今度は僕の涙じゃない。
隣から啜り泣く声が聞こえてくる。
「ど、どうしたの!?」
「大丈夫……何も無いよ……っ」
「でも……」
「ただ、ただね……嬉しくって」
「嬉しい?」
「怪物って言われてる人のことをこんなに優しく見れる人が居るって分かったら……嬉しくって」
「君も十分優しいじゃないか」
「え?」
「僕よりもずっと思いやりがあると思うよ?」
「でも……だって私は───」
束の間の静寂。
ひらり、ひらりと蝶が過ぎてゆく。
「───やっぱり何でもない。ありがとう」
彼女がベンチから立ち上がる。
「そろそろ帰ろっかな」
「まだ居てくれたらいいのに」
「ううん、もう十分楽しんだから」
コツ、コツ、コツ、と彼女は歩みを進めて、それからくるりと振り返る。
「最後に嬉しい気持ちにもなれたしね」
「ねえ、また来てよ! 明日とかも僕はここに居るから!」
ここで別れたら、もう会えない気がして、僕は彼女を呼び止める。
「……うん」
「じゃあさ、新しい本も持ってくるよ」
「楽しみに……楽しみに待ってるね!」
「うん!じゃあ、また明日」
「じゃあ、ね」
彼女は再び進み、またくるりと振り返った。
「いつか、目、見えるようになるといいね!」
足音が遠ざかって行く。
僕は持っていた点字の本をぎゅっと抱きしめた。
次の日も、その次の日も、僕は同じ場所で彼女を待った。
雨の日も、風の日も、家の人には止められたけど、彼女が来るかもしれないと思い、同じ場所で、ずっと。
だけど、彼女は来なかった。
ある日、街はパレードのように賑やかになった。
家の人に訳を聞くと、怪物が殺されたらしい。
前に彼女が話していた、蛇の怪物。
メデューサ、と言うらしい。
僕はそれを聞いて、とても悲しいと思った。
僕の元に手紙が届いた。
点字の手紙。
そこには、ただ、こう書かれていた。
『初めて人と話せて 嬉しかった』
『君が私の声を綺麗と言ってくれて 嬉しかった』
『怪物を人って言ってくれて 嬉しかった』
『君は私に 沢山の嬉しいを送ってくれた』
『まるで あの本のお姫様になった気分だったよ』
『だから君は 私の王子様』
『約束 やぶってごめんね』
『もう 会えないけど』
『幸せな時間を過ごせた』
『ほんとうに ありがとう』
『さよなら』
『メデューサ とよばれた 怪物 より』
ぽたっ。
ぽたっ、ぽたっ、ぽたっ───。
涙が沢山、手紙の上に落ちる。
どうしようもなく涙が溢れてきて、止まらない。
どうして。
どうして僕は、気づけなかったんだろう。
嗚呼、僕は───。
そこでふと、二枚目があることに気づいた。
『追伸 自分を責めないで』
『また、ずっと先に会えることを願って』
涙を堪えながら、僕は必死に笑おうとする。
彼女がまた、心配しないように。
大丈夫、大丈夫だから。
遠い未来、どこかで会えるように。
手紙を読んだあの日から、僕は小さな子達に読み聞かせをするようになった。
その本で、誰かが救われるように、と願いながら。
初めは2人、3人だった読み聞かせも子供が沢山集まってきた。
年を経て、いつからか、僕は読み聞かせをする団体を立ち上げていた。
代表みたいな役は不似合いなんだけど、始めた人が長をやるべきだと言われた。
とはいえ、長になっても別にすることは変わらず毎日子供達に読み聞かせをする。
あの日の彼女のように、本に興味を持って欲しいから。
やがて僕は歳をとり、歩くことさえ困難になってしまった。
それでも休むことなく窓際のベッドの周りに子供を集めて本を読んでいた。
暖かく晴れたある日。
体調は悪かったけれども、それでも、と本棚に手を伸ばす。
僕が選んだ本の名前は───
『かいぶつの姫と王子様』
読み終えたら、僕はまた、涙を流していた。
子供達に心配されたけれど、それでも涙が止まらなかった。
やがて泣きやみ、子供達と話をしているうちに、だんだんと眠くなってきた。
子供の1人が大きな声で何かを叫び、誰かを呼びに行く。
その声すら、もう聞こえない。
ただ、周りに沢山の人がいることだけは分かった。
もうすぐ完全に眠ってしまうだろう。
ふわり、と花が香る。
ひらり、ひらりと蝶が舞う。
陽の光は暖かく僕達を包み込む。
───今日はあの日と同じ、読書日和だ。
ふと、まだ見ぬ君と、鮮やかであろう世界に思いを馳せる。
生まれ変わったら今度は、君が、見えるといいな。
本を読む少年の元に、ふわり、と風が花の香りを運ぶ。
少年の前を、蝶がひらり、ひらりと通って行く。
陽の光が、暖かく全てを包み込む。
少年が顔を上げると、目の前には本を覗き込む少女が居た。
少女は笑顔でこう問い掛ける。
「何、読んでるの?」
───その日は、読書日和だった。
未だ見ぬ世界の君の声 すずらん。 @tamahachi
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