後編

 地下の宇宙人専用住宅へ入居してから毎日、ミチヨは僕の様子を見に来ては、地球のことを聞いたり、水の足りなくなった故郷の話をしたりして、小一時間を過ごして行った。

 慣れない何もない生活の中で、ミチヨの来訪は僕の日課になり、欠かすことの出来ない楽しみになっていた。


 宇宙人対策管理事務所から毎日の食糧や衣類などが支給され、僕は、とりあえず不自由のない暮らしをさせてもらったから何かお礼をしたいと言ったら、水汲みを手伝ってほしいと言われた。

「わかった。早速、今日から手伝うよ」

「ありがとう。案内するわ」

 ミチヨは、毎日違う服を着て、僕の住居へやって来た。

 人間と殆ど変わらない衣類を身につけたモフモフは非現実感が半端ないけど、確かに生きていて、人間と同じ豊かな心を持っていた。

 僕はきっと、彼女の存在によって精神の安定を保って居られたのだと思う。

 異世界でずっと1人だなんて、考えただけでも耐えられない。


 ◇


 水汲み場に着いた時、僕は一瞬目を疑った。

 小さな井戸が一つ。昔ながらの深い穴を掘っただけのシンプルな井戸だった。

「これで、この星全体に供給する水を汲み上げるのか」

「そう。でもね、バケツ1杯から貯水槽1杯まで増幅させることが出来るから、バケツ1杯を5回でいいの」

 貯水槽は、星全体に5か所あるらしい。毎日、合計バケツ5杯の水を汲んで、それを5か所に運んで行くなんて、この小さな身体には、どう考えたって負担が大きすぎるだろう。

「そんなに大変な作業をどうして君が1人でやらなきゃいけないんだ?」

 ミチヨは、きょとんとした目で僕を見ていたが、急にネジが壊れたように笑いだした。


「ごめんなさい。あなたは地球の人だったわね。ちょっと、このバケツ持ってみて」

 ミチヨは、水を満たした大型のバケツを片手で軽々と持ち上げると、すっと僕に差し出した。

「お、おう」

 目分量で10kgは超えるであろうたっぷりの水は、さぞ重たいだろうと気合いを入れて両手で受け取ったが、空のバケツと変わらないほど軽かった。

「えっ……軽」

「重力が違うのよ」

 大した作業もしてなかったから、それまで気がつかなかった。言われてみれば、少し足元がふわふわするような気もしてきたが、多分、それは気の所為だろう。


 とても小さな星だから、5箇所を巡っても遠い気がしなかった。

「サトルが手伝ってくれたから、いつもの半分くらいの時間で済んだわ。ありがとう」

 ミチヨは、心底嬉しそうに微笑み、まん丸の瞳を三日月形に細めて、くるりと一回転すると、スカートの裾を摘んでバレリーナのようにお辞儀をした。映画でも観ているようだ。

「これからは、この仕事は毎日二人でやろう」

 僕は、少しでも役に立てたことが嬉しかった。久しぶりに仕事をした充実感よりも、ミチヨの喜びようが予想を遥かに上回っていたから、何よりそれが嬉しかったんだ。

「じゃあね、また明日」

「うん。お疲れ様」

 こんなふうに、僕らは原始的とも言える単純な毎日をただ繰り返し重ねていった。


 ◇


 そして、時は駆け抜けるように過ぎて、遂に僕らは、その日を迎えていた。僕が星の欠片に乗って、生まれた場所へ帰る日を。


 よく晴れた澄み渡る冬の夜。星流夜。


 地球では、クリスマスを目前に控え、街はイルミネーションで輝き、プレゼントを買い求める人々で繁華街のショップが一際賑わう華やかな頃だ。


「サトル、帰る日が来たみたい」

 ミチヨは、感情の見えない曖昧な表情で僕を見た。

「帰る日か……」

 待ち焦がれたはずの時はいつの間にか、どうでもいいような気がして、それなのに、得体の知れない何かが苦しいくらいに僕の胸を掻き乱す。

「サトル、どうしたの」

 白いモフモフの細くて短い毛が風に吹かれて、星空の下で微かに揺れていた。

「僕が帰ったら、ミチヨは、また1人で水汲みの仕事を続けるんだね」

「そうね。すべて元に戻るだけよ」

 感情のない声。彼女らしくない機械のような冷たい言い方だった。


「戻るだけ……そんなことが出来るのか」

 思わず問い詰める。

「出来なくても……どうしようもないもの」

 どうしようもないとわかっていても、なんとかしたかった。一体、何を?

「ねえ君は、本当は何処から来たの、故郷って、いつの何処なんだ?」

「それは」

 僕は、薄々気づいていたんだ。背筋が凍るような真実に。

「僕が帰る場所には、もう知る人は1人も住んでなくて、知らない人さえも居なくて、水も、すっかり枯れている。地球は、既に滅びてしまった。……そうなんだろう」

 ミチヨは、ほんの少し躊躇していたが、意を決したように、こくんと頷いた。


 黒い瞳が忙しなく揺れている。

 この人を悲しませたくはなかった。

「君は、とても優しくて可愛い人だ。大切な人なんだ。泣かないで。地球は、そんなに長くは持たないと思ってたよ。皆が予測してたことさ。第一、君の所為じゃないんだから気にしなくていい。僕は、此処に残る」

「サトル……」

「異世界転移なんて本当は有り得ないんだ。僕は、ずっと前に地球で命を落とした。だけど何かの手違いで、何故か時空を超えて宇宙を彷徨ってしまったんだ。それなら、僕にとっては理不尽でもなんでもない。もしかしてこれは転生って言うのかな。本当にラッキーだよ。君の言った通りだね。こんな幸運、滅多にない」

 本心だった。僕が確かに感じていたのは、安らぎと幸せな気持ちだったから。

「あなたは、それでいいの?……永遠の命は、絶望と同じよ」

「1人きりなら、そうかもしれない。でも僕らはあの時、出会ったんだ。もう戻れないよ」

 僕は、不安げに佇む人形みたいに儚げなモフモフの命を抱き寄せた。

 あたたかい。

 それは、僕が生まれた頃からよく知っている人の温もりだった。


「私の雇い主はね、地球人だったの。彼らは日に日に強くなる紫外線に耐え、極端な暑さも寒さも凌ぎやすいように、肉体的にも進化を遂げた。一回り小さな身体も、白い顔の毛も、大きな耳も濃い色の目も、進化の結果よ。私の祖先は、あなたと同じ姿だった。私は、あなたから見れば未来の人間ということになる」

 冷静に聞いてみると、衝撃的な話である。人が進化してモフモフになるなんて。

「未来か」

 だけど、そんなことも、どうだっていいような気がしてきた。姿形より、失われてはならないものが、ちゃんとある。溢れるほど、僕を満たしてゆく。

「あなたに、いっぱい嘘をついてしまった」

 ミチヨは、悲しそうに眉根を寄せて、漆黒の目に影を落とした。


「例えば?」

「この星の水は、この星の各地を潤しているだけ。ほかの場所に供給してるなんて嘘」

「そうか」

 でも、5倍に増幅する技術は本物なんだよな。

「あとはね、私の仕事は宇宙人対策管理事務所のお勤めじゃなくて……」

「うん」

「この星で、私、ずっとひとりぼっちだった」

 ミチヨは、今度は目を逸らさずに言った。

「いつから?」

「随分昔」

「寂しかったね」

「よくわからなかった。そういうものだと思っていたから」

「そうなんだ」

「だけど今は違う。あなたが行ってしまうと考えたら、引き裂かれるような痛みを感じたの。この感情は何?」

「何だろうね」


 僕は、寄り添う小さな身体をそっと抱きしめて、柔らかな白い毛に頬を寄せた。

 ほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐり、懐かしい気持ちになる。

 この小さな身体には、巡り巡って僕の血が流れているのだろうか。そんなことを思いながら、柔らかい毛を撫でていた。

 小さな星の四方八方に広がる空は、星流夜に相応しい澄み切った深い色で、満天の星々が届きそうな距離感でしきりに瞬く。

「星屑を空へ流すんだね」

「そう。彷徨えるものたちを在るべき場所へ帰すの」


 僕は、足元に転がっている発光体を一欠片拾って、僕が乗る代わりに、僕の記憶のしがらみを全部乗せて飛ばした。遠く遠く宇宙の彼方へ。


 僕は、この小さな星で生きてゆく。

過去のすべてを失っても、今ここに、確かな幸福を感じながら。

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星流夜 青い向日葵 @harumatukyukon

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