予言通りのはずなのに

 彼女、涼川名波は死んだ。電車への投身自殺だった。

 葬式には、彼女の友人がたくさん来ていた。勿論、そこに絵里は来ていなかった。きっと今頃、自分が死なせてしまったのかもしれないと自己嫌悪に駆られて部屋から出られないのだろう。彼女の、感情を押し殺し、自己欺瞞した笑顔が作った友人が式場で咽び泣く様子は嘉祥から見ればとても滑稽で、皮肉な光景だった。


 少しの間、千望一理病の彼女が投身自殺したことがメディアで大々的に報道されて、千望一理病の自殺率の高さ、どれほどの苦しい病なのかが世間の常識となっていった。きっと、いま嘉祥が告白すれば世間は羨望の眼差しではなく、同情する眼差しを送ってくれるはずだ。


 玄関で使い潰した靴を履いた。お墓に持っていく礼儀というものは嘉祥にはわからなかったため、名前も知らない適当な花と、彼女が読んでいたあの本を持っていく。


「独りであること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である」


 嘉祥もそう、呟いてみた。胸の奥の疼きが強くなった気がした。

 やはり、この言葉には彼女の匂いが染み付いている。この言葉は危険だ、きっと隠した感情が発露してしまうかもしれない。



 ジリリと肌を焼く日差しが鬱陶しかった。滲み出る汗をTシャツが吸ってグチャリと重くなる。不快だ。

 墓地は少し涼しかった。何か心霊的なものが関係しているのだろうか、それとも海に面しているから、風が吹きやすいためか。わからなくとも嘉祥には関係なかった。

 嘉祥は大学生になった。命日でもなければ、お盆でもない真夏にやって来たのは、きっと嘉祥が心の準備ができていないとか、大学が夏休みだからとかそういうものではないはずだ。嘉祥にもきっとこの答えはわからない。


『涼川家之墓』


と書かれたお墓が視界の端に写った。


 嘉祥にはお墓のマナーなど分からない。まずはお墓を洗うとは聞いたことはあるが、それ用の桶も杓も見つからない。仕方なく、そのままお墓に花を飾った。

 適当に手を合わせて願うふりをしてみた。彼女は死んで、天国にでもいるのだろうか、そもそも天国などあるのだろうか。などと考えてみても、ただ陳腐なだけで面白くなくて、お墓に来てまでそんなことで悩んでいる自分を嫌悪した。


「独りであること、未熟であること」


 手を合わせ終わって、もう一度そう呟いた。記憶の一部で彼女の声がカセットテープから流れるように重なった。


 目を閉じていた。視界は当然真っ暗で、そして蝉のジリジリと五月蝿い声がした。少しの間、孤独で、未熟になれた気がした。彼女はこんな孤独を味わっていたのかと、少し同情しそうになったが、それはお門違いだと思い、やめた。

 目を開けて見ると、そこには水彩画に水をぶちまけたように輪郭がぼやけた世界が広がっていた。ぼやけて、ゆらゆらと頼りなさげに揺れている世界だった。

 静かに頬を伝うものがあって、それを伝って見ると瞳から流れているようだった。それを考慮すると、嘉祥は泣いているらしい。


 涙とともに嗚咽が漏れそうになった。隠れていた感情が発露してしまう、そのことが、感情をひた隠しにしてきた嘉祥にとって恐ろしいことで、必死に唇を噛んで堪えた。


 あぁ、この気持ちを伝えたかった。溢れ出るこの感情を、死ぬ前の彼女に伝えればよかったのに。未練に後ろ髪引かれるようにして、強く後悔した。


 なぜ、あの時に俺は言わなかったのだろうか。こんなにも溢れて、言葉にしてしまえば蓋が決壊しそうになるほどに満たされているのに。彼女に言われて、嬉しかったはずなのに。


「俺も、好き、でした」


 嗚咽をついに漏らしながら、嘉祥は半分やけになって、叫びながら呟いた。

 

 静寂を切り裂くような蝉の声を内包した墓地に嘉祥の声が反響する。

 嘉祥の独白は暮石に反射して返って来ても、返ってくるはずだった彼女の返答は帰ってこなかった。



 ただ、ジリジリと焦がすように蝉の声が響く。

 孤独な夏だった。

 

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未来 ネギま馬 @negima6531

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