Dawn

夫婦墓

 青く塗り潰されたグラネラの空を、数羽の鳥が飛んで行った。


 黒く焦げ落ちた家々の上を滑るように飛ぶ鳥を、一人の青年がボンヤリと見つめていた。彼は国の外れに位置する寒村の生まれであったが、ある事件によって村民は彼一人となってしまった。


 ふと、青年は辺りを見渡す。


 数時間前まで戦火に包まれていたグラネラは、今では嘘のように静かで、ある種の清浄さすら感じられた。彼の傍には真っ白な砂が「人」の姿に積まれ、時折吹く風によってサラサラと何処かへ旅立っていく。


 青年は表情を変えずに砂を掬い、指の間から下へと流してみる。朝日が照らす細やかな粒子は、まるで季節外れの粉雪のようだった。


 おもむろに青年は上着を脱ぐとそれを地面に敷き、出来るだけ砂をその上に置いた。上着は袖の部分を器用に結ばれ、やがて砂は持ち運びが可能な状態となった。


 何処かから「誰かいるか」と声が響き、続いて「こっちよ」と他の者が答えた。雪解けを待っていた虫達が、無事に越冬した仲間を捜すようだった。あっという間の出来事を、俺は二度と忘れないだろう――青年は思った。


 砂を包んだ上着を持ち上げ、彼はまるで「大事な人」を運ぶようにゆっくりと歩き出した。やがて街の外れにある高台に着くと、一度だけ彼は振り返ってグラネラの街並みを眺めた。


「君が護った国が、まだ生きようとしている」


 彼の傍には誰もいない。


 それから彼は持っている上着を胸まで持ち上げ、上着自体に街を眺めさせるような仕草を取った。


 しばらくすると、彼は走る少年の姿を認めた。


 何かを言いながら駆けているようだった。


 少年は大きく手を振り、なおも走る。


 その先には少年の母親らしき女性が立っていて、果たして二人は通りの真ん中で抱き合った。


 青年は彼らの抱擁を見届けると、微笑みを浮かべながら歩き出した。




 建国以来、最大の危機――「忌まわしき夜」と後世の人間は語り継いだ――を乗り越えたサフォニアの国は、以降如何なる国にも攻められる事が無かった。


 実際には何カ国かがサフォニアの国境にまで進軍しては来たのだが、彼らは決して「ある一定の地域」からは進む事が出来なかったのである。何人兵士を投入しようと、強力な兵器を用いても突破が出来ない「見えない壁」があったからだ。


 侵略者達は口を揃えて「眉唾だ」と進軍するが、必ず最後には「魔女がいる」と恐れながら逃げ帰ったという。


 勿論、サフォニアに伝わる「魔女伝説」で語られるは死に絶えており、侵略者達を恐怖させた魔女はもういない。


 一説によればアトネという宿場町に「アトネにはもう一人魔女が住んでいて、ルーゴから町を護った」という昔話があるが、当時を知る者は最早皆が寿命を迎えていた。


 忌まわしき夜から三五〇年、サフォニアは充分な軍備を整える大国へと成長していた。


 王権は無くなり、代わりに市民の中から投票を以て選ばれる「国長」が政治を取り仕切っていた。


 一七代目の国長は「もう『母』が心配する事無きよう」と脆弱な軍備を増強させ、「自分の力で身を護る」重要性を説いたのである。それは同時に、かつて先祖が「魔女」に頼り切りだった――という汚名を雪ぐ事でもあった。


 サフォニアの国に、もう魔女はいない。


 しかしながら、彼女達が如何に国を造り、如何に間違い、如何に闘ったのか。


 そして一人の魔女と愛し合うも、果たして添い遂げられなかった男の伝説は、口伝や書籍を通じて国民の間に浸透していた。




「皆様、あちらにありますのが、『結界の魔女ファリナの夫婦墓』でございます。国内各地に魔女ファリナの墓はありますが、このトラデオル湖の畔にある夫婦墓は一番信憑性が高い、と言われております」


 観光客は添乗員の若い女が指し示す方向にある、小さな墓を見やり感嘆の声を上げた。「意外に小さいな」「何だか温かい感じ」と口々に彼らは感想を言い合った。


「夫婦墓……って事は、魔女ファリナと夫が埋葬されているのですか?」


「以前に墓を調査した際、ご老人一人分の遺骨が少し、そして何かを包んでいたらしい布の切れ端だけが見付かったそうです」


 添乗員は残念そうな顔で言った。


「あれ、墓の傍にある木は何の木ですか?」


「あぁ、あれですか」と添乗員は木に近付き、大きく育っている果実を一つもぎ取った。


「この木はシャネという、この辺りにしか分布していない木でございます。魔女ファリナはこの果実を好んで食べていた……という話もありますが、真相は分かっておりません。ですが、このシャネは一本だけ、墓の横に立っています。きっと誰かが……私個人の予想ではありますが、魔女ファリナの夫であった、ライキ――という人が、妻の為に植えたのではないか……と考えております」


 観光客は「さすがだ」と添乗員に拍手を送り、照れる彼女と共に墓の前で冥福を祈った。


 墓を囲むように生える植物が風に吹かれ、涼しげな音を立てている。その植物はウルジアという名前があり、薬草としても使えるのだが――今では名前も効用も、知る人はいない。


「あ、墓の後ろに小さく何か書いてあるぞ」


 一人の男が墓石の裏に回った時、隅に刻まれている文字らしきものを発見した。


「それは通称『波文字』ですね。水面が波打つような形の為、そう言われております。ですが……残念な事に何と書いてあるか……まだ判明してはいないそうです」


 一同は各々に推察をしてみるも、素人の彼らにとってこの課題はあまりに難解であった。知識人の老爺が「人名らしきものは書いてあると思うな」と口惜しそうに言った。


 不可思議なる波文字が、研究者達が死力を尽くしてもなお……解読される事は無かった。


 誰が何と書き記したのか? それを知る者は一人としていない。

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目明けのファリナ 文子夕夏 @yu_ka

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