No.8 手掛かり

 目が覚めると満たされるような感覚があった。

 上半身を起こしてお腹を撫でる。寝起きのそこにはなにも入っていないはずなのにじんわりと暖かい。

 また抜け出して食事にいってきたらしい。つまり世界からまた一人いらない人間が消えたのだ。そう思うと愛おしく思えて、ゆっくりとお腹を撫でる。


 着替えて食事をするために食堂に向かった。同室の奴らはとっくに着替えて移動していたらしい。ここに来たばかりの自分はいまいち馴染めていない。それでも別に問題ない。お腹の中にはちゃんと仲間がいる。


「ねえ聞いた。最近この辺りで変死体が見つかってるんだって」


 朝食をもらうために列に並んでいると囁き声が耳にはいってきた。近くの席に座った女の子達が話している。たしか中学生と小学生高学年のグループだ。


「変死体って?」

「知らないの。変な死体!」

「それじゃまんまでしょ」


 あきれた顔をしたのはその中では一番年長の子だった。ここに来たばかりの頃何かと声をかけられた記憶があるけど、なにも反応しないでいたら最近は声をかけられなくなった。


「なんかね、女の人ばかりが狙われてるんだって。こわいね。私たちも危ないのかな」

「大人ばかりって聞いたから大丈夫じゃない?」

「あれ、知ってたの?」

「まあね。ニュースでやってないし嘘臭いけど、噂だけはよく聞くよ」


 そんな話聞いた覚えがなかったけど、中学校と小学生じゃ話の巡りが違うのかもしれない。ただでさえ転校したてで友達はいなかったし、噂になっていても知らないだけかもしれないけど。


「そういえばニュースみないね。ってことは嘘なのかな」

「事件が起こるのは夜が多いらしいし、出歩くなっていう大人の脅しじゃない? 殺された人って悪いことしてたみたいだし」

「そうなの?」

「何でも子供を……」

「ほら、あなたの番よ」


 ぼんやりと会話を拾っていた耳に大きな声が入り込む。いつのまにか順番は自分の番になっていて、トレイを持ったおばさんがこちらを困った顔で見下ろしている。まだ後ろに人はいる。早くとってほしいらしい。


「ごめんなさい。眠くて」

「……あなた最近きたばかりよね? もしかして寝られないの?」


 さっきまでの困った顔が一転して心配そうに顔を覗き込まれる。あんまり顔をみられるのは好きじゃない。「大丈夫です」とあわててトレイを受け取ると早足で歩き去った。下を向いていたからおばさんがどんな顔をしていたか、周りがどんな顔をしていたか分からない。


 隅の席に座ると息をはく。大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返してお腹を撫でた。

 大丈夫。一人じゃない。大丈夫。見つからない。だってこんなの誰も信じない。信じないから捕まらないし、罪じゃない。だって自分はなにもやってない。ただ眠っているだけなんだから。


 願ったから人が死んでいる。そんな事実からは目をそらす。そもそも殺された奴らが悪いのだ。酷いことをしたから報いを受けたのだ。


「いただきます」


 両手をあわせて朝食に向き直る。ほかほかのご飯に暖かい味噌汁。お魚にサラダ。特別贅沢なものではないけれど幸せだった。

 暖かいご飯が食べられる。それはとても幸せなこと。箸が用意されている。テーブルの上にご飯がある。全部、全部、とても幸せなことなのだ。


 ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。それに笑みを浮かべてお腹をひとなで。あなたのお陰とささやけば、じんわりお腹が暖かくなった気がした。




※※※




 目が覚めると見慣れた天井が目にはいった。続いて鼻腔をくすぐるコーヒーの匂い。

 鈍く痛む頭を押さえて起き上がるとかけてあったらしい毛布がずり落ちた。久留島が寝ていたのは研究所の応接スペースにあるソファの上。どうせだったら休憩室まで運んでほしいと思うのは贅沢だろうか。


 部屋の中を見渡せば緒方はすぐに見つかった。書類を片手にデスクトップと向き合っている。机の上におかれたコーヒーからは湯気が立っていた。もしかしたらこの匂いで目が覚めたのかもしれない。


「起きたか」


 久留島にチラリと視線を向けると緒方はコーヒーを口に運んだ。コーヒーを飲み込み動く喉元をみていると、喉の乾きを覚えた。

 久留島はのろのろと立ち上がると給湯スペースにある冷蔵庫を開いた。常備されているミネラルウォーターを発見するとコップにうつす時間も惜しく直接口をつける。思ったよりも喉が乾いていたらしく気づけば半分ほどが体の中に吸い込まれていた。水が体に行き渡った感覚にほっと息をはく。やっと目覚めた心地だった。


「補充しとけよ。それは共用だ」

「……はい」


 給湯室は緒方のいる位置からは見えないはずだがバレている。久留島も直接口をつけたものをしれっと戻すほど図太くはないので、ペットボトルごと自分のデスクに持っていく。今度はちゃんと自分用のマグカップも用意し、並べて置いた。


「あの後どうなりました?」


 デスクの上に置いてあった財布とスマートフォンを確認する。落とすといけないと思ったのか無造作に突っ込んでいたポケットから回収されていた。そこまでしたらデスクの上ではなく引き出しにいれてほしいと思うのはやはり望みすぎなのか。


 スマートフォンの画面をつければ、あれから二時間ほどたっていた。見事な気絶である。自分でも情けないと久留島は眉を寄せた。


「お前を運んで戻ってきた。救急車呼ぶわけにもいかないからタクシー使った。これがレシート。お前が払えよ」


 デスクトップから視線をはずさないまま緒方はデスクの上におかれたレシートを久留島につき出した。かかれた金額はけして安いとはいえないが文句がいえる立場ではない。

 救急車をよんで騒ぎになっては問題だし、クティやマーゴが久留島を運ぶ手伝いをしてくれたとは思えない。間違いなく緒方が一人で気絶した久留島を研究所まで運んでくれたのだろう。

 久留島は平均的な身長ではあるが成人した男である。しかも脱力した人間は重い。その場に置いていかれなかっただけ有り難いと久留島は緒方を拝みたくなってきた。


「経費で落ちないこともないけどな、その場合はお前が気絶した経緯と、その後俺がお前を担いで帰ってきたことを事細かに報告書に書かなければいけないが……」

「自腹で十分です! むしろ自腹がいいてす! ご迷惑おかけしました!」


 久留島は声を張り上げ勢いよく頭を下げた。

 同世代と比べたら怖くなるほど貰っている立場である。そう考えたらタクシー代くらいたいした額ではない。それよりも提出した報告書を緒方以外の先輩にみられる方が恐ろしい。

 特視の捜査員は取り扱っている事象が特殊なこともあり、一癖、二癖あるような人が多い。というか、緒方曰くそういう人間しか生き残らないのだという。改めて何でそんなところに自分が入ってしまったのかと疑問がわくが、久留島はその疑問を一先ず横において緒方を見上げた。


「あの……それで、調査に進展は……」

「クティから助言をもらった。最初の被害者の身内、一緒に暮らしてた奴を調べろと」


 緒方はそういうとふうっと息をはき、久留島を手招きする。素直に久留島が近づくとデスクトップの画面を指差した。

 画面にうつっていたのは調査報告書。被害者の近辺を調べた時のものらしく、被害者の子供。一人の少女の写真と事情聴取の内容が記録されていた。


加西萌有李かさい めあり。最初の被害者の娘。被害者は親族と縁を切っていたみたいだな。父親も不明。引き取り手がなく、いまは児童保護施設にいる」

「この子が何か……?」


 幼い子供にしては暗い表情は気になるが、普通の子供にしか見えない。なぜクティがこの子を調べろといったのか、久留島にはまるで分からなかった。


「クティいわく、この子が犯人らしい」


 だから緒方の言葉が久留島には少しも理解できなかった。

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No.out 黒月水羽 @kurotuki012

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