【アナザーストーリー】由芽・1日前

 ~由芽編6話以降のアナザーストーリーです。6話以前の内容を確かめた上でお読みください~



 その日は朝からいい天気だった。空がまるで湖を映す天板のように光って、気持ちのいい朝だった。わたしの気持ちもすっきりしていた。それまでのもやもやは晴れて、一点の曇りもない青空だった。


 布団の中でうーんと腕を伸ばして体を起こす。隣には……夏生がまだ眠っていた。切れていた暖房のスイッチをまた入れる。悲しみは不思議と訪れなかった。

「あれ……? 僕、寝てた? 一度目が覚めて由芽の寝顔を見てたんだけど」

「わたしは夏生の寝顔をずっと見てたの」

「なんだよ、起こしてよ」

「かわいかったんだもーん」

 夏生がわたしをくすぐって、わたしは笑いながら布団を蹴飛ばした。埃が舞って、おふざけも終わりになる。

「由芽、かわいいね」

「……夏生は今日もイケメンだね」

「なんだよ、由芽はいつから秋穂ちゃんになったの?」

「やだー、もうくすがらないで」

 転げ回ってまた布団がベッドからずり落ちる。


 コーヒーを淹れるいい匂いがわたしに届く。夏生がマグカップをふたつ持ってローテーブルに置いてくれる。

「はい、お姫様。今日のブレンドです」

「ただのインスタントコーヒーじゃない」

 今日は笑顔ばかりだ。これも青空の効用かもしれない。

 少しの間、沈黙が心地よくふたりの間に横たわる……。コーヒーを飲む音だけが聞こえてくる。

「言わない方がいいことを言うのが僕なんだけどさ。要のところに戻らないの?」

 飲みかけたコーヒーを一口飲み下す。カップの水面が揺れる。わたしのコーヒーはミルクも砂糖も多めで、琥珀色とは言い難かった。

「昨日、もう戻らないって決めたの。要を許すことは難しいし、夏生を好きだと思ったし。でも何より、あなたといるわたしの方が自然な気がして」

 彼の目は一度、大きく見開き、それから衝動的にわたしを腕の中に閉じ込めてテーブルに置かれたカップが音を立てて揺れた。

「そういう理由でよかった。……同情とか、反動とか、そういうものだったらどうしようかと」

「ないよー、そういうのは」

「だって由芽は僕がどれくらい由芽を好きだったか知らないから」

 夏生の腕の中でこのままここにいられたらいいのに、と思う。しあわせな温もりが確かにここにはあるから。

「知ってるよ、少しは。前からわたしにちょこちょこ話しかけてくれてたじゃない? 何にも気がつかない程鈍くないし、自惚れる程バカじゃなかっただけだよ」

「自惚れてよかったのに」

「バカ……夏生みたいにかっこいい人に見られてるって思うの、自意識過剰じゃない? それにわたしは」

「いつも要の横だったし。僕は本当に悔しかったんだよ、昨日だって」

 キスをする。

 それは微妙に昨日までと違うキスだ。ふたりがコーヒーの香りで繋がってひとつになる。甘くて香ばしいキス……。




「17日」は終わってしまった。結局わたしは先にしまった。後悔したってもう遅い。ううん、もしかしたら今ならまだ間に合うのかもしれないけど……。

「由芽、先に行っちゃうよ」

「あ、待って! 手袋が片方、見つからないの」

 もう仕様がないなぁ、と言いながら夏生は履きかけたブーツを脱いで上がってきてくれる。どうしようもないわたしを、わたしとして受け入れてくれる。

「ほら、早く行かないと由芽のサンタさんは逃げると思うよ。それに手袋より靴下の方がサンタは好きなんじゃないかなぁ?」

「あ、手袋あったの?」

「靴下は?」

「もうっ! ひとりで買い物に行くの、本当は嫌いだって知ってるくせに!」


 そう、たった1週間一緒にいただけなのに彼はいろんなわたしを知っていた。それはわたしの「大切だった人」が彼に話してくれたことだった。その人はわたしにたくさんの物をくれて、たくさんの物を奪って行った。

 大恋愛だと思っていた。こんな風に誰かを思うことはできないな、と思っていた。その人を捨てて、別の誰かと手を繋ぐ。ふたりをひとりのように繋げていた2年間は、空の彼方に溶けて消えてしまったようだ。きっと、あの人の夢は2度と見ない。……見ない。


「クリスマスケーキはどんなのにする?」

「いろいろ見てから決めればいいんじゃないかなぁ?」

「予約は終わっちゃったかもしれないね」

 穏やかな彼の笑顔に吸い込まれる。わたしの気持ちはほら、もう彼に動いている。大丈夫、自分の決めた道を信じていけばきっと。

「プレゼント、何がいい?」

「えー、言っちゃったらつまらなくない?」

「きちんと聞いた方が間違いがないと思って」

 見つめ合う。笑みがこぼれる。何も言わなくても通じ合えることがある。それがうれしい。


 一緒にいることがこんなにうれしい。




(アナザーストーリー・了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

17日後 月波結 @musubi-me

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ