La grande ville de l'art―芸術の都にて
工藤行人
リュクサンブール公園の真昼時
夏は冷涼で名高いパリにあっても、ここ数日は運悪く三十度を超える日々が続いていた。それだから、雲一つ無い
ルーヴル美術館を出た智彦は、隣接するテュイルリー庭園には行かず、あらかじめ菜穂子に言われたとおりポンデザールを渡ってセーヌ川を越え、マラケ通りからセーヌ通りに入ってリュクサンブール公園への
ようやくオデオン座の脇に――吉祥寺オデヲンはここが由来なのだろうなと今さら思い出しながら――出ると、フランスの上院である元老院が置かれたリュクサンブール宮殿が視圏に収まってくる。その前庭は公園として市民に開放されていた。
公園には智彦の
木陰に沿って歩いて行くと、すぐに待ち合わせ場所のメディシスの泉に辿り着く。菜穂子はまだ来ていなかった。
公園の景色と人々を見巡らすのにも飽きてふと、手持ちぶさたにトートバッグから文庫本を取り出そうとすると、相変わらず子どもっぽい
半年ぶりであった。菜穂子は開口一番、「久しぶり」ではなく「なんだか疲れた顔してるね」と言ったので、智彦は思わず吹き出しそうになったが、彼の関心は
白く小さな花柄で埋め尽くされた
「彼女はフランス人の友人でルイーズ。同じ大学で勉強しているの」
と菜穂子は彼女を紹介した。ルイーズは「ハジメ、マ、シテ」と
慣れない外国の言葉を発するとき、人はどうしても幼くならざるを得ない。その効果に加えて、ルイーズの挨拶の語尾が質問調に上がったことで、智彦はその
「初めまして。Je suis Tomohiko Matsumiya.《松宮智彦です》」
智彦とルイーズは握手を交わした。ふくよかな手首に巻かれた腕時計の
「行こう。Allons-y.」
と菜穂子が促し、三人は宮殿の前の池に向かって歩を進めた。
――Quelles sont vos impressions sur Paris ?
《パリの印象はどう?》
――Le ciel bleu est très large. Le paysage urbain est ordonné et très différent de celui de Tokyo.
《空が青くてとても広い。街並みが秩序を保っていて、東京と全然違うね》
――Tu aimes les quartiers anciens?
《古い街並みが好きなの?》
――Oui.
《うん》
先導する菜穂子に少し遅れて、智彦とルイーズはそんな他愛ない会話をしながら歩いた。道に敷き詰められた細かい
菜穂子が「ほら、あれ」と左の方を指さした。智彦が視線を移すと、木々がそこだけ左右に開け、台座の上で両腕を広げながら片手に
暇を持て余した地上の神々が、陽射しを避けて木陰のベンチで涼を取る
三人は階段を上った処にあるベンチに腰を下ろしたが、よくよく聞いてみれば徹夜明けだという菜穂子とルイーズは、ルイーズの待ち人が来るまで少し眠らせて欲しいと言って、智彦を置き去りに、二人して夢の世界へと旅立っていった。それで智彦は仕方なく眼前に開けた神々の園のパノラマをぼんやりと眺めた。
日本では中々お目に掛かれない、まさしく絵画のようなこの公園も
携帯電話が震え、ルイーズが目を醒まし、そして並んで眠る菜穂子を起こした。程なくして一人の男性が三人の座るベンチに近付いてきた。その姿を認めるとルイーズは
――À la prochaine.
《じゃあまたね》
とルイーズは言ってティメオの腕に自分の腕を絡めた。
――Bon après-midi.
《良い午後を》
とだけティメオも言い、智彦と菜穂子もそれに応えて別れを告げた。背を向けて歩き出した二人を見守っていると、ルイーズが一度こちらを振り向いて、
遠ざかっていくルイーズとティメオは、やがて智彦と菜穂子の視線があるのを忘れてしまったかのように、否、それとも二人に見せびらかすつもりだろうか、歩きながらお互いの唇を
木々の葉を揺らす爽やかな風が吹き抜けた。おもむろに菜穂子が頭を
しばらくの間、二人はそのまま眼前の緑と開けた
「そろそろ僕たちも行こう」
と智彦が言ったので、菜穂子は智彦のパリ滞在中の宿となる彼女のアパルトマンへと彼を導いた。
※ミラン・クンデラ『無意味の祝祭』第1部に着想を得て。
La grande ville de l'art―芸術の都にて 工藤行人 @k-yukito
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