旅する病

樹一和宏

旅する病


 電気やガスがまだ普及していない頃、自分探しの旅をする男がいた。

 自分は何のために生まれたのか、自分が死ぬべき場所はどこなのか。

 身寄りもなく、村へ町へと当てもなく彷徨い歩き、手先の器用さを生かして手品を披露し、食いつないでいた。

 竹藪を抜け、獣道を行き、山を越えて、谷を越え。人と人の合間を縫っていき、見知らぬ人の慈善の中で男は生きてきた。手品をし、誰かが驚き、喜ぶ顔は男の生きがいであり、糧でもあった。

 もっともっと人のため、喜ぶ顔が見たい。俺はもしかして、こうして一時でも誰かを喜ばせるために生きているのかもしれない。

 長い旅の中で、男は自分の生きる理由を見出し始めていた。

 そんな男が、ある村に着いた時のことだった。

 藁葺き屋根が並ぶ民家の中央に、石で作られた女性の像が立っていた。凛とした顔立ちには聡明さが感じられ、丁寧に研磨された表面は滑らかに、隅々まで行き届いた清潔さは隠し切れない村人達の信仰度合が滲み出ていた。


「しかもべっぴんさんだ」


 時が止められたような石像が気になった男は、たまたま通りかかった老人に声を掛けた。


「すみません、そこの人、この石像は何ですか?」


 老人は嬉しそうにホホッと笑うと「この村の救世主だよ」と得意げに白い顎髭を撫でた。


「救世主?」と続きを催促すると、再び顎髭を撫で始める。

「この村は十年前、伝染病に侵され、壊滅寸前にあった。田畑は荒れ、家畜は死に、人も醜い姿に変わり、死んだ。だが、ふらりと現れた女性の旅人がその病を治したんだ。無事村は救われ、感謝した村人達がそれを讃えてこの石像を作ったんだ」

「それは凄い。その旅人は今どちらに?」

「さぁ……探し人がいるらしくて、病を治した後に村を去っていってしまったよホホッ」

「そうですか……」


 男が悲しそうに首を垂らすと、老人は姿勢を正すように背中を叩いた。


「そうしょげるはことない。向こうにある宿屋に行ってみなさい。当時旅人が寝泊まりしていた部屋が記念としてそのまま残されているから」

「本当ですか! 丁度宿も探していた所なんです。ありがとうございます」


 男は老人よりも深く腰を曲げると、顎髭を撫でる老人に背を向けた。


「そういや兄ちゃん、何者だ?」


 去ろうとする男に老人が尋ねると、男は待っていましたと言わんばかりに振り返り、得意げに老人の真似をしながら「こういうものです」と何もない掌に一輪の花を出現させた。


「おぉ、奇術師さんか、こりゃ珍しい」


 老人は手を叩くと「皆、旅人さんだ」と声を上げた。すると、近くを歩いていた人達、はたまた民家の戸口が次々と開き「旅人か」「やだ、旅人さん」「今旅人と言ったか?」と人々が男の元へと集まり出した。驚く男に老人は続けた。


「ホホッこの村の者は皆、旅人が好きなんだよ」


 笑う老人に男は満面の笑みを返し「それではお集まりの皆さん、是非楽しんでいってください。この魔法の一時を」とひらりと腕を振り、大げさにお辞儀をした。

 男が手品を一つ披露する度に歓声が上がり、その声は次々と人を集めた。硬貨が用意してあった籠の中でぶつかり合い、綺麗な音を上げる。

 最後に火を呑み込む手品を見せると、即席で行われた舞台は大歓声の中、幕を閉じた。

 男は恵んでもらったお金を持って、教えてもらった宿へと向かった。


「ホホッやぁいらっしゃい」


 宿で男を出迎えたのは、先程の白髭の老人だった。


「宿というのは主人の店のことでしたか、中々に御人が悪い」

「ホホッ」と老人が悪戯に笑った。


 男は一階の一室に案内されると、例の女性の旅人が泊まった部屋について質問した。


「あぁ、それなら二階の角部屋だよ。鍵は掛かってないから好きに見て回ってくれても構わない」


 男は荷物を置くと、早速二階の角部屋に向かった。

 戸を開け、最初に目に入ったのは色褪せた大量の書物だった。細々とした日常品が置かれ、長期に渡って滞在していたようだった。

 本を一つ手に取ると、様々な図形と共に手書きの文字がびっしりと書かれていた。


「もしまた病が流行った時はこれを参考にしてくださいって置いていったんだ」


 振り返ると、戸口には老人が立っていた。


「救世主さんもな、旅芸人でよく歌を歌っていたんだよ。優しい、良い歌だった」

「へぇー……歌、ですか……」


 男は想像した。淡い夕日、机の前で書物を書き、鼻歌を歌う女性。その綺麗な音色は開いた窓から外へと漏れ、病で傷ついた人々を撫でていく。

 窓の外を見ると、そこからは村を一望出来た。大通りは買い物や行き交う人で活気があり、少し路地に入れば子供達が駆けまわり、村の隅では老人達が集会を開いていた。

 救世主が救った村は、男が好きな人間の営みがそこかしこから感じ取れた。


「良い場所ですね」


 ハトが空を飛んでいき、男はその行方を目で追った。



 男はあったかもしれない当時の光景を想像していた。村を歩き、住民の暗さに悲しむ姿。死にゆく人を目の前に無力さで涙を流す姿。寝る間を惜しみ、ロウソクの火を頼りに研究する姿。

 男は何度も二階の角部屋に足を運び、書物を読み耽った。男の足を運ばせる原動力となったのは救世主への尊敬の念……それだけではなかった。

 この村に来た二日目、男は書物の隙間から一枚の写し絵を発見したのだ。


「やっぱりべっぴんさんだ」


 白黒のそれは、歌が上手そうな女性と顎髭の老人が和やかにお茶を飲んでいるものだった。男は懐に忍ばせると、人目を気にして、時折取り出して眺めていた。

 男は何度か女性と縁を結ぶことはあったが、それも全て一夜のこと。一人の女性にここまで夢中になるのは初めてだった。

 女性のいた証を探して男は時間を惜しむことなく書物を読み漁ることに費やした。自分の部屋より、その部屋で過ごす時間の方が長かった。

 整理された書物は、几帳面の表れだろうか。文字が丸みを帯びるのは、若さの表れだろうか。たまにユーモアが混じられる文章は、歌を歌うという彼女のセンスの表れだろうか。

 伝染病の研究資料とはいえ、男は読む度に、女性と会話しているような気分になった。

 想像を繰り返す度、彼女のイメージはどんどん固まっていく。いつしか夢にまで現れるようになった女性の姿を追い、男は遂に重い腰を上げた。

 村に到着して十四日目、女性の後を追って行くことにしたのだ。


「ホホッ旅人さん、もう行くんか?」


 顎髭を撫でる老人に男は告げる。


「はい、探している人がいるので」


 男は懐の写真をもう一度見ると、どこにいるのかも分からない女性を探して、その一歩を踏み出した。



 男がとある村に着いた時のことだった。

 その村に足を踏み入れた途端、男は異様な雰囲気に息を呑んだ。うなだれた草花、空になった家畜の小屋、建ち並ぶ建物は全て戸締りがなされ、外を出歩く者は一人としていなかったのだ。枯色に侵食されたそこには精気が一滴もないように感じた。

 乾いた風が吹き抜けていく。

 男は震える肩を両腕で抱くと、近くの民家の戸を叩いた。


「あのすみません旅の者です。この村はどうしたんですか?」


 戸の向こうからは喉を焼かれたような酷くしゃがれた声が返ってきた。


「旅人さん? 悪いことは言わねぇ、早くこの村から出て行った方がいい。もうこの村はもうおしめぇだ。シシ神様がお怒りになったんだ」

「シシ神様?」


 男の問いに返事はなかった。神隠しにでもあったのか、一瞬にしてものけの殻になったように家の中からは物音一つしなくなった。虫の音一つ聞こえず、沈黙がうるさく響く。

 妖怪でもいるのか?

 男は内心に怯えを抱きつつ、腰に据えた小刀に手を添えて、宿を探した。

 村の端の長い長い坂を上ると、小さな民宿があった。男は恐る恐る戸をくぐり「ごめんください」と声を震わせた。二、三度問いかけると、「はいはい、聞こえてますよ」と腰の曲がった老婆が「ヒヒッ」と笑いながら影から現れた。気味の悪さに思わず柄を握る。


「これはこれは、顔色の悪い方がいらっしゃいましたねヒヒッ」


 老婆の顔は見るに堪えないものをしていた。膿を溜め込んだように膨れ上がった瞼は左目を覆い隠し、腫れた鼻は皮膚が破けて血が滲み出ている。煮たった気泡のようなものはよく見ると顔だけではなく、全身にあるようで、手や襟元など服の隙間からそれが垣間見えた。

 しかめそうになる顔を男は必死で堪えた。


「泊まりたいのですが、よろしいですか?」

「どうぞどうぞ、全室空いております。お好きな部屋へどうぞヒヒッ」


 何がそんなにおかしいのか。生理的にも嫌悪しそうになり、男は階段を上る際、老婆の見てない隙を見て顔をしかめた。

 男が選んだのは村が一望できる二階の角部屋だった。景色が良い部屋を選びたいというのもあるが、それよりもその地域の顔が見たかったのだ。

 村を一望すると奇妙なことに、この村一帯だけがドーナッツ状に色を失っていた。

 男は一階に下り、受付に座る老婆に尋ねた。


「あの、この村に何があったんですか? シシ神のお怒りなんて聞きましたけど」

「シシ神様のお怒り? ヒヒッそんなんじゃない。これは伝染病のせいだよ」

「伝染病」


 男はすぐにあの以前立ち寄った村とあの女性を連想した。


「宿屋のあたしが言うのも何だがねヒヒッ。長居はやめといた方がいいよ」

「あなたは出ていかないのですか?」

「ヒヒッ意地悪なことを言うね。あたしゃあ後先短い。遅かれ早かれ死ぬんだ今更逃げ延びようとする気はないさ。それにこの村を出ていったところでどう生きるってんだい?」


 男はその問いに答えることは出来なかった。それは答えが分からなかっただけではない。定住のない男にとっても、いつかは直面する問題でもあるからだった。

 居心地の悪さを覚えた男は「すみません、部屋に戻ります」と話を切り上げ、言葉通りに部屋へと避難した。

 その日の晩、晩飯と言われ出されたのはお湯のような丼飯だった。貧相ではあるが、贅沢は言えないと思い、男は黙ってそれを頬張った。食べるのはいいのだが、首を上げると正面にはあの老婆がじっとこちらを見ていた。何が面白いか、今にもヒヒッと笑い出しそうだった。


「あのすみません、そんなに見られると気になるのですが」

「ヒヒッ気にするな」無理な話だ。


 老婆の姿は食事時に見るには中々に食欲を減退させるものがあった。寧ろ貧相な食事を誤魔化すために、態とやっているようにさえ思えてくる。

 男は咳払いをし、喉を通らなくなった丼を端に寄せると、手品を披露することにした。

 老婆と仲良くなれば少しはこの居心地の悪さが紛れるかもしれないと踏んだのだ

 手軽に出来る絵札と硬貨を使った手品を披露した。だが、老婆は板についた不気味な笑い方をし、「今のは硬貨を入れたフリをして手に隠したね」「その絵札ちょっと貸してみなさい。きっと二枚にくっついているはずだから」と見事無残に仕掛けを見破った。


「お、恐れ入った……」


 男はその観察眼に脱帽した。


「不思議な力ってのは信じてないんだ」と老婆は楽しそうに喉を引きつらせた。



 雲一つない快晴の空だというのに、肌を撫でる空気は冷気を纏い、肌を突き刺していく。

 男は窓から村を眺めていた。日が明けてから男は今一度村の中を散策したのだ。だが、廃墟ように静まり返ったそこは昨日とは何も変化がなく、ただ朽ちるのを待っているようだった。

 男は懐から写し絵を取り出し、眺めた。癖になっているその動作は我ながら気持ち悪いな、と最近は思いつつあった。


「おやおや、これまた懐かしい顔だねぇ」


 突然の声に振り向くと宿主の老婆がいた。驚き、思わず写し絵を懐に戻したが、時既に遅し。男は顔の温度が上がるのを感じつつ、一つの疑問が湧いた。


「この写し絵の女性を知っているのですか?」

「ヒヒッ少し前に泊まりにきたよ。丁度この部屋だったかの、出て行った後は知らんが」

「そ、それはいつのことですか」

「一ヶ月ぐらい前だったかの?」


 老婆は笑いながら部屋を出て行った。男は喜びのあまり拳を握った。近くまで来ている。もう憧れだけの遠い存在ではない。現実味を帯びた老婆の言葉が男の胸の中でしっかりと足跡を付けた。しかし、同時に男の中で迷いが生まれた。

 きっと追い掛ければ近い内に彼女に会える。だが、彼女が困っている村を救ったように、俺もこの村のために何かしたい。しかしそんなことをすれば彼女との距離はまた離れてしまう。

 葛藤する想い。男の生きがいは誰かを喜ばせることであり、写し絵の彼女もまた、男と同じことを生きがいにしていたのだろう。

 男はしばし考えた後、夕食時に老婆に話を切り出すことにした。


「宿主、思慮深いと見込んで」

「ババアでいいよ」

「……宿主、思慮深いと見込んでお聞きします」

「ヒヒッなんだい」

「この村のために、私にできることはありませんか?」


 老婆は今一度笑った。


「死ぬ覚悟はあるのかい?」


 その問いに男は息を呑んだ。それの意味の重さを図りかねたのだ。

 夕食が終わると、男は老婆に連れられて薄暗い地下室へと向かった。人ではない何か、それこそ妖怪が出そうな階段を下った先。ロウソクの火が二人の影を揺らす。

 地下室の中は、まるで魔女が怪しい薬を作るためにこしらえた部屋のようだった。カエル、カラス、ヘビ、ムカデなど、様々な生き物が薬品で満たされた瓶に詰められ、あまり見かけない植物が棚を占拠していた。


「この部屋は?」

「ヒヒッここはあたしの部屋さ。伝染病の研究をしているんだよ」


 男は驚いた。机の上に乱雑に置かれた粉や毒々しい液体は全て試作されたものだと思われた。天才か狂人か。男は床に積まれた書物の一つを手に取った。中には図と化学式、達筆に書かれた文字がぎっしりと詰め込まれていた。


「宿主、あなたは一体……」

「ヒヒッ、さぁなんだろうねぇ」


 老婆は白い粉を小皿に入れると、自分の唾液を混ぜた。白い粉はみるみる内に水色へと変わっていく。


「あっ、この反応は!」

「ヒヒッ、お前さん知っているのかい?」


男はそれに見覚えがあった。以前読み込んだ書物に書かれていたものと同じだったのだ。


「はい、以前立ち寄った村で見たことがあります」

「なんと、それはたまげた」

「この病がもし、あの村と同じものだったら、治療法が分かるかもしれません」


 開いているか定かではない老婆の目が、見開いた。



 男は記憶を頼りにまず一つの薬を完成させた。しかし、それでは老婆の病気は治らなかった。嘲笑してくる老婆に、男は「一部の記憶が不鮮明でした」と白状し、次から老婆と共に、試作品を作っていくことになった。男と老婆の書いた研究資料は膨大な量になっていき、地下室に保存しきれない一部を男の宿泊する部屋に保存することになった。男は夜な夜な資料と睨めっこをし、寝苦しい時間を味わった。

 村人が一人、また一人と亡くなった話を聞く度に、男は焦った。これ以上村人に被害者を出したくないのと、老婆がいつ死ぬか分からなかったからだ。老婆が死ねば恐らく薬は完成しない。寝る間を惜しまず、男は考え続けた。

 そして、四十九回目の調合実験を終えた時、男と老婆は一つの薬を完成させた。

 本当にこれでいいのか、不安に駆られる男を他所に、老婆は一息に完成したばかりの薬を呑み込んだ。苦味があるのか一瞬苦悶の表情を浮かべると、老婆は大きく息を吐き、今までになく明るい顔をした。


「ヒヒッ気のせいかもしれんが、心なしか気分が良い」

「いや、気のせいじゃありませんよ……」


 煮えたぎる溶岩のようにブクブクしていた顔が、みるみる内に赤みを失い、腫れがひいていく。まるで魔法が解けたようだった。老婆自身もお椀の水に映る自分を見て驚いた。


「は、反応は だ、唾液っ!」


小皿に取った白い粉に老婆の唾液を混ぜる。粉は団子状に固まるだけで、白いままだった。


「や、やった……」


 男は老婆と目を合わせると、無意識に互いに手を取り合って喜んだ。ヒヒヒヒヒ、と不気味な二人の笑い声が薄暗い部屋にこだました。



 男と老婆は調合した薬を使って村人を救いまわった。

 北で子供が泣けば走っていき、南で苦しんでいる人がいれば老婆を置いていき、東西で死にそうな人がいれば手分けして薬を広めていった。

 畑に撒けば緑が息を吹き返し、虫が冬眠から目覚めたように飛び回った。気付けば家畜の声も聞こえ出し、振り向けば屋外にいても人の話し声が聞こえるようになっていた。


「旅人様、ありがとうございます。あなた様のお陰です」


 男がこの村に着いてから、村長が涙ながらに男の手を握るまで、約半年が経過していた。

 老婆も村人に感謝を寄せられ、最近ではあの民宿に村人が集まるようになっていた。

 男は満足していた。人に喜んでもらうことを生きがいにしていた男にとって、多くの人に感謝されるというのは、それはもう死んでもいいぐらいに。

 空を仰げば、今まで見ていた景色と少し違って見えた。

 この村に永住しようか。そんなことも考えたが、男には一つだけやり残したことがあった。それは写し絵の女性に会うことである。

 男は久しぶりに写し絵を取り出し、大きく振り上げると青空に透かすように眺めた。


「ヒヒッまた写真なんか眺めて。そろそろ行くよ」


 振り返ると、初めて会った頃とは別人にようになった老婆がいた。


「あ、あぁ、もうそんな時間か、すみません」


 男は切り株から立ち上がると、老婆と共に集合場所である村の中央へと向かった。

 中央には既に三十人ほどの村人が集まっており、楽しそうに雑談をしていた。男と老婆が最後だったようで、村長が二人の顔を確認すると「それじゃあ捜索を始めるぞぉ」と声を上げた。

 今日やることは、病原菌の発生地を探すことだった。

 二人一組に分かれ、中央から円状に広がっていき、反応薬を使って発生源を探すのだ。

 当然男は老婆と組むことになった。二人は植物をすり潰して反応薬の色を伺いながら北へと進む。

 無反応。無反応。無反応。

 こっちではないか、と二人で話し始めた頃、村の切れ目とも言える雑木林とぶつかった。ここで最後にしようと葉を調査すると、反応薬が水色に変色した。

 男と老婆は顔を見合わせ、雑木林の中へと足を踏み入れた。

 奥へ奥へと進み、木漏れ日の光さえ届かなくなった所で、二人は息を止めるほどの臭いに足を止めた。


「ヒヒッお前さん、あれを見てみぃ」


 老婆が指した所を見ると、一箇所だけ不自然に草が枯れ、民家の扉並みに大きい黒い何かがあった。近寄ると、臭いの濃度が増した。


「こ、これは……」


 男は近寄り、目を凝らした。そしてその正体が分かった時、男はギョッとし、喉から絞り出すような悲鳴を上げた。


「ヒヒッどうしたんじゃ?」

「こ、これ、人間の死体です」


 動物に食べられたのか、死体の破損状況は酷く、死後から大分時間が経っているようで白骨化もかなり進んでいた。顔の人相どころか、性別の判断さえ出来なくなっている。

 男が試しにその死体に反応薬をかけると、これまでに見たことがないほどに深い青色に変色した。


「間違いない。発生源はこれですね」

「ヒヒッ死体が発生源……感染者だったのかねぇ」

「たぶん、そうだと思います。とにかく他の人を呼んでこの死体を燃やしましょう」


 男が離れようとした時、死体の中から何かが見えた。大事そうに手に握られ、死ぬ直前まで持っていたと思われた。男はゆっくりとそれを取る。


「これは……写し絵……」


 表面を手で拭う。映っていたのは手品が上手そうな見知らぬ男と奇妙な笑い方をしそうな見知らぬ老婆だった。絵の中の二人は楽しそうに小突き合いをしていた。

 まるで自分達のようだと思った。

 男はそっと死体の手の中に戻すと、両手を合わせて目を瞑った。



 翌日、男は旅立つことを決めた。夜に世話になった老婆にだけ伝え、早朝に村の出口へ向かう。だが、出口となる標石前には、既に十数人ほどの村人が集まっていた。後ろから老婆の笑い声が聞こえてくる。


「旅人さん、もう行っちゃうんですか?」と仲良くなった村人達が門出を名残惜しんでいく。

「もっとここにいればいいのに」「まだ行かないでほしい」と言われ、男は涙を流した。村を離れる名残惜しさ、別れを悲しんでくれる人々。色んな気持ちが交じり合い、涙が伝染していく。

「ヒヒッどうせあの世で会うんだ、先に行くんじゃないよ」


 男は大きく頭を下げるのを最後に、声に背中を押され、再び旅立った。

 その手には、いつか会いたいと願った女性の写し絵を片手に。



 電気やガスがまだ普及していない頃、自分探しの旅をする女がいた。

 自分は何のために生まれたのか、自分が死ぬべき場所はどこなのか。

 身寄りもなく、村へ町へと当てもなく彷徨い歩き、喉の性質を生かし、歌を歌って食いつないでいた。

 そんな女が、ある村に着いた時のことだった。

 藁葺き屋根が並ぶ民家の中央に、石で作られた男性の像が立っていた。凛とした顔立ちには聡明さが感じられ、丁寧に研磨された表面は滑らかに、隅々まで行き届いた清潔さは隠し切れない村人達の信仰度合が滲み出ていた。


「しかもイケメンときた」


 時が止められたような石像が気になった女は、たまたま通りかかった老婆に声を掛けた。


「すみません、そこの人、この石像は何ですか?」


 老婆は嬉しそうにヒヒッと笑うと「この村の救世主だよ」と語り始めた。

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旅する病 樹一和宏 @hitobasira1129

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