第3話
「ただいまー」
俺が自宅のキッチンで飲み物の用意をしていた所、姉ちゃんが帰ってきた。
初夏の今、サマースーツとは言え長袖で外を歩くのはやはり相当暑いらしく、部屋に入って来るなり胸元をパタパタとさせている。もしここに父さんがいたら「はしたないから止めなさい」って言っただろうけど、幸いまだ仕事で、帰ってきていないけど。
「あ、駿。私にも何か飲み物頂戴。氷大目で」
「姉ちゃん。俺は今勉強中なんだけど」
「してないじゃない」
「今は飲み物を取りに来ただけ。すぐに戻って再開するよ」
もうすぐ期末テスト。部活動も休みだから授業が終わるとすぐに帰ってきて勉強をしていたのだ。
「高校生は大変ねえ。そうだ、何なら私が勉強見てあげようか?」
「いい。姉ちゃんが教えようとしても、勉強にならない気がするから」
「何よ。教えるのがヘタだって言いたいの?」
頬を膨らませてむくれてしまった。
姉ちゃん。コールドスリープから目醒めたばかりの頃は、俺との距離感が分からなかったみたいだけど、いつの頃からか距離なんて無くなっている。というか、姉ちゃんはちょっと多干渉気味かも。今みたいにことある毎に勉強を見ようとしたり、急に何の脈絡もなくベタベタしてくることもあるのだから。
さて、それはとうと。俺がさっき『姉ちゃんが教えようとしても勉強にならない』と言ったのは、決して姉ちゃんの教え方がヘタと言うわけでは無い。姉ちゃんは実際教え上手で、受験の時なんかは大いにお世話になった。だけど今回に限って言えば、役に立つかどうかは微妙だ。何故なら……
「駿、飲み物用意するなら俺も手伝……あれ、棘。帰ってたのか?」
「えっ?て、輝明君⁉」
役に立つか分からない理由。それは勉強部屋に、桐生がいる為。俺に教えるだけなら問題無いだろうけど、愛しの彼氏がそばにいたのでは、教える事に集中できるかどうか。
姉ちゃんはさっきまでむくれていたというのに、一転して驚きの表情に変わっている。
「な、何でうちに?」
「ああ、もうすぐ期末テストだから、駿と一緒に勉強会やってるんだ。十年寝てる間に、高校の勉強ってずいぶんと難しくなったんだな」
「たぶんだけど、十年前とあんまり変わって無いと思うよ」
淡々と話す俺や桐生とは違って、姉ちゃんはこの予想外の訪問者に目が釘付けになりながら、口をパクパクさせている。だけどすぐに自分が汗を掻いたままの姿でいる事に気付いて慌てる。
「駿、輝明君が来てるのなら早く言ってよね。ちょっと待っててね、すぐに着替えてくるから。勉強なら、私が見てあげるからね」
そう言って一目散に自分の部屋へと引っ込んで行ってしまった。彼氏の前だから、みっともない姿を見せたくはなかったらしい。
姉ちゃんがいなくなると、桐生は何がおかしいのかくすくすと笑う。
「相変わらず仲いいな、お前ら姉弟」
「別に普通じゃないですか?まあ姉ちゃんは少々ブラコンな所があるような気もしますけど。ちょっとウザいくらいに」
「そう言ってやるなって。お前だって昔は、姉ちゃん大好きだったじゃねえか。たしか小学校の頃作文で、『ぼくのおねえちゃん』って……」
「人の黒歴史を言うな!」
あの作文はもう燃えるゴミに出したし、俺も姉ちゃんもその事はとっくに忘れていた。だけどコールドスリープから目覚めた桐生が当時の事を覚えていたのは大きな誤算だった。
「俺よりも、桐生の方が仲良いだろ。なんたって彼氏なんだから」
「うーん。そうかもしれねーけど、今はまだ俺の望んでるような関係じゃないんだよなあ」
「はあ?姉ちゃんの何が不満なんですか?」
「いや、棘には不満は無いんだけどな。勉強を見てやるなんて言われたけど、何だか俺って、棘に頼ってばかりだからな。もう少し俺の方が頼ってもらえるようになりてーよ」
そう言って桐生はふと遠い目をする。俺から見ればバカップルな二人だけど、どうやら本人にしか分からない悩みというものがあるみたいだ。けど……
「桐生、ちゃんと姉ちゃんに頼られてると思うよ。姉ちゃん桐生さんといる時、凄く幸せそうだから」
桐生が眠っている間は、いつもどこか哀愁を漂わせていた姉ちゃんだったけど、目が醒めてからは目に見えて明るくなった。桐生は気づいていないみたいだけど、しっかり姉ちゃんを支えているんだよ。
「こっちの用意は俺がしておくから、桐生は俺の部屋に戻っておいて。きっとすぐに姉ちゃんも来るだろから、相手してやっててよ」
「了解」
桐生を部屋に帰して、三人分のジュースとお菓子を用意する。
本当は姉ちゃんと桐生を二人きりにさせてあげたい気もするけど、テスト前だし。今はしっかり勉強しておくべきだろう。桐生の成績、結構ヤバいからなあ。
お盆にジュースとお菓子を乗せて、二階にある自分の部屋へと向かう。姉ちゃん、もう来てるかな?そんな事を考えながら、部屋のドアを開けると。
「「あっ」」
ドアを開けた姿勢のまま、一瞬固まった。
姉ちゃんも桐生さんも、いったい何をやっていたのだろう?俺と同様に二人も固まっていた。キス直前まで顔を近づけた状態のまま。
俺は硬直ている二人をよそに、ジュースとお菓子をテーブルの上に置いて、自分の分の勉強道具を手に取って部屋を出て行こうとする。
俺はリビングで勉強するから、二人はどうぞごゆっくり……
「ま、待って駿!お願いだから無言のまま出て行かないで!」
正気に戻った姉ちゃんが慌てて引き止める。
そんなこと言われても、俺は別に二人の邪魔をしたいわけじゃ無いし。どの道ここにいても勉強どころじゃ無さそうだし。
「お願い、お父さんには黙ってて!」
「言わないよ。父さんに話して血の雨を降らせるなんて、俺だってごめんだもの」
うちの父さん、昔気質な人だから。姉ちゃんがキスしようとしてたなんて知ったらどれだけ怒る事か。
そして俺達がこんな風に言い合っている姿を見て、桐生は暢気に笑みを浮かべている。
「やっぱり仲良いな、お前ら」
だから、仲が良いのは姉ちゃんと桐生さんの方だって。少し目を離しただけでこれなんだから、相当なものだ。
まあ良いんだけどね。クラスメイトと姉ちゃんが恋人同士って言うのもなんだか不思議感じだけど、反対なんてするつもりは無いし。
十年も好きな人の事を待っていた姉ちゃんとその気持ちに応えようと必死になってる人なんだから。年の差が有っても、ちょっと普通じゃなかったとしても。俺はやっぱり、二人の事を応援するよ。
眠り姫JKだった俺の姉ちゃん 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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