第2話 

 さて、ここでコールドスリープと、うちの姉ちゃん、それと桐生輝明さんについてちょっと説明しておこう。


 そもそもコールドスリープと言うのは、今の医学では治療不可能な病気を持つ患者さんを、仮死状態にして何年も眠らせる技術の事である。

 今は治療不可能でも、眠っている間に病気の治療法を確立させて治療を行うと言うのが、コールドスリープの目的。ただ治療法が見つかるまで何年も、あるいは何十年も眠らなければいけないわけだから、コールドスリープする人は、相当な覚悟がいる。南瀬一人だけ時の流れに置いていかれるわけだから、俺だったら怖いって思ってしまうだろう。


 それでも実際にそんなコールドスリープをした事がある人が、俺の家族の中にいる。

 それが姉ちゃんの龍宮棘。15歳の時にコールドスリープして、十四年もの間眠っていた。


 眠りにつく前の姉ちゃんがどんな様子だったのか、俺は話の上でしか知らない。何せ俺が産まれたのは、姉ちゃんが眠っている最中だったのだから、当時の事をちゃんとは知らないのだ。

 俺が覚えている姉ちゃんに関する最初の記憶は、たぶん3歳くらいの時の事。病院でコールドスリープ用のカプセルに入って眠る姉ちゃんを見せられて、父さんと母さんから「この子が駿のお姉ちゃんなんだよ。今は眠っているけど目が醒めたら、仲良くしてあげてね」って言われたっけ。


 当時兄や姉に憧れを抱いていた俺は、姉ちゃんが目覚めるのを今か今かと待っていたかな。で、目を醒ましたのが俺が小学校に上がる少し前。姉ちゃん最初は、いきなり弟が出来てた事に驚いて、ギクシャクしていたけど、今ではそれなりに仲良くなっていると思う。戸籍上では24歳、コールドスリープしていた時間を差っ引いても10歳歳の離れた姉弟だけど、上手くやってはいるつもりだ。


 さて、そんな姉ちゃんだけど、実は高校の頃から、コールドスリープが明けてから付き合っている彼氏がいる。

 それと言うのが、その、今日うちのクラスに復学してきた桐生さんなんだよね。


 俺が初めて桐生さんと出会ったのは、小学一年生の頃。当時抱いた印象は、気さくで優しいお兄さんと言った感じだった。

 だけどその後、今度は実は心臓に病があった桐生さんがコールドスリープすることになって。以来十年、桐生さんとは眠り続けた。


 だけどその間も、姉ちゃんはずっと桐生さんが目醒めるのを待ち続けていて。目が醒めたと聞いた時は何だか俺も嬉しかったけど、まさか同じクラスの同級生になってしまうなんて、いったい誰が想像しただろうか?


「いやー、まさか同じクラスに駿がいるなんてな。周り皆知らない奴らばかりで心細かったから助かったぜ」

「嘘言わないで下さい。桐生さんはそんな人見知りするような人じゃないでしょ」


 学食で二人して昼食をとりながら、俺はため息をつく。

 一体どうして二人で食事をしているのかと言うと、昼休みになった途端桐生さんが声をかけてきて、有無を言わさずにここまで連行されたと言うわけである。


「もうすっかり馴染んじゃっていますよ。休み時間の度に女子から質問攻めにあっていたじゃないですか」

「ああ、だからお前に声をかけるのが遅れちまったんっだよ。けど昼飯には誘えて良かった」

「別に無理して俺を誘わなくても良かったんじゃないですか?一緒に食べる人くらい、桐生さんなら事欠かなかったでしょう」


 事実、一緒にお昼を取りたいと言ってきた女子の頼みを断った事を、俺は知っている。だけど俺の発言を聞いた途端、桐生さんは眉間にシワをよせた。


「お前なあ。俺がクラスの女の子と仲良く飯食って、それで何とも思わないのかよ?」

「それは……」


 思わない、なんてことは無いかも。だって桐生さんは、姉ちゃんの彼氏なのだから。それなのに他の女の子と仲良くすると言うのは、やはり面白くない。

 一応言っておくけど、俺は決してシスコンと言うわけじゃ無い。だけどそれでも、姉ちゃんが如何に桐生さんの事を想っているかを知っているから。やっぱり知らん顔なんて出来ないんだよね。


「なあ駿。俺が眠っている間、龍宮ってどんな様子だった?」

「そんなの、本人に聞けばいいでしょ?」

「それがそうもいかないんだよ。アイツ俺に気を使って、都合の悪い事は全部誤魔化してくるからよ。本人は上手く隠してるつもりかもしれねーけど、アイツ嘘下手だからなあ。なんか無理してるって分かるんだよ」


 ふと遠い目をする桐生さん。俺はその姉ちゃんが何をどう誤魔化しているかは知らないし、そもそも何かを隠す必要なんてあるのかって思うけど。二人ともコールドスリープの経験者なんだから、きっと本人達にしか分からない何かがあるのだろう。


 本当は姉ちゃんが隠しているのなら、本当は俺が言うべきじゃないのかもしれない。けど桐生さんだってきっと、そうと分かって尋ねて来てるんだ。だからちょっと迷ったけど、俺は知っている限りの事を話すことにした。


「桐生さんは自分が眠っている間、姉ちゃんがどうしてたか聞いています?」

「普通に勉強して進学して、社会人になったって言ってたけど、詳しい事はあまり話してくれないんだよな。何か隠してるような気がするんだけどよ」

「それじゃあ姉ちゃんが最低でも週一回くらい、桐生さんの様子を見に病院に通っていた事は?」

「……たまに様子を見に来ていたっては聞いてたけど、そんな頻繁だってってことは初耳だ」


 やっぱり。

 姉ちゃんのことだから気を使わせまいと、桐生さんには黙っているような気がしたんだよ。


「起きるのはまだまだ先だって分かっていても、それでも足しげく通っていましたよ。見ているこっちが痛いくらいに。別に様子を見に行ったって、何か出来るってわけでもないのに」


 前に一度その事を姉ちゃんに言った事があるけど、本人は『私が行きたいから行くの。途中で投げ出さないって、決めたんだから』って、何故かちょっと切なげな顔でいていたっけ。

 その表情の意味はよく分からなかったけど、もしかしたら姉ちゃん自身がコールドスリープしていた時にも、何かあったのかもしれない。


「あと他に、今の仕事場の同僚から色々からかわれてるらしいですよ。高校生と付き合ってるなんておかしい、子供っぽすぎて対象外だろって……って、桐生さん。大丈夫ですか?」


 頭を押さえながら項垂れる桐生さんを見て、慌てて話すのを止める。


「……子供っぽいね。まあそうだよな。十歳も歳が離れちまったんだから、俺なんてガキだよな」

「気をしっかり持って下さい。それでも姉ちゃんの気持ちに変わりはないんですから」

「そうだよな。一番辛いのはアイツなんだろうから、俺がこれくらいでへこたれるわけにはいかねーか」


 気合を入れ直すように、自分の頬を叩く。きっとこの人は、姉ちゃんがどんな状況にあるのかをちゃんと受け止めようとしているのだろう。眠っている間散々待たせて、目が醒めてからも周囲からあれこれ言われて。それでも依然として眠る前と変わらない態度で接してくれる姉ちゃんの想いに応えようと、必死になっているのだと思う。

 まったく。姉ちゃんといいこの人と言い、どれだけ互いの事が好きなんだか。


「俺に言わせれば桐生さんは、全然子供っぽく無いと思いますよ。昔歳の差が有った頃の印象も影響しているとは思いますけど」

「ああ。初めて会った時はお前、まだ小学生だったからなあ。ひょっとして、俺に敬語なのもそのせいか?今は同級生なんだから、ため口で良いのによ」

「努力はします」


 こんな風に敬語を使っている所をクラスの誰かに見られたら、きっと変に思われてしまうだろう。難しいかもしれないけど、早目に治した方が良さそうだ。


「そう言えば子供っぽいと言えば、渚さん。少なくとも渚さんよりは、桐生さ……桐生の方が大人っぽいと思います……思う」


 たどたどしいタメ口で話すと、桐生は「ああ」と声を漏らす。

 渚さんと言うのは桐生さんの幼馴染で、昔この学校にも通っていた、姉ちゃんより一学年下の女の子。桐生が眠りにつく前はたしか15歳で、今は25歳のOLさんなんだけど……


「なあ、渚は別に、コールドスリープしていたわけじゃ無いんだよな?眠る前も起きた後も、アイツだけは全く変わっていなくてビックリしたんだけど」

「俺だって驚きですよ。初めて会ったのが俺が小1の頃ですけど、当時は高校生だった渚さんの事を中学生と勘違いしてましたっけ。あれから10年、何故かあの人は全く成長しなくて。今では外見年齢は俺の方が完全に追い越しました。いったいどうなってるんですか?」

「俺が知るか。本人はもっと背を伸ばしたいとか言ってるけど、もうそういう次元の話じゃねーよな」


 二人して渚さんの姿を思い浮かべて、ため息を漏らす。世の中にはまだまだ、不思議な事ってあるものだなあ。

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