オイナリサマの思い出話

史郎アンリアル

少女の願いとギンギツネ

 冬。と言っても、サンドスターの影響であらゆる自然環境が整ったジャパリパークにとってはたいして季節感のない冬が来た。ゆきやまちほーにも、相変わらず雪が降り積もっている。

「冬ですね」

「ええ。冬ですね」

 雪山の中腹に位置する小さな建物、持ち主曰く神社というその施設に、ホッキョクグマが帰ってきた。

「……それは?」

 ホッキョクグマは、彼女が知る限りずっとそこにいる施設の主、オイナリサマの手元から湯気が出ているのが気になった。

「緑茶です。体が温まりますよ。あなたも一口、いかがかしら?」

「いえ。私は寒さに強いので、お構いなく」

 そう言うとホッキョクグマは両肩に積もった雪を払い落とし、建物に入った。そして星座をし、まずは一礼。この動きに何の意味があるのか彼女は知らないが、昔からそういう習慣があったらしい。

「それで、見回りの結果は?」

 オイナリサマはホッキョクグマに背を向け、外を眺めながら聞く。

「はい。先日の大きな音ですが、やはり噴火があったようです」

「でしょうね」

「それの影響か、さばんなちほーの気候に異常が生じ、あちらまで雪雲が広がっています」

「でしょうね」

 普通であれば、異常気象だ何だと騒ぐはずだが、オイナリサマは大した反応を示さなかった。

「マンモスたちの言うことは、本当だったようです」

「でしょうね」

 報告を終えたホッキョクグマはその後何も言わなかったが、オイナリサマは姿勢を変えることなく、ただひたすら手を動かしていた。

「……オイナリサマ?」

 あまりにも平坦な返事が続いたので、さすがにホッキョクグマも怪訝な顔でオイナリサマの背中を覗き込む。

「ホッキョクグマさん」

「は、はい」

 オイナリサマの声音が突然、真剣なものに変わった。ホッキョクグマは一瞬その変化に驚いたが、すぐに姿勢を正す。

「緑茶が嫌なら、ミカンを食べましょうよ! 今年のはすごく甘いんですよ? ほら、あなたもひとつ!」

 オイナリサマが振り返り、おそらくこの会話が始まる前から持っていたであろうミカンをホッキョクグマに押し付けた。

「ちょっ、聞いているんですかオイナリサマ! 火山が噴火したんですよ! これから忙しくなるんですよ!」

 そう言いながらもホッキョクグマが渋々ミカンを受け取ると、オイナリサマは満足したように、彼女の前に座った。

「わかっています。そう言えば、こういった出来事はあなたが来てからまだありませんでしたね。気にすることはありません。あなたはいつも通り、ここの番とゆきやまちほーの見回りをしていてください。私もいつも通りここにいますから」

「……それはもうただのひきこもりと言うのでは?」

 しゃべりながらもご機嫌そうにミカンを食べ、緑茶をすするオイナリサマを見て、ホッキョクグマはあきれたような顔をした。

「何を言うのですか! 私はここにいることに意味があるのです。だいいちあなたこそ、私のような高貴なフレンズに使えたいという理由で、ここに来たはずではありませんでしたか?」

「うっ……。それはそうですが、それとこれとは別です。私はもっとこう、多くのフレンズを救済するために尽力する、そんなフレンズだと思っていたのです」

 ホッキョクグマは一瞬言葉に詰まったが、その声から感じる力強さは、彼女の本気さを表していた。

「あら。これでも私は神様のつかいとしてちゃんと働いているんですよ? ……そうですね。せっかくですから、あなたが来る前のお話をしてあげましょう。長くなりそうなので、あなたの分の緑茶も持ってきますよ」

 ホッキョクグマの返事を待たずに、オイナリサマは部屋を出て行った。

「これからのことにも、関係があるかもしれませんしね」

 神社の隣に建つ倉庫の中、くもつと書かれた箱から湯呑みと湯沸かし器を取り出しながら、オイナリサマは静かにつぶやいた。


 それは、ジャパリパークがまだフレンズでいっぱいになる前、ヒトと野生動物、そしてフレンズが共に暮らしていた頃のパークでのことだった。

 当時は野生動物が突然フレンズになることによるヒトとの衝突を避けるため、パーク内ではヒトと野生動物とのふれあいが推奨されていた。もちろん、パーク内にはヒト用の居住区や生活のための施設が充実していて、フレンズがいること以外は、パークの外と大した違いはなかった。

 パーク設立以降、雪山地方と呼ばれるようになった場所には、パークができる前から神社があった。そこに祀られていたのがお稲荷様、今のオイナリサマである。この話の頃には、彼女はすでにフレンズとしての姿を手に入れていたのだが、もともと存在しなかったものがフレンズになるという事象の研究のため、彼女の存在が神社やパーク研究会の外に知れ渡ることはなかった。言ってしまえば、彼女は神社の中に軟禁されていた。(後から聞いた話だが、似たような状況のフレンズが他にも各地にいたらしい。)

 神社には日々パークの内外から多くのヒトが訪れ、それぞれ思い思いの願いごとを言い残しては、何か返事があったわけでもないのに、満足そうだったり不安そうな表情を浮かべて去っていった。そして、神のつかいであるという名目のため、オイナリサマはそのすべてを聞き入れていた。

 願いごとの内容は、まさに十人十色だった。無病息災から恋愛成就まで、いくら神のつかいと言えどオイナリサマ一人ではどうしようもないことばかりだった。しかもまったく同じ内容を絵馬に書き残していくものだから、彼女にとってそれはもう心苦しい日々だった。

 だがそんな中に、オイナリサマが珍しく目を止めた少女がいた。少女が最後に絵馬を描くまでその名前はわからなかったが、見たところ十歳にも満たないような小さな少女だった。

 少女は突然現れては、その後何度も神社に訪れた。彼女以外にもリピーターは何人もいたのだが、オイナリサマが気になったのは、少女とよく一緒に来る一人の白衣の大人と、その後ろをつけるように歩く一匹の野生のギンギツネだった。

 少女は願いごとを伝え終えると、いつもギンギツネを抱きかかえて帰っていく。白衣の大人は毎回不安そうな顔で少女に何かを伝えるが、少女がギンギツネを手放すことはなかった。


「その子の願いごとって……?」

 続きが気になったホッキョクグマはオイナリサマの話を遮るように尋ねる。

「彼女は大人の前ではいつも、手術が成功するようにと願っていました」

「しゅじゅつ?」

「ヒトが重い病気にかかった時、それを無理やり取り除く方法です。場合によってはそのせいで命を落とすこともあるそうですが……。おそらく彼女も、手術が必要な状態だったのでしょう」

 オイナリサマが緑茶を一口あおる間、ホッキョクグマは言葉を失っていた。

「ですが、彼女の願いごとはもう一つありました」


 少女が神社に来る時、たまに大人がついていないことがあった。その代わりと言ってはなんだが、そういう時、彼女は初めからギンギツネを抱えていた。

 そして、そういう時に限って彼女が伝える願いごとは決まってひとつだった。

「雪祭りが、成功しますように」

 ジャパリパークでは、毎年冬になると雪山地方で雪祭りが開かれていた。神社から出られないオイナリサマにはその内容まではわからずじまいだったが、少女やパークの人々にとって、それが大切な行事であるということは、彼女も理解していた。

 少女はこの願いごとを言い終えると、いつもそれまでの出来事を話す。パーク内で見つけた動物の話や、定期的に行われる農業体験での出来事など。

 そして少女はある日、本当に存在するかもわからない神様に向かって、こう続けた。

「この子がフレンズになった時にわたし、いろんな話がしたいの。それでね、ここの雪祭りがすっごく楽しいから、今年の雪祭りも、すっごく楽しいといいなって! そしたら、その話をこの子にいっぱいしてあげたいな!」


 ホッキョクグマは、その言葉に疑問を持った。

「雪祭りのことをギンギツネに話したいなら、いっそギンギツネがフレンズになるよう願うべきでは?」

「そこが問題だったのです。当時の雪祭りは安全管理上、フレンズの参加が禁止されていたんですよ。ヒト曰く、火を扱うからとか、フレンズが祭りの文化に親しめるか心配だったとか。それに、まだヒトにとってフレンズは半分くらい未知の存在でしたから、病気持ちの彼女に近づけることを恐れたのでしょう。彼女の話には野生の動物は出てきても、フレンズは登場しませんでしたから」

「はあ……」

 ホッキョクグマが理解できているのかあいまいなため息をつくと、オイナリサマは湯飲みに残った緑茶を一気に飲み干し、話を続ける。

「そこで私は、神社に来るパークの職員にかけあいました。どうにかして雪祭りにフレンズも参加できないかと。そして私の願いが通じたのか、その年からそれを含むパーク内のほとんどの行事にフレンズの参加が認められたのです。それはそれは大盛況でしたよ!」

「おお! さすがオイナリサマ! 私はそういう話が聞きたかったんですよ。きっとその子も喜んだことでしょう?」

 身を乗り出して目を輝かせるホッキョクグマに対し、オイナリサマはそれまで力強く握っていた空の湯飲みを静かに置いた。

「それが、まだ問題があったのです」


 雪祭り本番を数日後に控えたある日。少女はその日も、一人ギンギツネを抱えてやってきた。いつもと違うのは、彼女が長い筒を背負っていたことくらいだろうか。

 行事のルール変更が決まってから初めてのことだったので、オイナリサマはこっそり彼女の前に現れて、そのことを伝えようかと考えていた。

 しかし、その日の強い雪も相まってか、少女の表情はいつになく暗かった。

 彼女はいつも通りギンギツネを地面に降ろし、境内の鈴を鳴らして両手を合わせるとこう言った。

「手術が、成功しますように」

 それは、白衣の大人が隣についている時に言うはずの言葉だった。姿を消して少女のすぐそばまで近づいていたオイナリサマは、思わず息をのんだ。

「今まで隠しててごめんなさい。わたし、本当は今度の雪祭りに行けないかもしれないの。明日の手術が終わったら、もうここにはいられないんだって先生が言ってた」

 おそらく彼女は雪山地方に住んでいたのではなく、山頂付近の病院に入院していたのだろう。そして手術が成功すれば退院できるが、それは同時に、この神社や雪山地方に住むギンギツネとの別れを意味していた。

「わたし、手術はすごく怖い。手術があるから、病院も怖い。だからギンギツネとお別れするとき、この子が心配しないようにいつもデパートに行くって嘘ついてるの。もしかしたらもうばれてるかな?」

 少女はそう言いながら、少しだけ作り笑いをして見せた。

「でもね。手術がうまくいけば、雪祭りの日だけここに来れるかもしれないの。先生から聞いたよ。雪祭りにフレンズも入れるようになったんだってね! お稲荷様ありがとう! だから、今日のお願いごとは、手術が成功しますように!」

 そこまで言うと、少女は背中の筒から一枚の紙を取り出した。そこにはオカピやマンモスなど、さまざまな動物が描かれていた。その中心に、少女とギンギツネの顔も描かれている。少女はそれを正面に向かって広げた。涙のあふれそうな瞳で、それでも全力の笑顔を浮かべて。

「見て! 今までこのパークで見てきた色んな動物! もうぜつめつ? しちゃったのもいるけど、みんなフレンズになって、ギンギツネとも仲良くできたら、今度はこの子たちが主役になって雪祭りを盛り上げてほしいの! でも一度にたくさんお願いしちゃうとお稲荷様急がしくなっちゃうと思うから、いつものお願いは絵馬に書いておくね」

 少女は紙を筒の中に戻すと、備え付けの絵馬とペンで『ゆきまつりがせいこうしますように』と書き、横に小さくギンギツネの絵を描き添えた。彼女がその絵馬を所定の位置に結び付けるときには、その顔は最初の暗い表情に戻っていた。

 オイナリサマが少女を元気づけるために姿を現そうとしたその時。神社の入り口から声がした。

「ユキちゃん! ここにいたのね。探したわよ。ほら、こんなところで体冷やして、具合悪くしたらどうするの! 早く帰るわよ!」

 白衣の大人はそう言いながら神社に踏み入ると、速足で少女の手をつかみ、境内から連れ出した。

 そして、強く吹き付ける雪の中、オイナリサマとギンギツネだけが取り残された。

「ユキちゃん、ね……」

 オイナリサマは足元に寄って来たギンギツネを見ながら、少女の名を忘れないようにつぶやいた。


「それで、手術は成功したのですか?」

「いえ。それについてはわかりません。ヒトの命を左右する力なんて私は持っていませんし、それから間もなくして、ユキちゃんどころかパーク中からヒトと言うヒトがいなくなってしまったのですから」

「そうですか……」

 タイミングよく、ホッキョクグマはそこで緑茶を飲み終えた。

「あれ、待ってくださいよ。と言うことは、オイナリサマがしたことって職員さんに通るかどうかもわからない頼みごとをしただけじゃないですか!」

 ホッキョクグマは驚きと残念さが混ざり合ったような微妙な顔をした。

「いやいや。大事なのはここからですよ」

 オイナリサマはそう言うと湯沸かし器から急須にお湯を注ぎ、丁寧に二人分の緑茶を淹れ直した。

「ここ最近訪れるようになったキツネの姉妹は覚えていますね?」

「はい。まあ……」

「あの姉の方のギンギツネが、まさにユキちゃんが連れていたギンギツネだったのです!」

「どうしてわかるんですか?」

「なんとなくです!」

 ホッキョクグマの疑いが一向に晴れないのをよそに、オイナリサマは堂々と言い放つ。

「彼女の願いは、あの絵の作者について知ること。先に答えを言ってしまうと、その作者こそユキちゃんだったのです」

「それまたどうして?」

「そりゃもう、彼女が持ってきたものとまったく同じでしたから」

 これだけは、ホッキョクグマにも納得できた。

「ならどうしてそのことを直接伝えないのですか?」

「残念なことに、彼女は私のことを信じていないようです。実際、ユキちゃんのこと以外に私が叶えてあげられそうな願いなんてほとんどありませんから。そこで、私は妹のキタキツネを利用することにしました」

「もしかして、いなり寿司の件ですか?」

「その通り。本来であればギンギツネにそれをやらせたかったのですが、仕方なくキタキツネと協力する形で、私は二人にいなり寿司、つまりお米を使った料理を作るよう伝えたのです」

「いなり寿司である必要は?」

「私の好みです」

 間髪入れず答えるオイナリサマに、ホッキョクグマは「やっぱりね」と言いたげな顔をする。

「ギンギツネの願いが「作者の名前が知りたい」であれば、ここまではしません。ですが、きっとフレンズになる前の記憶がわずかながら残っていたのでしょう。彼女のユキちゃんに対する想いはまさに真剣そのものでした」

 オイナリサマは、いつの間にか最後のひと房になっていたミカンをつまみ、ホッキョクグマに差し出す。

「だから、私は少しでも彼女にユキちゃんと同じ体験をして欲しかったのです。ただ、誤算だったのはキタキツネがギンギツネに内緒で米作りを始めてしまったことですかね……」

「でも、そのユキちゃんに関する一番の行事は、ゆきまつりの方では? ……まさか!」

 ホッキョクグマのようやく気付いたような顔を見ると、オイナリサマはまた得意げな表情になった。

「さばんなちほーからの来客は、私にとって好都合でした。彼女たちがキツネ姉妹と協力してゆきまつりについて調べれば、いつか必ずユキちゃんの残したものにつながるはずです。それに……」

「それに?」

「いなり寿司のことも、そのうちばれますよ。キタキツネが隠しているのも、私が隠しているのも」

 そこまで話すと、オイナリサマは残ったミカンの皮と空の湯呑みを持って立ち上がった。

「こう長いこと神のつかいやっていると、わかるのですよ。私の役目はヒトやフレンズの願いを叶えることじゃない、願いを叶えられるようにしてあげることだって」

 ホッキョクグマはその時はまだ、彼女の言葉の意味が理解できなかった。

「さっ、今日のお話はここまでです。外に出て雪かきでもしましょうか。せっかく神社から出られるのですから、たまには運動しないと!」

 オイナリサマがそう言うと、ホッキョクグマの表情がすぐに不満そうなものに切り替わった。

「私はさっきまで見回りをしていたのですが……」

 するとオイナリサマは不機嫌そうに頬を膨らませる。

「私が運動不足なのです。どうせ後になってキタキツネが稲刈の仕方がわからないーとか泣きついてくる予定ですから、今のうちに体を動かしておかないと、神のつかいとしてしめしがつかないじゃないですか」

「だったらオイナリサマ一人で……」

「あーもうつべこべいわない! 今日手伝ってくれないと、もうミカンあげませんよ!」

「わーかりましたよもう……」

 ホッキョクグマが面倒そうに立ち上がる。オイナリサマはその様子を満足そうに眺めていた。

「そうそう。あなたは私に使えるものとして、しっかり仕事をしていればいいんです。従者がしっかりしてこそ、主人が引き立つというものですよ」

「そういうこと言ってるからギンギツネに疑われるのでは……。いえ! なんでもありません!」

 オイナリサマの鋭い視線を感じて口を正したホッキョクグマだったが、この時オイナリサマの様子が変わったのは、別の理由があった。

「その前に、少しセルリアンの相手をする必要がありそうですね」

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