図書館暮らし。

有澤いつき

No kidding.

 ……そう、一言でいってしまえば私の家は貧乏だった。


 お金がないくせに子沢山だから、食事はいつも戦争。パパもママも朝から夜まで仕事で、お姉ちゃんなんだからと弟や妹たちの世話をする。たまのおやつのスナックもほとんどちびっこが食べてしまって、私は僅かなポテトチップスの破片しか食べられなくて。夜ご飯の五個しかないコロッケは半分だけママにもらった。


 それはそれは、イヤだった。

「お姉ちゃんなんだから」で我慢できることじゃなかった。


 でもそれと同じくらい、弟や妹も大好きだった。たくさん食べるのはそりゃ怒りたくもなる。私のぶんもちょうだいと叫びたくなる。けれどパパとママがいない昼間、泣きべそをかいて家のなかを歩き回ってるのも知ってるから。私がちゃんと「お姉ちゃん」をしなきゃ、とも思っていた。


 子どもは我慢ができない。私だってお姉ちゃんだけど、まだ十一歳だ。


 ……だから私は、図書館に行く。


 図書館は大好き。私の最高の遊び場だ。

 ちびっこはまだ小学校低学年や幼稚園児。図書館に来て読める本はほとんどない。それに、泣き虫でぎゃんぎゃんとさわいでしまうちびっこたちは、静かな図書館では怒られてしまうだろう。

 図書館は私が一人で出かけられる、便利な場所だった。


 図書館のいいところ。誰も私に話しかけないこと。

 スーパーや本屋さんだと、店員さんが「お嬢ちゃんひとり? パパとママは?」と聞いてくる。でも図書館は誰も話しかけてこない。カウンターにいるおばさんに本を貸してくださいとお願いしない限り、私が何をしてもだまっていてくれるのだ。


 図書館は最高の遊び場だ。


 私の遊びは、土日の午前中にやることが多い。午後は人がいっぱい来てしまうから。うるさくはないけど、遊びは人が少ない方がいい。

 行き先は図書館を一周してから決める。児童書、日本の物語、海外の物語、教育、英語……色んな種類の棚がある。私が気に入っているのは背が高い本棚がいっぱいあるところ。背の低い児童書の本棚はあんまりよくない。


 ……決めた。今日は「哲学」の棚で遊ぼう。


「哲学」の意味はよくわかっていない。並んでいる本のタイトルも難しい漢字や意味のわからないカタカナばっかり。でも私の遊びには関係ない。

「哲学」のゾーンには人がひとりしかいなかった。午前九時十分。図書館の壁掛け時計を見る。まだ開館して少ししか経っていないもの。


 私は分厚い本を読み込むお兄さんから少し離れたところにしゃがみこんだ。一番下の棚。お兄さんからはよく見えない。図鑑みたいに大きめの本が置いてあるから、私の小さな身体は半分が隠れてしまうのだ。

 私は一冊、薄くて大きな本を手に取った。中身をぱらぱらとめくってみる。文字よりも写真が多い。白い、セメントみたいな石でできた像がいっぱい並んでいる。全部人の顔に見えたけど、誰かはわからなかった。

 適当なところでページをめくるのをやめる。「ソクラテス」と書かれていた。意味はわからない。


 そのページを汚した。


 ポケットにねじこんできたクレヨンで、真っ黒にぐるぐると。円を描いて、描いて、その白い顔の像を塗り潰していく。

 ああ、楽しい。楽しくてたまらない。

「図書館の本は破いたり、汚したりしてはいけません」――柱にもそんなポスターが貼ってある。そのポスターを知りつつも、誰にも知られないようにクレヨンで本を塗り潰す「あそび」、それが私の数少ない楽しみだった。


 離れたところで本を読むお兄さんは、やっぱりこちらに気づかない。クレヨンは私が持っていたもので描くときに一番音がでないしニオイも少ないから、これだと思った。破いたり、切ったりするのも考えたけど、びりびりという音が静かな図書館では気づかれると思った。


 ……楽しい。


 図書館の遊びは、ちびっこたちには真似できない。我慢して「お姉ちゃん」をやっている私が、我慢しなくてもいいこと。私の秘密。私の遊び。


 クレヨンで真っ黒になったページに誇らしささえ覚える。私はポケットにクレヨンを突っ込み、本をそっと閉じた。うっすらとホコリを被っている。かわいそうに、誰にも読まれていないんだね。

 次にこの本が開かれて、私の遊びに気づくのは誰なんだろう。いつなんだろう。その日が来るのは楽しみでもこわくもないけれど、できることなら、この遊びがずっとずっと続きますように。

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図書館暮らし。 有澤いつき @kz_ordeal

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