033 【最終話】日曜日に女子高生と……

 月曜日の早朝。

 僕はスマホを操作してみる。


 月曜日に戻っているので、前回の土曜日に、父親のスマホから送られてきた女子高生の写真は存在していない。

 あの女子高生の名前や、住んでいる場所、彼女が貧血を起こす時間や、亡くなる川の場所も何も情報は記録されていない。


 けれど僕は、それらの必要な情報はすでにすべて暗記あんきしていた。

 僕は頭の中に叩き込んである情報を引き出し、PCやスマホを使ってすぐに木曜日の予定を組み立てる。


 木曜日が来たら――。

 僕は木曜日の最後の授業後に学校を飛び出し、電車とバスを乗り継いで移動する。

 インターネット上での下調べは済んでいる。

 移動時間や、バスや電車の乗り換えの待ち時間なんかも全部含めて、たぶん片道2時間ほどあれば、たどりつくはずだ。


 彼女が亡くなる場所までの道も、インターネット上の地図で検索済みだ。

 最寄りのバス停から徒歩で何分くらいかかるのか、正確な時間まではわからない。

 けれど、彼女が貧血を起こす20分~30分前までには、現場にたどり着くことは充分可能な気がしていた。


 あとは木曜日になるのを待つだけである。

 まずは、目の前の月曜日だ。



 月曜日の朝の教室で、オダヤカと出会う直前まで、僕は本当に悩んだ。

 頭をフル回転させて、とにかく色んな可能性を考え、ものすごく悩んだ。


 直前まで、悩みに悩んだその結果――。


 僕はオダヤカの記憶を戻さないことに決めた。

『時間が戻っていること』を、オダヤカに話さないことにしたのだ。


 オダヤカだけではない。

 ロクゴクシ先輩にも、ナナゴクシ先輩にも話さないことにした。

 もちろん、人工知能たちにも、元クラスメイトのサイドテールの女の子にも話さない。

 自分の父親にも話さない。


 僕が『時間が戻っている話』をしなければ、みんなは時間が戻っていることに気がつかない。


『時間が戻っていることを知っているのは僕だけ』


 という状態である。

 そういう状態にしたのは、そうするのが自然なことだと思ったからだ。


 人によっては、僕の判断をズルいと思うかも知れない。

 でも、『時間が何度も戻っていたという奇妙な現象の記憶』を抱えて生きるのは、僕一人だけで、もう充分な気がしたのである。


 月曜日の放課後。

 僕はオダヤカを連れて急いで、別の教室に移動した。

 例のサイドテールの女の子が『吹奏楽部の女の子の指をケガさせてしまうトラブル』を阻止そしするためだ。


 オダヤカは時間が戻っている記憶がない。

『通常のオダヤカ』なので、僕が急に彼を連れて他のクラスの友人を遊びに誘いに行くことを提案したから、少し驚かれたかもしれない。


 まあ、そのへんはオダヤカのことなので、心を乱すことなく、すぐに僕の提案を受け入れてくれた。

 そしてなんとか吹奏楽部の女の子が、窓で指を挟むトラブルは防ぐことができたのである。


 火曜日がやって来た。

 いつもならロクゴクシ先輩たちや人工知能たちに会いに行く展開である。

 けれど、オダヤカの記憶を戻していないので、ロクゴクシ先輩たちにつながる展開はやってこない。

 なんとなくそれが寂しくて、僕はオダヤカにこんな質問をした。


「なあ、オダヤカが仲良くしてもらっているロクゴクシ先輩ってどんな人?」

「んっ? なんだよ、急に?」

「いや、ちょっと気になって」


 オダヤカはメガネをくいっと上げながら言った。


「ロクゴクシ先輩はさあ、すごい人なんだ。『人工知能による恋愛相談』を世界中に普及ふきゅうさせて、両想いの恋人同士を増やし、童貞どうてい処女しょじょの数を減らすことに自分の一生を捧げようと思っているんだ。『世界をハッピーエンドまで導くでござる』って言っていたな」


 ……いや、『世界をハッピーエンド』って……。

 ハッピーかもしれないけど、世界を『エンド』に導くわけだから、世界を終わらせちゃってるじゃん?

 世界をハッピーエンドまで導くって表現、やめませんか?


「スケールのでかい先輩なんだな」と僕は言う。

「ああ、スケールのでかい人だ。それと『ナナゴクシ先輩』っていう、白衣を着た美人の恋人がいるんだぜ? こっちの先輩もすごい人だと思う。お前を一度、二人に紹介しようか?」


 僕はオダヤカにお願いする。


「ああ、うん。もし来週が来たら、そのときは二人に会わせてもらおっかな? よろしく頼むよ」

「来週だな。オッケーだ。来週になったら会えるよう、先輩たちに連絡しておくよ」

「ありがとう」

「仲良くなるまでは時間がかかる人たちだ。けど、たぶんお前なら気に入られると思うぜ。先輩たち、火曜日あたりならいつも少し時間があるみたいなことを前に言っていた」

「じゃあ、来週の火曜日の予定を空けておくよ」




 水曜日が平和に過ぎた。

 そして、いよいよ木曜日がやって来た。


 午後の最後の授業は自習で、僕はその間に下校の準備をすっかり済ませてしまう。

 授業終了のチャイムが鳴ると、クラス担任の教師がやってくる。

 彼が、短い連絡事項を生徒たちに口頭で伝えると、すぐに解散となる。


 解散と同時に僕は、誰よりも早く教室を一人で飛び出す。

 そして、最寄もよりの電車の駅まで、とにかく走った。


 そこそこ田舎にある高校である。

 学校の最寄り駅に、電車がそれほど頻繁ひんぱんにやって来るわけでもない。

 電車を一本逃すと、スケジュールに大幅な遅れが生じるのだ。


 乗りたかった時刻の電車に、僕はなんとか間に合った。

 ここからもう一回、別の電車に乗り換えて、それから最終的にバスに乗って、彼女が亡くなる川の近くのバス停まで移動する予定である。




 やがて、予定通り移動に2時間かけて、とある田舎町のバス停にたどりついた。

 僕にとっては全然知らない町のバス停である。


 ずぶ濡れの女子高生が亡くなる場所は、僕が住んでいる田舎町よりもさらに、のどかな町だった。

 青空の下、田んぼと畑と農業用の用水路らしき川が目に入る。

 道には、サビだらけの自動販売機が『設置』というか『放置』されていたりもした。

 たぶん、お金を入れても商品が出てこない気がした。


 バス停から15分~20分ほど、黙々と一人で歩き続けた。

 白い軽トラックなんかが何度か、歩いている僕を追い抜いていった。

 まあ、車もそんなに走っていない町だった。


 そして僕は、『彼女が貧血で倒れる現場』にたどり着く。

 彼女が亡くなる10分くらい前だと思う。

 予想していたよりも、時間がかかってしまったが、とにかく間に合った。


 その場所は、農業用なんかに使われているらしき小さな川に、小さくて頼りない橋がかかっている。

 橋の欄干らんかん――落下防止用に設置されている柵状さくじょうの手すりはサビだらけで、高さも足りていない気がした。


 確かに女子高生がここで貧血で倒れ、この頼りない手すりに、もたれかかったら?

 高さが足りずに、手すりを乗り越えて、身体は橋の下の川へと落下してしまう可能性は充分にある気がした。


 いや、まあ……。

 何もしなければ、実際にそういう未来が待っているわけだけど。


 さて……。

 僕は、どこで彼女を待っていればいいのだろうか?

 この小さな橋の上で、一人で立っていればいいのか?


 いや……それだと、状況が変わってしまうかもしれない。

 彼女がこの橋の上で貧血を起こして倒れる状況は、なんとなく発生させておかなくてはいけない気がした。

 その状況を発生させた上で、橋の下に落ちるのを防げば、『彼女が亡くなるという未来』を完全に阻止したことになるような気がしたのである。


 しかし……周囲を見渡しても僕が隠れられるまともな場所がない。

 川の少し向こうに家があって、おばあさんがものすごくゆっくりとウロウロしながら、庭をいじっているみたいだった。

 たぶんあの人が、女子高生が貧血で倒れて川に落ちるところを目撃していたおばあさんだろう。


 色々と考えた結果、僕は橋のすぐそばの木の陰に隠れておくことにした。

 ここに隠れておいて、彼女が橋で貧血を起こした瞬間に飛び出して、落下するのを防ぐのだ。


 正直、すごく頼りない作戦だ。

 けれど、この現場で考えている時間がなかった。

 なぜかというと、すでに向こうの方からこちらに向かってゆっくりと歩いてくる女子高生の姿が、見えていたからである。


 セーラー服姿の可愛らしい少女が、黒髪のポニーテールを揺らしながら、手に茶色いカバンを持ち、ゆっくりと向かって来る。

 もちろん、彼女のセーラー服も長い黒髪も、まったく濡れていない。


 木の陰で僕は、ごくりとツバを飲み込んだ。

 彼女の身体を両手で抱えられるよう、自分のカバンは地面に置いてある。

 そしてついに、悲しい未来を変える瞬間がやって来た。


 木曜日の彼女はきっと、これから自分の身に起きることを何も知らない。

 彼女は何も知らないまま、橋を渡りはじめる。

 その瞬間、僕は木の陰から飛び出した。


 橋の上で彼女は、カバンを持っていない方の手で頭を押さえると、両目を細める。

 そして次の瞬間、クラっと身体を揺らし、カバンを道に落とした。

 彼女自身は、橋の欄干に覆いかぶさるように倒れ込む。


 彼女が気を失っただろう瞬間――。そのタイミングで、僕の両手が彼女の身体をがっしりと抱きしめた。

 僕は彼女が川に落ちるのを、きちんと防いだのだ。


 僕は心の中で、ほっと胸をで下ろす。

 自分の手で実際に胸を撫で下ろせないのは、彼女の華奢きゃしゃな身体を両手でしっかりと抱えているせいだ。


 そんなわけで、僕は予定通り、彼女を助けることができた。

 近くで僕たちのやりとりを目撃していただろうおばあさんが、ゆっくりとこちらに移動してくる。


「あんたたち、どうした? 大丈夫かい?」


 僕は事情を説明した。

 貧血かなにかで彼女が倒れ、橋から落下しそうになっているところを抱きかかえたのだと。


「あらー……あれは、貧血だったのかい?」


 おばあさんも、たまたまその状況は見ていたそうだ。

 いつもここで会えば挨拶あいさつをしてくれる顔なじみの女子高生だったので、おばあさんは今日も挨拶をしようと待っていたらしい。


 ただ、おばあさんは視力がそれほど良くなくて、橋の上で何が起きていたのか正確には見えていなかったみたいだ。

 それでも、女子高生がクラっと倒れた瞬間はわかったそうだ。


「ああ、これは本当に貧血かもねえ」


 女子高生の様子を眺めながら、おばあさんがそうつぶやく。


 おばあさんの家に、女子高生を運び込もうということになった。

 僕は彼女を背負って移動する。

 僕の背中に彼女のやわらかいおっぱいが当たっていたのだけど、まあ、そういう感想はどうでもいいだろう。


 それから、彼女のカバンを橋まで回収しに戻り、ついでに自分のカバンも回収してから、再びおばあさんの家に着く。

 すると、おばあさんの家族や近所の人たちが何人か出てきて、あっという間に女子高生は布団に寝かされてしまっていた。


 大人が何人かいたし、なんか……もう、僕がいなくても大丈夫な雰囲気だった。


 僕はおばあさんに言った。


「す、すみません。帰りのバスの時間がギリギリなんで、あとはお願いしてもよろしいでしょうか。うッス」

「んっ?」

「か、か、彼女のこと、よ、よろしくお願いします。うッス」


 そして、強引に立ち去った。

 本当にバスの時間がギリギリなのだ。


 今度は自宅まで、また2時間くらいかかりそうだった。

 帰宅があまりにも遅くなると、僕が何をやっていたのか両親に詮索せんさくされる。

『時間が戻っている話』を父親にもしていないので、その状況になったら説明が面倒臭い。


 慌ててバス停まで走り、電車も一度乗り換えて、僕は自宅にたどりつく。

 ああ……本当に疲れた。

 でも、僕は目的をきちんと達成し、彼女を救うことができたのだ。


 それは木曜日の夜に、父親に電話がかかってこなかったことからも断言できた。

 彼女は死ななかった。

 だから、彼女の父親から僕の父親に、悲しい電話がかかってくることもなかったのだ。


 金曜日は平和に過ぎていった。

 そして土曜日がやってくる。


 女子高生が死んでいないので、僕の両親も葬式には出かけず、家を留守にすることもない。

 家族三人で自宅の食卓で夕飯を食べたから、コンビニ弁当を買いに行く必要もなかった。


 そして、土曜日の21時ごろ。

 僕はカッパを着て、傘を手に家を出ていく。

 父親が僕に気がついて声をかけてきた。


「こんな雨の中、お前コンビニに行くのか? カッパまで着て?」

「うん、すぐ帰るよ」


 説明ができないので、さっさと自宅を出る。

 コンビニまで移動して、お弁当を念のために一人分――彼女の分を買っておく。

 僕はすでに夕飯を食べているから、僕の分はいらないのだ。

 それから僕はバス停に向かった。


 まあ……予想通りだった。

 ずぶ濡れの女子高生の姿は、もうそこにはなかった。

 バス停には誰もいなかった。


 やはり彼女は、助かったのだ。

 僕のこともきっと忘れてしまっている……というか、僕と彼女がこのバス停で会うこともないわけだから、彼女と僕は知り合ってすらいないのだ。


 家に帰り、僕は自室に戻る。

 父親がノックもせずに部屋のドアを開けてきた。


「父さん、何?」

「んっ? なんだ、お前? コンビニで弁当買ってきたのか? 夕飯、足りなかったのか?」

夜食やしょく。それより、どうしたの?」

「なんか、変なんだ」

「何が?」


 僕が首をかしげると、父親も首をかしげる。


「親友から久しぶりに電話がきたんだ。あいつには、高校二年生の娘がいるんだけど、その女の子が、お前とどうしても話がしたいんだと? 折り返し電話をすることになっているんだけど、電話してもいいか?」

「えっ……」

「変な話だろ? お前とその子は、これまで一度も会ったことがないのに」


 それから父さんは、僕の返事も待たずに、親友に電話する。

 そして、僕にスマホを渡してきた。


「ほれ。もうあっちの娘さんとつながっているから」


 僕は父親からスマホを受け取ると、電話にはすぐ出ずに父親に向かってお願いした。


「父さん、悪いんだけど、ちょっと部屋から出て行ってくれ」

「なんで?」

「どうしても! 僕がいいって言うまで、部屋に入って来ないでくれ」


 父親を部屋から追い払うと、僕はスマホに耳を当てる。


「もしもし」

「こんばんは、土曜日の夜ですね。雨が強いですけど、もしかして、あのバス停に行っちゃいました? わたしを探しに、ふふっ」

「えっ?」

「あなたの記憶……残ってました。というか、さっき21時ごろに突然、バス停での記憶をすべて思い出したんです。もちろん、あなたとの出来事も……。それで、すぐに電話っしなくちゃって……うっ……ううっ。本当によかった……」


 彼女は突然、ぐすんぐすんと泣きはじめた。

 僕も泣き出してしまう。


 僕との記憶が、彼女に残っていたのだ!


 しばらくまともに会話できず、僕たち二人は落ち着くまで泣いていた。

 やがて、彼女がこう言った。


「今度、会いたいです。わたしとデートしてください」

「で、で、デートっすか?」

「はい。わたし、人生ではじめてのデートです。どうか、よろしくお願いします」

「う、うッス。僕も人生ではじめてのデートっす。うッス。緊張しますッス」


 それから、いつ会えるかという話になった。

 彼女が僕に言う。


「明日はどうですか? 明日の『日曜日』です。たぶん、わたしたちにもようやく『日曜日』が来ると思いますよ」

「ど、ど、『土曜日』に二人で眠ると、僕は『月曜日』に戻っちゃうから、ずっと日曜日が来なかったッスよ。んっ? 次の日曜日って、僕にとっては何週間ぶりの日曜日になるんだろう?」

「とにかく、明日でいいですか? すぐに会いたいです」

「うッス。大丈夫ッス。僕もすぐに会って話がしたいッス。そ、それで、どこか行きたい場所なんかはありますッスか?」

「コンビニ! コンビニに行きたいです」

「えっ? コンビニっすか?」

「はい。まずはコンビニに行って、おいしいお弁当を二人でいっしょに選びませんか?」


 そう言うと、彼女はくすくすと笑った。


 ああ……元気そうだ。

 早く彼女に会いたい。

 彼女の笑顔が見たい。


 久しぶりに僕たち二人に訪れるだろう『日曜日』が、とても待ち遠しかった。


 ……そりゃあ、待ち遠しいに決まっている。


『日曜日』がやって来るまでこんなにも時間がかかったことは、僕のこれまでの人生で、過去に一度もなかったのだから。


 明日はきっと『人生で最高の日曜日』が、僕たち二人に訪れるのだ。


(おしまい)

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土曜日の夜は、バス停の濡れた女子高生と眠る 岩沢まめのき @iwasawamamenoki

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