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シュガー・ブルースへの応援コメント
これは私の故郷、十勝での話ですけれども。今、厚労省の認可が下りれば、家畜を天寿まで生かして、老後を広い牧場で過ごさせ、天寿を全うさせた肉を食肉にしようという話をしているのです。生産コストと流通の間で、餌の牧草の草丈が2倍にすることが出来たならば、採算が取れるのではないかということで、色々な試行錯誤が始まっております。広い牧草地で子を産み、搾乳をして、糞尿はバイオガス発電に利用し、今は、老いた牛たちを廃棄処分として安価で屠殺肉にするシステムなのですが、それを改め、天寿真っ当後、熟成肉として加工をして、付加価値を着けて売ろうという話になっております。十勝天寿野牛というブランド名になるかもしれません。牛は肉乳牛なんですね。ですから和牛では出来ない話なのですが…。十勝では現在40軒以上の、チーズ工房が林立しまして、どんどん酪農業改革が進展しております。
十勝は食料自給率1200%なんです。で、電力は16%がバイオガス発電なのですが、将来的には100%バイオガス発電になるでありましょう。ブラックアウトも無くなります。食料自給率1200%に熱エネルギー自給率が100%自給になるのですね。家畜たち全てを、天寿というネームバリューで売りに出そうとしておりまして。当然衛生面への配慮から、人畜共通病理細菌に関する研究も始まっているのですが…。家畜はその天寿までをも余すこと無く、全て頂いてしまうわけです。我々はこれが即ち、アニマル・ウェル・フェア(動物福祉)の観点から、最良の方法であろうと見ているのです。皮はランドセルになったりします。笑
漁業も函館の北海道大学で、海中浮遊卵の採取と養殖に関する研究が進んでおります。
植物と魚は、天寿に関しては、今の段階でどうしようもないですが…。
帆場さんはどう思うでしょう。
我々はクレイジーですかね?
作者からの返信
チーズ工房が羨ましい…
いや、真面目な話しですが素晴らしい試みだと思います。ぼくがこの詩を書いたのは、食べるときに生き物の命に感謝して、というよくある意見に対して一度は疑問を持ち自分の頭で考えた上でそういって欲しいという気持ちからです。天寿、本当に良いと思います。ぼく自身、畜産は携わっていませんが茶作りや畑をした経験から食への関心は非常に高いのです。コメントありがとうございます。また北海道に行きたくなりました。
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夜道 〜19:03 応答せず〜への応援コメント
私は30歳代に一度、こども写真館のカメラマンをやっていたのですよ。その頃は、遺影の額縁とショーウィンドウの枠などとを、連続してインスピレーションしましたが、そんな感じとも違うのかな? 人物の被写体で、一生涯を通した中で一番難しいのは、3才児と小学入学児童のカラー写真なんですよね。しかしこの子達も、運命を紐解けば、老後までのモノクロームにまっしぐらの人生だ。
でも、あゝそうだ。遺影は点描の絵でしたよね? 写真ではなかったっけ。
あゝ、遺影は悲しいなあ。モノクロが何とも言えない。店のショーウィンドウの前には、風は無いのかもしれません。私には台風が来る前の生暖かい吹上が、感じられるけれども。何故かしら…。道産子だから…。南風は、北風と争って、死の予感を運んでくる。
作者からの返信
ぶっちゃけますと以前の会社の上司が自死しましてその前日にぼくの電話に着信がありました。忙しくて出られず、翌日、知人から行方がしれないと聴き、さらに翌日、自死の連絡が入りました。今年の成人式にはその方の娘さんがいたはずです。と、まぁ、そんな感傷が書かせた詩です。あれから十五年ほど経ちましたね。コメントありがとうございます。
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耳鳴りの羽音への応援コメント
歴史が帆場さんに、ついて行っていない感じ。
このホックリとした表現の優しさの中で、何故か空っぽな世界と女王蜂の巣箱が、「聞こえて」いる。
出来ればこの世界観で、物語を書いてみたいと誘惑に駆られるが、中原中也と小林秀雄の経緯も考え、何故か「よしておこう」と、頭の中の筆を静かに置いてしまった。
帆場さんは、現代において、批評芸術の内向きの棘の中にいても、ホックリと繭の中に眠ってしまっているような、そんな柔らかい言葉の運びを持っている。
詩の学校の教科書に使える作品だと思いました。「から」の表現が、小学生の心を覚醒させるような気がする。
和語の現代感の先にいる人のような気がする。
Good Job!
作者からの返信
ありがとうございます。
しかし正直なところ先鋭的な試みはあまりしたことがないんですよ。この作品は文学極道さんに投稿するにあたって、自分なりにいかにも現代詩だと思うような作品を目指して書いたものです。次点佳作止まりでしたが。
から、の表現はかなり自分でも気に入ってますので嬉しく思います。ありがとうございます。
台所の廃墟への応援コメント
めっちゃいいですねこれ!なんかこう、小さな(だが小品の「潔さ」を拒む)イメージの群れが、つながるようでつながらず切れそうで切れない、接続/切断の二分法からズレながら、たがいに衝突を起こしながら、その摩擦で散る火花の彩りをながめているような、そんな感じがあります。めっちゃいいなこれ……
あと人間とモノが同じ文脈で死んでいるのに、シニフィアンというべきか文脈というべきか、そういう構成にかかわるものがそこに無関心なところが、非常にいい感じがします。
廃墟とかみたいなポジティブな実体を喚起しにくいものを書くのは難しい気がするんですが、これは超成功してる感じがします(エラそうですみません)。ちょっとこの作品自体が「廃墟」のようなところもありますね(ポジティブな意味で言ってます)。
作者からの返信
かなり意識せずにピクルスの瓶が並んでるイメージから書き上げた作品です。詩情を喚起させられるか心配ではあったのですが、嬉しいお言葉ありがとうございます
C調は陽が暮れるときにへの応援コメント
硬いはずなのにC調。いいですね。
樽のなかの眠りへの応援コメント
ヤバい、超いいですねこれ……「檸檬」や「林檎」のような単語がポンポンと出てきたところに、いきなり「猟犬」があらわれるのがとてもいいです。こっちの意のままにならないものがいきなり出てくるので、ものすごく臭ってくる感じがあります。不穏な感覚がいきなり差し込まれることでこっちの感覚にも亀裂が走るのですが、その感じが解消されず、いつの間にか「樽のなか」の「不思議な果実」に収斂していくのが非常に不愉快で最高です(褒めてます)。
誤読だとは思うんですが、この作品そのものが、たとえば南部の木に吊るされた「奇妙な果実」とパラレルになっているような感じがします。わかりづらくてすみません……
作者からの返信
ビリー・ホリディの歌ですね、確か。黒人差別を歌った。なるほど……そう繋がりましたか。いや、誤読てのは詩の場合、基本は存在しないと思いますよ。読み手が詩を再演奏したときに、自分の中の経験や知識、感性が組み合わさって詩の読解が行われるわけですから違いも産まれないとおかしいと思うわけです。楽しんいただけたようで、何よりです。