エピローグ

「こうして茜ちゃんは最強の能力者になったのでした」

「感謝しているぞ、あるじ

「気にしないで。ウチにとっても必要なことだったし」

 後ろから亡霊のようについて来るハデスとかいう不気味なヤツ。

 ウチと契約を結んだ、異形の存在。心に直接語り掛け、あるじなんて呼びかけてくるビジュアル系の悪魔。

「……悪魔ではないと、何度も云っているだろう」

「いいでしょ。ジャンルはサタンとおんなじ魔属性だし」

「オリュンポス十二神の一角を預かる余を、よもや魔王サタンと同列に扱おうとは不敬にも程がある」

「ゲームの話よ。ゲーム脳のウチを主に選んだ、ハデスが悪い」

「余は主の人間性を好んで依頼を持ち掛けたのではない。図に乗るな」

「ウチだってピエロみたいな顔したヤツより、イケメンの神様に憑いてもらったほうがよかったわよ」

「近年の若者は神相手に臆さず暴言を放つ。其れが愉快でもあるがな」

 コイツとは言い合いになっても、ケンカにはならない。

 あくまで冥王と言うだけあって、ウチみたいなガキは相手にしないということだろうか。

「ねえ、ハデス」

 視線だけ寄越し、続きを促される。

「これで剣一とざくろちゃんは大丈夫だと思う。だったらウチの決意しつれんって成就したんじゃないの?」

「主の決意は達成型ではない、維持型だ」

「え?」

「主は元より婚約者がいると知りながら、想いを貫き続けてきた。想い人が婚礼を結ぼうと、略奪に動くとも云い切れぬ」

「しっ、しないわよっ! そんなこと!!」

「そうか、つまらぬな。然し、決意の定義は余が決めた訳ではない。恨むのであれば世界を恨むのだな」

 なによ、それっ!

 ウチはずっと自分の失恋を守るために闘わなきゃいけないっての!? どんだけ過去を引き摺ってんのさっ!

「だが敗北以外に主が決意を失うとすれば……新たな感情で上書くしかあるまい」

「……あ、そ」

「呵呵! 今暫く、そのようなことは無さそうだな?」

「うっせ!」

 バカにされた。

 ま、しばらく引き摺るのは間違いない。……それに新たな感情なんて、いまは考えたくない。

「じゃあ決意を失ったら、どうなるのかな」

「能力を失い、決意の取得経過を記憶としか認識出来なくなる」

「そうじゃなくて、さ」

 深呼吸し、感情を籠めないように言う。

「ウチ、いつか剣一とざくろちゃんを妬むことになるのかな」

「余にヒトの心は判らぬ。然し、主が自分の選択を受容出来ているのであれば、妬むことはあるまい。決意によって抑えられている一面は否定出来ぬがな」

「……そか」

 いまなら剣一の気持ちがわかる気がした。

 決意を失うことが、怖いという意味。

 闇の決意を抱えると、自ら捨てることは難しい。自分を客観視することができなくなるから。

 決意とは強い願いにくさび穿うがつもの。でも一度ひとたび決意となった願いは、消失の恐怖から逃れられない。決意の消失は願いの無関心へと移行するからだ。

 剣一は好意を放棄し、ざくろちゃんを旅立たせるという決意に魅入られた。決意として育った想いは、同時にざくろちゃんへの関心すべてを失ってしまうことの恐怖となる。

 剣一はざくろちゃんへの好意を決意としていない。だからざくろちゃんへの関心を失うなんてあり得ないってわかる。

 でも闇の決意によって感情を補強されると、失うことの恐怖が膨れ上がる。もう二度とその思いを抱けなくなるのだから。


 ウチだって……怖い。

 いまは決意によって失恋した立場を受け入れているが、失った途端どうなるのかわからない。

 気持ちをぶり返すかもしれないし、二人を憎むのかもしれない。果ては報われなかった二年間の悲しみに、溺れてしまうのかもしれない。

 だからウチもいっぱしの能力者として、決意を手放そうという気は毛頭ない。

 ……だって受け入れたのは立場だけだ。剣一を好きな自分はまだここにいて、そんな自分をまだ大事にしたかった。


***


「主との契約は――此れ迄だな」

「もう、行くの?」

「契約は果たされたからな」

 ウチとハデスの契約は、剣一の決意を消滅させること。

 契約は成立した。目的が果たされた以上、これからも共にいる理由はない。

「ったく、せいせいするわ。これでもう能力者が近場にいるなんて理由で叩き起こされなくて済むし」

「主に、決闘の使命が無くなる訳ではないがな」

「わかってるわよ。そんなこと」

 すると宙を浮くハデスが前に回り込み、長い爪を向けながら言った。


「訊け。過酷な献身に刻を捧げ続けた、人の子よ」


 仰々しく、尊大な物言い。

 周りから音という音が消える。


「貴様は正しい。現界の強大な歪みを正し、自己の犠牲も厭わず他者を愛し続けた。其の行いは敬虔なる信徒に違わない、人類の模範的な――」

「なんか難しくてよくわかんないわね。つまり、なにが言いたいの?」

 ハデスは邪魔されたことにムッとしたのか、少しばかり眉を顰めた後――静かに言った。


「氷川茜の将来に、幸多からん事を」


 その一言を残し、ハデスは春風に溶けて消えた。


「……最後に神らしいことしちゃったつもり? でも……ありがと」


 無愛想だったが、悪いヤツじゃなかった。

 まあ、神様だものね。じゃなきゃ神なんて任せらんないもんね。


 一人でも話し相手がいたのが少し嬉しかったけど、仕方ない。

 ウチは自宅への道を、一人歩いていく。


***


 バッグにつけた割れたバンズクリップがキーホルダーよろしく、カチャカチャと音を立てている。

 世間はまだ春休み。大人には関係なくても、暖かくなってきた気候も相まって、どこか心が緩んでいる。

 首に纏わりつくマフラーも少しばかり汗ばむようになってきた。傷はもうほとんど塞がってはいるものの、傷痕が完全に見えなくなることはなさそうだ。

 でも、それが少しだけ嬉しかった。

 直接的ではないけど、これは剣一との人生が交差したことの証だ。

 誰かに傷のことを聞かれたらこう答えてやろう「元カレにつけられた傷」だって。

 ワケアリ女を気取ってみるのも面白いかも? ……って、少しおメンヘラが過ぎるかな? でも、いいじゃない。ウチの人生だもの。


 様々な想いをため息にして、宙に吐く。

 雲一つない青空は、そんな鬱屈した溜め息を吸い込んでも尚、どこまでも透き通っていた。

 ――少しだけ、後悔していた。

 初恋の人と結ばれるなんて将来が目の前に転がっていたのに、一時の反抗心と変なプライドが邪魔をして、突っ返してしまった。

 でも、いいんだ。

 訪れた結末に、後悔はしていない。

 先ほどウチをよく知る二体の杜鵑草トリキルティスから、洪水のような想いが流れてきた。嬉しい反面、複雑でしかないので、その情報をいまはカットしている。

 二人のことは好き。

 好きな人が幸せなのは嬉しい。

 もちろん、その幸せにウチは参加できない。

 だからといって出会わなければ、とも思わない。

 でも二人に出会ったことに、意味があったのか……そう思ってしまうことは、ある。

 ウチは友達のいない、ただのゲームオタク。

 この三年でウチが形に残せたものといったら、大学への推薦と、サンマのランクと、闇の決意くらいだ。

 卒業式のあとでカラオケに行ったりするような友達もいない。

 中学の卒業式の時と同じ気持ちを、いまも味わっている。

 ……進学したら、今度こそ友達を作るぞって。

「ウチ、成長してないなあ」

 一人、ごちる。

 そんな孤独に浸っているのも束の間、ポケットのスマホが振動。

 連絡なんてくるわけない――そんなことを思いつつも、思いながら開くとそこには「査問マギア ガチャ更新!」なんてふざけた通知表示。

 イラッとしながらもアプリを開く、ゲーム脳。

 ふーん、新キャラまあまあ使えそうじゃない。ま、ウチくらいになるとこのキャラなくても十分強いけど。

 そんなことを思い、手慰みにアプリを触っている。

 ……そして気づくと、フレンド「あゆかさま」の最終ログイン時間をチェックしている。

 この期に及んで自分のストーカー癖に笑ってしまう。

 最終ログイン、5分前。

 ちょっと剣一、今日くらいはざくろちゃんにサービスしてあげなさいよ。なにサンマなんて開いてんの。

 闇属性特化、ハデス持ち。ランク230。

 唯一ウチと戦力が拮抗していた、最高のライバルであり、戦友。……そして高校生活そのもの。

 そんな剣一と一緒にマルチプレイをすることは、もうない。


 初めて落ち合った日、三駅隣のハンバーガーショップにも文句言わずについて来た。

 ウチの必死こいてあげたランクを「廃人」と一笑しやがった。

 あっちだって余裕なかったくせに、黙って手を繋いでプレゼントまで送ってきた。

 仕事先に潜入して、勝手に危機に陥ったウチを、必死に守ろうとしてくれた。

 ウチのことで怒り、悲しみ、笑ってくれた、大好きな人。


 ボタンを押すと、警告画面。



 ――本当にフレンドを解除しますか?――



 画面にある親指が、震える。

 これで、繋がるものはなくなる。

 お互いに触れ合おうとする理由も、もうない。

 綺麗で、理想的な別れ方、だった。

 だからもう「あゆかさま」とフレンドである意味はない。

 ……それなのに。


「でき、ないよ……」


 まばたきと同時に、涙が溢れる。

 もう、すべては終わったことなのに。

 自分で終わらせたことなのに。

 たった一つのデータと繋がりを失うことだけが、どうしてもできない。


「ウチが自分で捨てちゃった。全部いらないってざくろちゃんに返しちゃった。剣一、結婚しちゃった。……かなしいなあっ」

 おぶられた時の広い背中、勢い余って抱き着いた時の匂い。目があった時に照れ交じりに見せる笑顔。

 そのすべてから、ウチは卒業しようとしている。

 親があまり帰って来ないって話をしてから、剣一はうんと優しくなった。

 それが嬉しくて、ウチは構って欲しい時に家の話をした。……剣一に優しくされたくて。優しくされたいなんて思ってしまう、自分すら好きになってしまいそうで。

 けれど剣一をフったのは自分、ざくろちゃんに突っ返したのも自分。

 ざくろちゃんの決意に乗っかっていれば、剣一はウチのものになった。

 でも拒否したのは自分、カッコつけようとした自分だ。

「ウチだってね。剣一なしじゃ、生きていけないんだよ……」

 叫んだって、返ってくるはずもない。

 返ってくることを望むことすら許されない。

 決意なんて歪んだもので硬めてしまった自分から、そんなこと望めるはずもないのだから。


 振動。

 握りしめていたスマホが再び、新しい通知を送ってくる。

 またサンマだ。

 はは、ウチ友達いないから、ゲームからしか通知が来ないや。

 涙を袖で拭き、開き直ってスマホを開く。

 わかったわよ。ガチャ更新でしょ、回しますよ、課金しますよ。

 ウチがないと生きていけないのは剣一じゃなくて、サンマです。

 付き合い自体は剣一より長いんだし、なにより……って。


「新しいフレンド申請が来ています!」


 久しぶりに見る、その画面。

 フレンド募集、拒否してたはずだけど……

 それにウチはランク260の天上人。

 おいそれとフレンド許可なんてしないけど、その辺わかってる?

 とりあえず画面をタップし、中身を確認する。



「ランク8 黒田ざくろ」



 ……は?

 このご時世に、本名プレイですと?

 しかも苗字が変わっている、イヤミか?

 そしてフレンド希望のメッセージがまた舐めている。


『黒田剣一のよめです、サンマはじめました。初級者クエストがクリアできないので、助けてください』


 あほくさ。

 今話題のゲームがあって、面白そうなのでやってみようと思ったってか。サンマ舐めんな!


「ぷっ……ふふっ…………あほくさーーー!!!」


 昼間の住宅地に大声で叫ぶ。

 こんなの……笑うしかないでしょ。

 ウジウジ悩んでた自分がバカみたいだ。


 おふざけなのか、気を遣ってのことなのか、それともガチなのか。

 ウチは連絡アプリを開き、二度と連絡しないと誓ったトーク画面を開き……メッセージを送る。


「嫁の教育がなってない」


 返信はすぐ返ってきた。


「せやな」




 ――受容していれば妬むことはない、か。

 なれる、かな。

 決意なんてなくても、いつかは心から受け入れられるのかな。

 別に受け入れなくてもいいのだろう。

 だって、そうしなきゃいけないなんてことない。

 許せなかったら、許せなくたっていいんだ。

 許すことが正しいわけでも、決意で強制されるわけでもないんだから。

 いつかはこの決意だって失う時が来る。

 でもその時に、一歩も動かず過去を引き摺っていたりしたくない。

 最後に泣いたのも男にフラれた時なんて……なんかネクラだし。


 だから次の卒業式は――友達に囲まれて涙を流してみたい。

 そんな普通っぽいオンナノコになれるよう、少しだけ踏み込んでみよう。

 マフラーをするりと外し、一身に春風を受ける。


 ……傷の言い訳だけは、もうちょっと考えてみることにした。









-fin-

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冥王にとり憑かれた俺は、婚約者と幸せになれない 遠藤だいず @yamamotoser

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