第二章『マイノルスヨルム』

「……戦争、か」

 エリアルは自室でベッドに横になりながら呟いた。

(まったく気が乗らない)

 ぼんやりとそう考えながら天井を見る。

 一気に体を脱力感が覆う。

「失礼します」

 ドアがノックされたと同時に入ってくる人影があった。

 エリアルは気乗りしていない眼差しを向けると、傍に立っていたのは二人の少女だ。

「本日、聖騎士エリアル・ラルザード様の隊に配属されたアリア・テュールです」

「同じくテッサ・ナーテルです! よろしくお願いしまっす!」

 一人は軽くウェーブがかかった髪をしていて、目つきは少しきつい。

 その纏っている雰囲気からも堅物だというのが分かる。

 まだ戦闘にもなっていないのに鎧を着込んでいる事からも生真面目さが分かる。

 一方、一緒にいる少女はほぼ正反対の性格をしているようだ。

 三つ編みを二つに分けて肩口から下げている。

 目はくりくりと良く動き、快活そうだ。

 背中に杖が括り付けられている所を見ると、どうやら魔道士らしい。

「ああ。まあよろしく」

 エリアルは軽く挨拶すると再び天井をみやった。

 その様子を見ていたアリアは顔を引き攣らせながらも穏やかな口調で話し掛けた。

「あ、あの……隊長。それだけでしょうか?」

「? 何が?」

 エリアルはまったくアリアのほうを見もしないで呟く。

 アリアは遂に怒りを露わにした。

「フェルキス様から命が下っているのでしょう! すぐに軍を編成しなければいけないのにここで何をやっているんですか!!」

「そんなに怒るなよ。皺が増えるぞ」

「余計なお世話です!」

「アリアったら、もう隊長と仲良くなっててずるい~」

「なってない!」

 ひとしきり叫ぶとアリアは冷静さを取り戻した。

 息を整えてエリアルに再び進言する。

「隊長。確かにフェルキス様から兵士を割り当てられましたが、まだ軍としては未熟なんです。隊長が指揮して軍隊として能力を発揮できるようにしないと!」

 アリアの言葉にエリアルは体を起こした。

 そして真剣な眼差しを向ける。

「……なん、ですか?」

 アリアは先ほどまでとはまるで違うエリアルの瞳に思わず顔を紅く染める。

「めんどくさい」

 出てきたのはそんな言葉だった。

 アリアはあまりの事に声も出ない。

「そんな事やるくらいなら天井の染みでも数えてる」

 そう言ってエリアルはベッドに横になった。実際、天井の染みを数えているらしい。

 アリアはあまりの事に真っ赤になり、テッサはけらけらと笑っている。

「分かりました! わたしが軍を訓練します!! よろしいですね!」

「ああー。好きにしていいよ~」

 あまりにもぞんざいなエリアルの返事。

 アリアは憤慨のあまり涙を浮かべて部屋を後にした。

「……あーあ。隊長、アリアを泣かしちゃだめです」

「テッサ、って言ったっけ?」

 テッサは相変わらずベッドに横になって自分に視線を向けない男の、口調の変化に気づいた。

 先ほどまでとはまるで違う、その場にいるだけで威圧感に押しつぶされそうになる。

 冷や汗が背中を伝った。

「戦争、好きか?」

 単純な質問。

 しかし口調は厳しい。今までの、どの言葉よりも。

「……痛いから嫌いです」

 テッサは正直に答えた。

 そう。自分は痛い事は嫌いだ。できればこのまま静かに暮らしていたかった。

 戦争など、起きなければ良かったと思ってる。

「そうか」

 テッサは言ってから不謹慎かと思い立った。しかしこの場で自分の気持ちに嘘をつく事がより不謹慎なのではないか? そして、この人に嘘はつけない、と直感で感じ取っていた。

 次に出てきた言葉はテッサには意外なものだった。

「俺も嫌いさ」

 平然と言ったエリアルに拍子抜けした顔を向けるテッサ。

 その時はすでに、あの威圧感は消えている。

「隊長、これからもよろしくお願いします」

 そう言って、テッサは部屋を後にした。

 エリアルはすでに眠りについていた。その寝顔は笑顔だった。



『マイノルスヨルム』とは世界の中心部に位置している大陸の名だ。

 地図を見ると五つの大きな大陸が『マイノルスヨルム』を取り巻くように位置していることが分かる。それぞれの大陸にはそれぞれの名前があり、文化がある。

 世界を創ったとされる創造神・アルティメイヤが従えた六匹の神獣の名。

 その名前をそれぞれの大陸に名づけた者は、古代人が残した壁画に描かれている創造神と神獣の配置が、大陸の配置とほぼ同じ事からつけたと言われる。この世界には六つの文化が存在していると言っていい。



 アリアは自分が配属された部隊の隊長にすでに嫌気がさしていた。

 憤怒のあまりに涙が溢れるのが分かる。とりあえず歩きながらも涙を拭いて、足音をけたたましく立てながら進む。

 エリアル・ラルザード。

 全くやる気の見られない男。

 怠惰なオーラが体から滲み出ているのが目に見えるようだ。

 そんな男というのがアリアは一番嫌いだった。

 男らしい男。

 強靭な意志を持ち、知勇にすぐれた男。

 そんな男こそ真の騎士だと思っているアリアだからこそ、その対極に位置しているようなエリアルにここまでの怒りを覚えるのだ。

 アリアが謁見の間でのエリアルの行動を見ていれば、まだ評価は少し上がるだろうが。

「なんて人なの! あれでよく『聖騎士』に選ばれてるわよね!!」

 通り過ぎていくアリアの剣幕にすれ違った兵士達が何事かと振り返る。その視線を睨みつけて一蹴し、アリアは城の外に出た。

 アリアが向かっているのは徴兵されて兵士が集まっている兵舎。

 エレンス王国が保持している戦力は大きく分けて九隊ある。

 大神官フェルキス・ローゼ・エレンス直属の精鋭が所属しているエレンス魔法兵団。

 その下に聖騎士達が割り当てられた八つの部隊。

 ディノス・コーウェルの第一部隊。

 バウンド・バウの第二部隊。

 フェリポス・ギニエルの第三部隊。

 エアスト・ノインの第四部隊。

 ミラト・ライヴァンスの第五部隊。

 ソニア・アレイズの第六部隊。

 シーラ・プレノスの第七部隊。

 そして、エリアル・ラルザードの第八部隊。

 ディノスの部隊はフェルキスの魔法兵団と共に王国を守護する事が決まっている。

 残りの部隊は近い内に各地に配置されるだろう。

 それまでに隊としての統制を整えておかないと戦闘が始まってからでは遅いのだ。

「それを……隊長ときたら……」

 ぶつぶつとエリアルへの愚痴をこぼしながらアリアは兵舎に着いた。

 城を取り囲むように配置されている兵舎の中で、エリアルの部隊の宿舎は城から真横に位置していた。

 夕方になると完全に城の影に隠れてしまう。

 その待遇もエリアルへの当てつけなのかとアリアは考えてしまうのだった。

「あら、あなた……」

 アリアは自分に声がかけられたのだと気づいて振り向いた。

「ソ、ソニア隊長!」

 アリアはソニアに敬礼した。

『聖騎士』は自分達、兵の最高の称号だ。

 尊敬する存在であるといえる。

(さすが、『聖騎士』の称号を得ている人だわ。なんというか、気配が違う)

 アリアは素直にソニアの力量を認めた。そして自分の隊長の態度を思い返して溜息をつく。

「何? 恋人に裏切られたような溜息を出して」

「い、いえ! そんな事はありません!」

 アリアはムキになって否定する。ソニアはそんなアリアの様子がおかしかったのか笑みを浮かべた。

「悩みがあるなら相談に乗るわよ」

 ソニアの申し出にアリアは少し躊躇したが、意を決してエリアルの事を話した。



『マイノルスヨルム』には二つの巨大な国家と少数の民族国家が存在している。

 北にエレンス王国、南にルージア王国だ。それぞれの領土付近に少数民族国家が点在し、それぞれの国の属国という形で生き残ってきた。

 二つの国家は厳密には北東と南西に分かれていて、ほぼ楕円形の形をした大陸を、中心を通る斜めの線を国境として長い間対立してきた。

 しかし決定的な戦争へと至らなかったのは国力が充分ではなかったし、少数民族国家を平定するのに意外と手間取っていたからだ。

 しかしそれもこの年、ヨルム歴九百年に双方同時に全ての民族国家を支配下に置いた。

 それこそが、これから始まる大戦争への序曲だったのだ。



 アリアはエリアルの行動を全てソニアに洩らしていた。

「――というわけなんですよ。信じられますか! あれでよく『聖騎士』に任命されてますよね!!」

 二人がいるのは兵士達が利用する食堂。今の時間帯はちょうど夕飯の時間で、周りには兵士達が多い。そのために声が大きいアリアに周りの視線が集まる。

 アリアの様子を見てソニアは自分の行動を考えてみる。

(わたしって、こんなふうに見えていたのかしらね)

 アリアの不満に思っている事は自分が抱いていたものと同じだ。

 だからこそ、ソニアはアリアに言う事にする。

「アリア、『聖騎士』に任命される人って、どんな人だと思う?」

「それは……」

 アリアは突然に自分に問われた質問に動揺した。それはあまりにも当たり前すぎて、そしてあまりにも曖昧な物だったからだ。

「それは……正義を重んじ……平和を愛する……知勇に秀でている、本当の騎士に」

「そうあなたが思うのなら、エリアルはきっと、『聖騎士』に相応しいわよ」

 ソニアがそう言った事にアリアはショックを受けたようだった。

 彼女がエリアルにいつも怒鳴っている事は兵士の間では有名だった。

 だからこそアリアは不満をソニアに言う事にしたというのに。

「ど、どうしてそう思うんですか!!」

「わたしがあいつに怒っているのは、あなたが怒っている事と同じ。いつもグウタラしてるところ」

 ソニアは笑う。過去を思い出して微笑んでいる。その事はアリアには理解できない。

「でもね。多分、エリアルは誰よりも争いが嫌いなのよ。平和が好きなの。ミラトがいなかったら、シーラみたいに惚れていたかもね」

 アリアはソニアの言葉に絶句するしかなかった。

 何か自分は今、普段ならば絶対聞けないような事を聞いている気がする。

「……でも、今は闘わなくてはいけない時なんです。その平和を掴むために」

 信じられないといった様子を隠し切れないままアリアは自分の考えを告げる。

 ソニアは頷くと静かに言った。

「そうね。エリアルも分かっているわよ。でも、簡単に踏ん切りをつけれる奴じゃないの。何せ、訓練でさえ相手を傷つけるのを躊躇う奴なんだから。訓練なんだから怪我しても仕方が無いって言うのにね」

「じゃあ、どうして騎士なんかになってるんですか……」

「親が勝手に志願者募集している時に送ったらしいわ。本人は断ったけど親が『死ぬまでに息子の晴れ姿が見たい!』って言われて仕方なく」

「……」

 アリアは嘆息する以外に行動できなかった。



 エレンス王国が創造神・アルティメイヤを信仰しているのに対して、ルージア王国は神と争ったとされる魔王ギールバルトを信仰していた。

 正に対極の存在であり、エレンス王国から見ればルージアは異教徒の集まり。

 そのためにエレンス王国領に住む者は大抵、ルージア国を快く思ってはいない。

 そしてそれはルージア国も同じだった。

 一つの大陸に異なる信仰を持つ二つの国家。

 お互いがお互いの事を忌嫌うのならば、衝突は避けられない事なのだろう……。



 バリウスは窓を開けて外を見ていた。

 視線の方向はルージア国の方角。

 その先にあるはずの、この王都と同じような、ルージア国の王都を。

「戦争は避けられぬ」

 その口調はとても痛々しい。

「苦しむのは、我々だけではないと言うのに……」

 窓を閉めて部屋の中に戻るバリウス。

 そして強く、悔恨するように、叫んだ。

「過ちを進んで犯すか! レーストラスト!!」

 その言葉に応える者は、この部屋には居ない。



 To be continued……

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形のない街を目指して 紅月赤哉 @akatuki206

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