第一章『エリアル・ラルザード』

 硬い金属のぶつかりあう音が空気を伝わってくる。

 エリアル・ラルザードは城内の景観を良くするために植えられた木の下で寝ていたが、その耳障りさに眼を覚ました。

 歳は十九歳。もうすぐ二十歳を迎える。

 まだ若いのにどこか物憂げで、今一つ覇気が感じられない容貌。

 薄い青色の髪に、碧眼。顔立ちは貴族と言っていい。

 彼自身はそんなに身分の高い家柄の出身ではないが。

 容姿ならばトップクラスに入るというのにその雰囲気が全てを台無しにしている。

 エリアルは欠伸をしながら上体を起こした。下には木とセットで生えている芝生。

 今しばらく草の感触を味わっていたかったのか、名残惜しそうに草に視線を落としている。

「あなたは何をサボっているの?」

 落とした視界の端に足が映った。見慣れたブーツと聞きなれた声。

「相変わらず不機嫌そうな声を出しているな、ソニア」

「あなたが言わないで欲しいわね」

 エリアルは視線を目の前にいる女性の顔に合わせる。

 きつい目でエリアルを睨みつけている女性、ソニア・アレイズはわざとらしく溜息をついて首を落とした。

「どうしてこんな奴が『聖騎士』なんかに選ばれているのかしら。わたし達『聖騎士』の恥さらしよ」

「そいつは手厳しいな」

 エリアルはソニアの辛らつな言葉にも飄々とした口調で返した。

 それがいっそう彼女の怒りを増幅させる。

「あなた――!」

「そこまでにしておきなよ、ソニア」

 後ろからソニアの肩に手を置いて静止してきたのは金髪の男。

 ソニアやエリアルと同年代だろう。手に槍を持っていて、うっすらと汗をかいている。

 どうやら先ほどの金属音の元だったのだろう。その音は既にやんでいる。

「でも、ミラト……」

「いやー、助かったよ。ミラト」

 ミラト・ライヴァンスはエリアルの態度に呆れたように息をついて言う。

「エリアルも、そんなにソニアを怒らせて楽しいのかい?」

「ん? 別に怒らせたいわけじゃないんだが……」

 と、エリアルは視線をソニアに移すとすでに彼女は消えていた。

 すでに遠くに歩いてしまっている。

「……まあ、ソニアには後で僕から言っておくよ」

「いつもすまないなぁ。ミラト」

「まったく反省の様子がないのも相変わらずだね」

 ミラトはさほど気にした様子もなく笑った。

 このやりとりはいつもの事なのか二人は何の気兼ねもなく会話を続ける。

「ところで、いつソニアと式をあげるんだ?」

 エリアルとミラトは城内へと歩き出した。

「うーん、まあ今は何かと情勢が不安定だからなぁ……。でも二十歳になったら結婚する気だよ」

 ミラトは顔に笑みを浮かべて言う。

 すでに幸せを掴みかけているからか、余裕が感じられた。

「俺達、幼馴染みの中でお前が最初に結婚するとはなぁ……一番奥手だったお前が」

 エリアルは顎に手を当てて昔を思い出すように視線を軽く上に向けている。

「まあね。でもエリアルにも相手がいるじゃない」

「いや……、あいつは……」

 エリアルは口ごもってしまう。

 その様子を、笑みを消さずに眺めながらミラトは歩いていた。



 二人は城内に入り、目的地へと向かう。

 今日はこれから陛下直々の命が下るらしい。

 よって、いつもの訓練の後に謁見の間に集まるように言われていたのだ。

「そう言えばディノスは?」

「さっきまで一緒に稽古していたんだけど……何か用があるからって一回自分の家に帰ったよ」

「ふーん……。珍しいな。あいつが忘れ物をして城に来るなんて」

 心底意外な風にエリアルは言った。よほどその人物の事を評価しているのだろう。

 二人はそんな会話をしつつ謁見の間に着いた。

 中に入ると、その人物を除いた残りの『聖騎士』達が集まっている。

『聖騎士』はエリアル自身を入れて八名。

 エリアルとミラトは並んでメンバーの隣に歩いていった。

「エリアル様、お久しぶりです」

 所定の位置に着いたエリアルに話しかけてきたのは腰まである艶やかな黒髪を持つ女性だった。

 どこか、エリアルやソニア、ミラトと持っている雰囲気が違う。そもそも生まれた大陸が違うのだから当然だ。

 その黒瞳がエリアルを見つめる視線は尊敬とそれ以上の感情の光で染まっている。

 そしてその視線はエリアルの最も苦手な物だった。

「ああ……。シーラ、遠征から帰ってきたのか」

「はい。エリアル様と一月もの間離れていて、わたし、寂しかったです」

 シーラ・プレノスはそのままエリアルの腕に腕を絡ませてきた。

 その積極的な態度にミラトも口笛を吹く。

「相変わらず、シーラは積極的だね」

「本当に……こんな駄目人間のどこがいいのかしら?」

 口を挟んできたのはソニアだった。

 ミラトはソニアの隣に行く。

「まあまあ、エリアルにもいい所はあるんだよ」

「どこよ、それ」

 ソニアは全く聞く耳持たずに視線を逸らした。ミラトもいつものように笑みを浮かべる。

 残りの『聖騎士』達もエリアル達の会話を聞いているのだろうが、あまり関心はないようだ。

 そもそも『聖騎士』は仲間と言うよりはライバルに近い。

 仲が悪い、と言うわけではないが親しい付き合いなど無きに等しい。

 親しいのは昔からの幼馴染みであるエリアル、ミラト、ディノスの三人。

 ミラトの恋人であるソニア。

 そしてエリアルに熱をあげているシーラの五人だ。

「陛下がおいでになりました」

 女中がそう告げると一気に場の空気が冷えた。

 そして奥の扉から出てくる二つの人影。

 一人はこの国、『エレンス王国』の大神官を務めている、フェルキス・ローゼ・エレンス。

 そしてもう一人こそ、エレンス王国国王、バリウス・キューネ・エレンスだった。

「これより陛下から大事なお話がある。謹聴するように」

 大神官の法衣を身にまとって傍らに立っているフェルキス。凛々しい顔立ちはやはりバリウスに似ている。

 エリアル達は跪いてバリウスの言葉を待った。

 場が静まりかえり、静寂が支配する。

「皆の者。危惧していた事が起こってしまったようだ」

 言葉の不自然さにエリアルは顔を上げた。どうやら他の『聖騎士』達も同様に顔を上げている。

 その時、謁見の間の扉が開かれた。

 そこには息を軽くきらせた男が一人。

 金髪を短くしてその顔立ちがはっきりする。

 その精悍な顔つきは男が類稀なる戦士だと分からせるには充分だった。

「ディノス・コーウェル?」

「一番新しい情報が入りました」

 ディノスが懐から取り出したのは封をされた手紙――報告書だった。

 バリウスの眼前まで歩いていき報告書を渡すと、ディノスは下がって皆と同じくその場に跪く。

「そうか……」

 バリウスは憎々しげに顔を歪めて読み終えた報告書を床に叩きつけた。

 そして眼前に並ぶ『聖騎士』達を一人一人見る。

「バウンド・バウ」

「はっ!」

 立派な口髭を生やした巨体を持つ男が顔を上げる。

「エアスト・ノイン」

「……」

 長い銀髪を肩口に垂らしていた男は無言で首を下げる。

「フェリポス・ギニエル」

「はい」

 眼鏡をかけた、何処となく大人しめの男が返事をする。体型も少しこの面子の中では小さめだ。

 手に立派な杖を持っている事からも魔道士であろう。

「シーラ・プレノス」

「は、はい!」

「ソニア・アレイズ」

「はっ!」

「ミラト・ライヴァンス」

「ここに」

「エリアル・ラルザード」

「ここにいます」

 エリアルの返事はそれまで続いてきた中では気のないことが明白だった。

 フェルキスは一瞬、こめかみに青筋を立てて体を動かしたがバリウス自身が抑えた。

 そして何事もなかったかのように次の名前を言った。

「ディノス・コーウェル」

「はっ!!」

 全ての『聖騎士』達は立ち上がり、右手を握りながら左胸へと持ってきた。

 エレンス王国式の敬礼。

 バリウスはもう一度、皆の顔を見回してからはっきりとした口調で切り出した。

「戦争が、起こる」

 雷鳴が外から響いてきた。

 いつからか雨が降り始めていた……。



「この世界が形成される以前。創造神アルティメイヤと長い時を闘い続けていた存在があった」

 バリウスは自分の眼前に立つ、選ばれし戦士達へと静かに話し始めた。

 雨音は激しさを増し、いつのまにか窓の傍によったフェルキスは雨粒が入らないように閉める。

「神と『魔』は長い間争っていた。それこそ、我々の一生が幾度も繰り返されるほどの、長い間。しかし、今から六百年程前にその争いは神の勝利で幕を下ろした」

 バリウスは代々伝わる神話を話した。それはもちろん、『聖騎士』達も知っている物。

 バリウスがどうしてこの話をするのかがまだ、『聖騎士』達には分からなかった。

 ただ一人を除いて。

「ルージア、ですね」

 その瞬間、部屋の中の気温が下がった。

 いや、そう錯覚したのだろうが。

 言葉を発したのはエリアル。全員の視線がエリアルを向く。しかしエリアルは気にせずに先を進めた。

「ルージア国は代々、エレンス王国が称える神、アルティメイヤと争ったとされる魔王ギールバルトを信仰している」

 そして誰もが理解していた。

「ルージアと戦争……」

 誰が呟いたかも分からない声。

 しかし充分、現状を理解するには充分だった。

「そうだ。今、ディノスが持ってきた情報によると、すでに戦闘準備は整い、こちらに向けて進行してきているようだ。今まで和平の道を説いていたのだが、それも無駄に終わったな」

「奴等は異教徒です。話し合いが通用するはずがありません」

 冷たく言い放つエアスト。そうだ、とそれにバウンドとフェリポスが賛同する。

 声は出さなかったがソニアも頷いている。

「そこで。今回君等を収集したのは、日頃の訓練の成果を出してもらうため……」

「陛下」

 挟まれた言葉に、その場にいる者の中に緊張感が走った。

 誰もが今、伝えられる事を聞くために集まっているのだ。

 声の主はエリアル。

 ソニアは顔を真っ赤にして怒りをぶつけようとしていたのをミラトが抑えた。

「失礼を」

 誰もその動きを見る事は出来なかった。

 それは一瞬の出来事。

 エリアルは言葉の呑気さとはかけ離れたスピードで腰の剣を引き抜き、投擲した。

 投げられた剣はバリウスの横を通り抜けて後ろの壁に突き刺さる。

「……」

 バリウスは驚きのあまり声も出さずに体を震わせていた。

 その場にいるほとんどの者がエリアルの行動を理解できなかった。

 そう。数名を除いては。

「ルージアの間者のようです」

 静寂が支配した空間に最初に響いた声はディノスのものだった。

 ディノスもすでに剣を半分抜いていた。

 エリアルとの差はバリウスの後ろに投擲するのに躊躇したか、しないかだ。

 我にかえった者達が突き刺さった剣を見ると、壁に突き刺さって黒装束の人間が絶命していた。

「まったく気づかなかった……」

「希薄な気配だったから仕方ないだろう」

 ディノスはうめくバウンドにフォローをいれる。

 エアストはディノスを見て舌打ちをした。

「失礼しました。お話をお続け下さい」

 エリアルは、何がその場を凍りつかせているのか分かっていない様子でバリウスに先を進める。

「……助かった。エリアル」

「陛下を守るのが『聖騎士』の任務ですから」

 エリアルは飄々とした面持ちでその場に立っていた。ディノスも剣を収めてエリアルを笑みを浮かべながら眺める。

「『聖騎士』達よ」

 気を取り直したバリウスが再び『聖騎士』達に声をかける。

 皆もあらためてバリウスに敬礼した。

「最早一刻の猶予もならん! 直ちに軍を編成して、ルージア軍を倒せ!」

 凛とした、響きのある声だった。

 迷いなど全くない。

 あるのは確固たる意志。

「戦争……」

 シーラは口に手を当てて事のおぞましさを想像した。

 自分が行ってきた遠征は、村を脅かしている盗賊団の掃討。

 戦争と呼べるような代物ではない。

 しかし今度は違う。

 本格的な、自分がこの大陸では初めて体験する戦争。

「各自に軍を配備するのはフェルキスから聞くがよい」

 その言葉を最後にバリウスはその場を後にした。フェルキスが『聖騎士』達に公国が保持している戦力を分散させていく。

 分散が完了した時点で、この集まりは解散となった。

 誰もが、これから始まる戦争と言う狂気の宴の足跡を感じながら……。



 To be continued……

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