ACT60 エピローグ


「お母さん、お父さん、錬にぃを助けてくれてありがとうございました」


 咲は仏壇の前で手を合わせると目を瞑る。

 やがて拝むのを終えると、神薙に視線を向けた。


「じゃあ、咲はもう行くね。友達と約束してるから」


「おう」


 咲はリビングにいる祖母、夢子にも辞去を伝えると和室を出る。

 その姿には昨日、神薙が家に帰った時に見せた深い心痛の念は跡形もなくなっていて、平常通りといった感じだ。

 とはいえ、一応TPОを弁えているのか、頭にジュピターは装着していなかったが。


 咲は〈ジェニュエン〉を観戦していた。

 それも、公式放送ではない闇サイトまで覗いて。

 神薙はそのことを知らなかったが、今までもずっと神薙を応援するために両方を観ていたらしい。


 咲はそこで、神薙の笹塚地区での窮地を知った。

 今にも自分の兄が死んでしまうのではないかと居ても立っても居られなくなり、咲は父と母の写真を握りしめ、その両親に泣きながら懇願したという。


 どうか錬にぃを助けてあげてください。まだ錬にぃを咲のそばに置いといてください。何度だって会いに行くからお願いします――と。


 両親の死を信じまいと遠ざけていた咲は、こうして事実を受け入れることとなり、仏壇の前に座ることができた。

 きっかけなど、なんだっていい。

 咲が前を向いて進めるのなら、それで良いのだと思う。


 両親への報告を終えた神薙は、夢子に帰宅の旨を伝えたのち外へと出る。

 照りつける日差しが打ち水をした石畳に反射して、神薙の目を眩ませた。

 神薙は太陽光線を手で遮りながら、一緒に来た幼馴染を探す。

 彼女は石段の前でこちらに背を向けて立っていた。

 手を振っているが、おそらく咲に向けてだろう。


 その朗らかな横顔を見る限り、昨日の〈ジェニュエン〉での惨劇はなかったかのようだ。

 陽菜の性格を考えれば、その切り替えの早さは別段驚くものでもない。

 が、記憶が消え去ったわけではない。

 例え些細なことであっても、喚起された先日の出来事が陽菜から彼女らしさを奪い去る可能性だってある。


 それを考えれば、今から陽菜をアイオロスに引き合わせるのは正直、気が乗らなかった。


 ――神薙が〈ジェニュエン〉に身を置く理由は、一から丁寧に伝えた。

 

 

 それは、『焔騎士団の誰かが、一年間の累計ウイニングポイントでランキング一位を取るため』だと。

 

 条件を満たせば、複合現実管理局運営はそのプレイヤーに最大級のプレゼントを進呈することになっていると。


 そのプレゼントとは、『』というものであると。


 そして焔騎士団全員の望みとは、〈ジェニュエン〉というゲームのサービス停止であるということまでを。


 

 だからこそこれ以上、神薙の裏の素顔について知る必要などないと思ったのだが、


 ――錬ちゃんとはどういう関係にあるのか、私にはもっと詳しく知る義務があります。責任者と会わせなさーい。幼馴染の私に隠し事なんか許さないんだからねっ――。


 などとプンスカ顔で迫られれば、紹介せざるを得ないのだが。


 その時の陽菜を思い出し、神薙は苦笑する。

 これは将来苦労しそうだなどと考えて、『いや将来ってなんだよっ』東京胸中で盛大に突っ込んだところで陽菜がこちらを向いた。


「あ、錬ちゃんっ。おーい」


 すると彼女は、小走りでやってくる。

 服装は先日神薙の部屋に来た時と同じ、水色のフリルブラウスにホワイトのスカートというコーディネイトなのだが、そのフリルブラウスのゆったり感でさえ全く隠し切ることのできない大きな胸を、たゆんたゆんと揺らして。


 、先週からまた大きくなってないか……。


 そんなことを思いつつ母性の象徴を眺めていると、神薙の傍まできた陽菜が眼前に腕を伸ばした。

 すると、顔面に当たる拳。


「ぶふっ!?」


「おっぱいばっかり見るなパンチ」


「いってー。……そ、そんなに揺らしたら見るだろ、そりゃ」


「わざと揺らしているわけじゃないもん。走るなって言うのー? ところで、お参り終わったんだよね? じゃ、行こっ」


 陽菜が神薙の手を取る。

 やけに自然に握ってくるので、一瞬、「外歩く時、いつも握ってたっけ?」という疑問が過るが、そんなことはないという結論が瞬時に出る。

 ちらりと陽菜を横目にすると、その頬が薄っすらと紅色を浮かべているが、陽の光の加減によってそう見えているだけなのかもしれない。


 神薙は石段を下りると、左へと曲がる。


「もう一度確認するけどさ、本当にアイオロスと直に会う気なのか? VRの中でじゃなくて?」


「またその話ー? ……あれ? もしかしてアイオロスさんってリアルだと、すっごいその……なんというかイメージが違う、感じ?」


「いや、そこまで変わらない。幻滅することはないんじゃないかな」


「なら別に会ってもいいじゃん。というより私はアイオロスさんの見た目はどうでもよくって、真剣なお話の時はリアルで会うべきだと思っているだけだよ。だって……」


 陽菜が坂の途中で足を止める。


「陽菜?」


 俯いて神薙から目を背ける彼女は、憂慮を思わせる表情を浮かべたのち、陰った顔をこちらに向けた。


「だって錬ちゃん、めないんでしょ?」


 その問い掛けの含意がんいを読み取れば、『錬ちゃんが〈ジェニュエン〉に参加しなければ、合う必要なんてないのに』といったところだろう。

 だから神薙は、はっきりと言った。


「ああ。潰すまで俺は止めない」


「……だよね。だったら、」


 陽菜が一歩前に出て、ほぼ密着状態となる。

 豊満な胸に押されて、あやうく体勢を崩すところだった。


「お、おい、陽菜――」


「だったら、錬ちゃんのことをお願いしますって私が言わなきゃダメじゃんっ。錬ちゃんの両親の代わりに私が頭を下げるべきだと思わない? でも下げたと言ってもヘコヘコするわけじゃなくて、過酷な労働をさせないで下さいとか、安全対策も頼みますよとか、あと労災とかどうなってるんですか、とかとか、その他諸々も宜しくお願いしますからねって、そんな感じのことをズバッて言ってやるつもりっ」


 いや、会社に勤めてるわけじゃないから。


 そんな突っ込みを入れるつもりだったのに。

 神薙は陽菜を抱き寄せると、その耳元で言った。


「ありがとう。……ありがとうな、陽菜」


「錬、ちゃん……」


「昨日からなんか色々と本当に……ありがとう」


「ううん。私だって助けてもらって感謝してる」


「……それとごめんな。心配かけて」


「うん」


「〈ジェニュエン〉を続けるって言った俺を許してくれるか」


「死んだら絶対許さない」


「死なないって約束する」


「嘘吐いたら、絶対許さない」


「お前には絶対嘘を吐かない」


「――なら許します」


 暫しの抱擁のあと、そっと陽菜を離した。

 

「行くか」


「うん」


 今度は神薙のほうから陽菜の手を握る。

 握り方をさきのシェイクハンドから恋人つなぎに変えてみた。

 今度こそ陽菜の顔に朱色が浮かんだが、神薙は気付かない振りをした。

 

 将来はなんとなく苦労しそうだけど、それも悪くないよな、と思う神薙だった。


 

 了

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