ACT59 BATTLE OF EAST GARDEN ―Ⅵ―


 陽菜は落ち着いて弓を引く。

 ヴェノムの動きは止められたが、もう一人の敵も足止めしなければならない。


「錬ちゃんっ、早く立ってッ!」


 陽菜はありったけの声を上げると、矢を放った。

 光の軌道というレールを疾走するその矢は〈五寸だ釘太郎〉の額へと突き刺さり、幸いにも敵のHPの全てを奪い去る。


 陽菜は休むことなく、〈青鷺火の弓〉をフルドローへと持っていく。

 

 ヴェノム。

 世にも恐ろしい人間狩りを実行した諸悪の根源。

 そのヴェノムと対峙して、陽菜の中に渦巻く数多の映像と感情。

 でも、その中で何よりも鮮烈に際立つのが、神薙錬という存在への想いだった。


 優しくて、楽しくて、カッコよくって、いつだって陽菜のことを第一に思ってくれる幼馴染。

 そんな大好きな錬が傷つけられるを目の当たりにして、今までの十六年間で発露したことのない激情が陽菜を支配した。


 あんたなんか、ここで死んじゃえばいい。


 その燃え盛る感情を纏った渾身の矢が陽菜の手元を離れる。

 一瞬、膝の痛みで体勢が僅かにずれたが問題はない。

 ――はずだったが、無情にも矢は光の軌道からずれ、陽菜に矛先を向けているヴェノムの頬を掠めて消えていった。

 


 ■■□



「こんの糞アマアアアアアアッ!! 腹、掻っ捌いてやらぁッ!!」

 

 ヴェノムが神薙を無視して陽菜へと距離を詰める。


「待て、ヴェノムッ! 陽菜に手を出すなッ!!」


 神薙はなんとか立ち上がると、ヴェノムを追う。

 スキルゲージ的に〈桜華飛燕斬〉は無理だと判断すると、右足を引きずるようにして前へ出る。

 しかし、ヴェノムとの距離は離れる一方だ。


 このままでは陽菜が斬られる。

 

 ――それは最悪の想像ではなくて。

 

 ヴェノムは足が竦んだように立っている陽菜の元へ辿り着くと、寸刻の間も置くことなく彼女に

 陽菜の肩から腰に向かって、斜めに裂傷エフェクトが走る。

 HPがガクンと減って残り三割。

 

「う、うう、あ……ッ」


「陽菜ッ!!」


 陽菜の両手がだらりと下がり、〈青鷺火の弓〉が地面へと落ちる。

 もはや僅かの戦意すら失ったであろうその陽菜に、再びヴェノムがシースナイフを斜めに振り下ろした。


 上半身に赤いバツ印のようなエフェクトを浮かび上がらせる陽菜。

 その瞬間、幼馴染のHPはゼロとなり、「うああああッ!!」と、今まで耳にしたことのない絹を裂くような声を拡散させた。


「陽菜ぁぁッ!!」


 膝からくずおれた陽菜は、胸を押さえて荒々しい気息を繰り返す。

 そんな彼女を救おうと必死に前進する神薙に、ヴェノムがゆっくりと見向いた。

 ヴェノムはマスクを鼻までめくると、露わになった口に残忍な嗤笑を張り付けて、こう言葉を吐いた。


「ちゃんと見届けろよぉ、エクサ。てめぇの大事な女が逝くところをよぉ」


 舌を出すヴェノム。

 そしてマスクを元に戻すと、シースナイフを両手で握り、頭上に振り上げた。


 おい。

 止めろ。

 止めてくれ。

 お願いだからそれだけは――。



「大丈夫」


 

 ふと、耳に届いた声。

 刹那、薄紅色の鎧を着たプレイヤーが神薙の脇を通り過ぎてヴェノムへと近づく。

 それが誰であるかをはっきりと知ったのは、ヴェノムの両手がぐにゃりと曲がり、シースナイフが落下したのを見てからだった。


「いってえぇっ、な、何が起きた―—ッ!? ――がっ!?」

 

 の細剣ヴァシリサによって両手を横薙ぎされたヴェノムが、前のめりになって神薙の前で転倒する。

 ヴェノムの背中に蹴りを食らわせたフォレストエルフは、しゃがんで陽菜の背中を撫で、そして地面に横たわらせると、幼馴染がボディバックオブジェクトになるを見届けた。

 

 やがて、こちらに冷気を纏った視線を突き刺す。

 しかしその瞋恚の向けられる先は、神薙ではなく――。


「見張りもハンターも全て倒したわ。残っていた乗客も全て避難済み。あとはそいつだけ。――あなたが終わらせるのよ、エクサ」


 アイヴィーがそう述べると、背後で幾人かの見知っている人間の声が聞こえた。

 アイオロス、ナイトホロー、そしてほかの団員だろう。

 背後にいるはずの〈血鎧の残虐王ベアル〉を相手にしているのか、ウェポンスキルを叫ぶ声が耳に届く。


「……は、ははは。こりゃぁ、もう駄目だ、な。ここは潔~く負けを認めるしかねぇか。アンダードッグをするつもりはねーから、さっさと一撃でデッドマンにしてくれや。でも〈ジェニュエン〉が終わるまであと五分だし、放っておいてくれてもいいんだぜ?」


 ヴェノムがそこで立ち上がる。

〈桜蒼丸〉を鞘に収めた神薙はそのヴェノムに二歩近づくと、握りしめた右手の拳をその腹に勢いよく減り込ませた。


「げほぉっ!?」


「……あー、全然、ダメだわ」


 神薙は体をくノ字にするヴェノムのフードを掴むと、上に引っ張り上げる。

 そしてその横っ面に再び、振りぬくようにして拳を打ち込んだ。

 

「ぐっはあああぁぁ――ッ」


「やっぱり、全然、ダメだわ」


 フードを離さない神薙は、よろめいて倒れそうになるヴェノムを強引に引き寄せると、その背中に全力の膝蹴りを食らわす。

 メキゴキッと嫌な音がしたような気がしたが、どうでもいい。


「あぎゃっはああああぁぁっ!? せ、背骨が、ああ、あ――ッ!」


「なんでかなー、全っ然、怒りが収まらねーわ」


「ま、待てっ、……待ってくれっ! ア、アンダードッグっ、アンダードッグを要求するッ」


 神薙は仰け反ったままのヴェノムを手繰り寄せると、その顔面に振りかぶった己の額を打ち付ける。

 今度はゴキャッという音がはっきりと聞こえた。

 多分、鼻でも折れたのだろう。


「ぶぎっひいいいいぃぃッ!? は、鼻がっ、俺の鼻がああああっ!」


「おい、教えてくれよ。どうすればこの怒りは収まる?」


「ぎひいいぃ……も、もう勘弁してくれっ、あ、あの娘にしたことは、謝るからもう――ッ!」


 神薙はフードから手を離す。

 離したところで俯き加減だったヴェノムの顎を、下から力の限りの拳で突き上げた。

 体を棒のように伸ばすヴェノムが浮き上がり、そのまま崩れ落ちそうなところで神薙は再びフードを掴んだ。


「ぶふううううぅぅぅ、……もう、止、めて、……お、ねがい、止めて……」


「謝るだと? てめえが謝ったところで陽菜が味わった痛みと恐怖は消えねーんだよ」


〈ジェニュエン〉終了まであと一分。

 例え圏外であろうとも、〈ジェニュエン〉が終わった後での暴力行為は違法となる。

 あと百発殴っても殴り足りないが、終わりにしなければならない。

 神薙はヴェノムを押し遣ると、その最低のクズ野郎に総身の力をふりしぼって〈桜華一閃〉をお見舞いする。


「ぐひいいいいいっ!! ……きょきょれへおわひこれでおわり?」


「おまけだ、バカ野郎」


 神薙はたたらを踏むヴェノムのその顔面に、体重を乗せた上段回し蹴りをヒットさせる。

 真っ赤に染まったマスクが見えた時、ヴェノムは石畳の上に転がって全身を痙攣させたのち、ゆっくりと動きを停止させた。


 舞い散りる桜が神薙の手の甲に落ち、そして消える。

 それが自分が設定した演出エフェクトだということを、神薙は今頃思い出した。

 

 渋谷区にサイレンが鳴り響く。

 それは〈ジェニュエン〉終了の合図。

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