第零夜 陽当アタルとフェーブ
おれは別に、日本担当のサンタというわけではない。
神によりサンタに任命された魂は、世界中に飛び回り、世界中で子どもの笑顔のために勤労する。
移動は人間に乗り移ることで行う。要は生きている人間に取り憑くのである。
生きている人間にも、憑依体質の人間や、魂の存在を認識している人間もいる。
そういうやつらに、魂のおれらは取り憑き、移動する。
ちなみにだが、『
そういう、貴重で、なおかつ神への助力に積極的な人間は、それ相応の報酬……、いわゆる"神の御加護"を受けることができるそうだ。
ともあれ、いまおれは、その上位憑依体質個体の導きにより、フランスにいる。
現在日時、二〇十六年一月六日十八時〇三分。
フランスの冬……、舐めてた。くっそ寒い。
なんでこんな超寒い国に、サンタ初出勤として来ることになったんだっけ……?
日本ではこの時期、翌日の食卓に並ぶ七草の名前を仄かに思い出しながら、
────あ、思い出した。
固形の異物を混入させたパイ菓子を切り分け、
なんだかおれの説明からは犯罪の匂いがするな……。
こっちの言葉での表現は"ガレット・デ・ロワ"といったか。固形の異物ではなく、厳密に言えば小さな人形だ。
今日はこっちでは公現祭と呼ばれる日らしい。
しかしぶっちゃけおれからしてみれば、クリスマスと同じく堂々と大きな洋菓子を家族で囲んで食べれる日、という認識でしかない。
まぁよく食えるもんだ。
つい十日ほど前にホールケーキをたいらげたというのに、次はパイ菓子か。
この国の子どもの肥満発症率を心配してしまうほどの甘味摂取量である。
さて、眼下にはフランスの美女たちが華やかな服装で街にくり出している。
いや、もう、この風景を独り占めできていることが、既に、ちょっとした幸せだと感じずにはいられない。
子どもの姿は少ないが、彼らもそれなりに雅やかな格好をして、冬を満喫している。この国の子どもはこの寒さでもはしゃげるのか、すごいな。
少し街から離れてみると、路地裏に細い道があることに気付いた。
そこを駆けていく、色が抜けて明らかに肌寒そうな服を身に纏った一人の少年。
それを後ろから追いかける商人と思わしき人影が二つ。
泥棒……かな?
少年は路地裏を走り続けるも、やはり大人の足には敵わない。
どんどん距離を縮められる。
追い打ちのように、少年の走る先には行き止まりを示す大きな壁が在る。
行き止まりを前に立ち尽くす少年から大人たちは無理矢理商品を奪い、ついでに少年を寄って集って袋叩きにし始めた。
おれはすぐにでも助けたかったが、魂となり上空から眺める側になってしまった以上、それより先の行動はできなかった。
袋叩きに飽きたのか、一人が少年の懐から財布を抜き取り、大人たちは立ち去った。
跡には、ただでさえ色褪せてこちらの寒気を増させていた服が更にボロボロになり、うずくまって震えている彼の姿だけが残っていた。
少年はなんの手柄を獲ることもなく家路についた。
その家はオレンジ色の照明の光に満たされていて、外から見ても、その家の暖かさが伝わってくるようだった。
魂のおれは透過能力をフル活用し、彼の家に潜り込んだ。
てっきりおれは、彼を待つのは怒りを露にしたお父さんや、呆れ顔のお母さんかと思っていた。
しかし、彼を待っていたのは、期待に胸を膨らませた小さな子どもたちだった。
まだ学校に行くか行かないかというくらいの、幼い子どもたち。男女五人。
帰りを待ちわびていた子どもたちは少年が帰ってきたことを喜んだが、彼の手になにも持たれていないことに、全員疑問符を浮かばせている。
「あれ?お兄ちゃん、今日はパイ菓子の日じゃないの??」
一人の男の子が疑問を兄に投げかける。
それに応える帰宅直後の少年。
「いや、悪い。今年は……ないんだ」
苦笑いを浮かべる兄。
「売り切れてたんだよ……っ。しかも財布までなくしちゃってさーっ」
「わっはっは!」とわざとらしく笑い出任せの嘘を並べる兄に、困った顔を向ける弟妹たち。
「だから今日はいつも通り、パンでも食べて、早く休もう。明日は久々に父さんたちも帰ってくるんだ。ぼくたちが元気にしてるところ、ちゃんと見せないとな」
「余計な心配なんて、かけたくないだろう?」と兄は小さく自分の台詞に付け足す。
子どもたちは少し不満そうな顔を見せたが、
「お兄ちゃんがそういうんなら……」
とそれぞれ食事の準備を始めた。
両親は平日出稼ぎに行っている、ということか。
そして、その両親が不在の間は、きっとこの少年が、親代わりとして子どもたちを養っているのだろう。
……しかし万引きを犯してまで買おうとしたパイ菓子とは、一体どんなものなんだ?
おれは、彼が買い物をした洋菓子店の前にいた。
彼が盗んだパイ菓子が、かなり高級なものなら、盗みたくなる気持ちも分かるし、それを大人たちに
だがあの"袋叩き"だけは、あまりにも度が過ぎているという他ないものだった。
しかも、財布まで奪い取るというのは、報復にしては些か以上に過剰に思える。
おれは、自分の嫌な予想が外れていることを期待しつつ、店のバックヤードに魂の状態で潜入した。
────単刀直入に言えば、おれの予想は当たっていた。
そこには、パティシエどころか、調理器具すら一つたりともなかったのだから。
テーブル……、というより、デスクに置かれているのは、アウトレットで安売りになっている、ガレット・デ・ロワ用のパイ菓子の山。
だらしない服装の店員らしき男が、テーブルからそれが入った箱を取っては、値札のシールを剥ぎ取り、元値の倍以上の額の値札に貼り直している。
それを、バックヤード……、いやこの際事務所と呼ぶべきその部屋の奥に置かれたソファに座り、煙草を吹かしている強面のおじさんが眺めている。
この男たち、先ほど少年を追いかけ回し袋叩きにしていたやつらじゃないか。
おれの存在には気付くわけもなく、立ち尽くす
平たく言えば、彼らは、いわゆる"悪徳商人"と呼称される連中だった。
安価の商品を加工し、高く売ることは商売として悪くない。
だが、元々安価な商品の値札を貼り換え、しかも値上げして転売することは、プレミア物の商品でもない限り、あまり誉められた行為ではない……、と思う。
──これはあくまで個人的な見解だ。
しっかしこいつらときたら……、
「ハーッハハハーッ!さっきのガキ、ショーケースのパイに値札通りの金出してきやがった。こんな詐欺に引っかかるバカもこの世にゃいるんだなぁーッ!」
「まぁ、あんたがそっから変ないちゃもん付けて、結局財布ごといただくことまで考えてたんなら、とんでもない策士ですよ」
「バカ言え。あのガキの、バカさ加減が悪いんだよ。面白すぎて、つい、いじめたくなっちまったのさ」
────完全に真っ黒じゃねぇか……。
あの子たちが毎年楽しみにしてるこの日に、大人げもなく平気で泥を塗るとはな……。
くそが……、頭きた。
気付いたときにはおれは大きなパイ菓子と財布を手に、あの子どもたちの家の前に、宅配員として立っていた。
……キレたおれは、あの後警察官に取り憑き、『警官』として、洋菓子店の捜査を強行したのだ。
「ちょっと中を改めさせてもらおうか。」
適当に思いついた警察らしい言葉を告げ、懐に入っていた警察手帳を見せつけ、店の奥に足を踏み入れた。言語の壁はこの警察手帳の提示によりあっさりと破壊された。
その際大声で彼らが抵抗したため、この騒ぎを聞きつけた近所の住民が更に警察を呼び、彼らは見事にお縄についた。
おれは警察官に取り憑いた際、少年の財布をポケットに忍ばせ、洋菓子店から出た。
そして、路地裏の道にわざとそれを落とし、警察官から宅配員へと乗り移った。
宅配員となったおれは、路地裏の道に落とした財布を手に、別の洋菓子店に入り、美人の店員に微笑まれながらガレット・デ・ロワ用の特大パイ菓子と、片手サイズの小さなパイ菓子を購入。
そのまま贈り物を届けて回る宅配員として彼らの家に向かった。
そしていまに至る。
チャイムを鳴らすと、あの少年が出てきた。
「宅配です。」
と言おうとしたが、フランス語を喋れないことを思い出し、無言のまま、パイ菓子と彼の財布を手渡し、頭を軽く下げ、その場からダッシュで走り去った。
宅配員をおれの憑依から解放した際、おれはあることに気付いた。
魂状態のおれでも、『菓子』には触れられるらしい。
──なぜこれに気付けたかって?
そりゃ、魂になった瞬間に、パイ菓子以外の箱やら袋やらがもれなく全部足元に落ちちまったからに決まってるだろ?
手に残っていたのはさっき買った小さなパイ菓子だけだったのだ。
やれやれ、と一息吐いて、手に握られた洋菓子を口に運ぶ寸前、
「あ、そうだ。おーい、神様よー、どうせ見てんだろー?」
────神を軽く呼んでみた。
つい十日ほど前におれを独りにしないと約束した神は、宣言通りおれの声に応じた。
「────どうした?アタル。」
「いやな、さっきおれがやったことって、いいことだよな?少しあの子の財布から、このパイ分の金はいただいちまったが……。」
西欧美女店員のオススメとあっては、買わない手はないっ!と調子に乗り買った自分へのパイとはいえ、少しばかり罪悪感にかられていた。
「ふーむ……。結果的には、善いことなのであろうよ。我には、人間の、"善悪"の判断など到底できぬ。しかし、そなたはあの子どものために、自分にできることを、最大限活かし、働いたのであろう?」
胸を張って答える。
「当然!」
「ならば善い。我はそなたが少年の財布から、自分の下卑た心の赴くまま金を抜いたところなど見てはいない。その菓子は、そなた自身がそなたに与える報いとしても大きすぎない。それに、そなたが取り憑いた警察の評価も
「あっはは……、やっぱりバレてたか。」とひたすら目を泳がせ言葉を溢すおれに、神は一瞬の間を空け、ふっ、と不敵に笑いながら言葉を続けた。
「────……と我が捉えるには、いまそなたが手にしている菓子を半分頂く必要があるな。」
「神様よぉ……。あんたそれ、ただこのパイ食いてぇだけだろ?!」
おっと、危ない。話が脱線するところだった。神を呼んだ理由はこれだけじゃない。
「なぁ神様、一つだけお願いがあるんだけどよ……。」
「なんだ?その菓子を半分寄越せば聴いてやるぞ?」
「どんだけ食いてぇんだよ!いいよ!やるからちょっと聴けよっ。」
んーっ、と大きく唸り、神は黙った。
「さっきあの子に渡したパイ菓子にさ……。」
おれは上空から、あの兄弟たちのガレット・デ・ロワの様子を眺めていた。
魂ってのは便利なもんで、意識を目に集中させれば透視もできるらしい。
さっき神から教えてもらった。
みんなに切り分けられたパイ菓子が均等に行き渡り、神様への祈りを告げたあと、一斉にそれにかぶりついた。
兄弟たちがパイの中に隠れたアーモンドクリームの甘味に味覚を占領され、表情が蕩けきっている中、その場における最年長者だけは、口の中に違和感を覚えていた。
悪徳商人に騙され、あろうことか襲われ財布を抜かれ嘘と笑顔を作って誤魔化した今日一日分の心の傷を、彼が口に含んだ
「なかなかに粋な計らいよの。」
「だろ?おれって実はすげぇいいやつなんだぜ?」
カッコつけて、片手に半分だけ残ったパイを一気に口に放り込んだら、喉になにか引っかかった。
うえ……、こんな小せぇパイにまで入れるのかよ……。
陽当アタルのサンタ日誌 -三綴り- 千菅ちづる @Fhisca
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