第二夜 陽当アタルとバレンタイン

 おれらサンタの役割は、クリスマスだけではない。

 リア充が街にごった返す時期は、基本上空から見下ろしている。

 今日は二月の十四日……。毎年恒例、煮干しの日……、ならぬバレンタインデー・・・・・・・・だ。

 サンタがバレンタインデーに上空を浮遊している理由はただ一つ。

 チョコを渡す勇気の足りないロリ……、いや、女の子の代わりにチョコを男の子のポストに届けるのだ。

 無論、こっそり且つ、両想いの子ども同士で二人とも奥手であることが前提である。

 条件が付きすぎて、対象が少ないのではないか、と疑問を放られてもおかしくない。

 ────だがしかし、これが意外と多いのだ。

 見た目こそジジイの精神年齢二十五歳、一匹の雄、おれ陽当アタルからしてみれば、ガキの色恋沙汰のわりには大人びていると鼻で笑ってしまうのだが、どうやら小学校高学年以降の女の子というものは、なにやら男子より精神年齢が高い(つもり)らしい。

 また一人、眼下でおにゃの子……失礼、女の子が、百円ショップでバレンタイン用として安売りされている板チョコを片手に頭を抱えている。

 名札に学年と名前が書いてある。

 『五年 原田 湧季』

 ユウキ……と読むのだろうか。

 この辺りの小学校は制服が支給されているにも関わらず、名札が付けられている、その服装は、明らかに私服だ。

 恐らくここより地方の小学校の児童なのだろう。

 彼女を彩る私服も、何年も前に型落ちになった上着だし、下なんてジャージだ。

 そしてチョコを選んでいるのは百円ショップ。

 ────おれは確信する。

 この子は、裕福な家庭で育ってはいないのだろうな、と。

 高級なチョコレートショップに羨望の眼差しを送りながら百円ショップに入り、そこでも百円未満のチョコレートの値段と格闘している辺り、間違いないだろう。

 一時間ほど悩み続けた結果、少女湧季は、マッチ箱を一つと、やけに面倒臭そうなクロスワードパズルの本を一冊レジに通しただけで、チョコレートらしきものは何も買わなかった。

 まるで『マッチ売りの少女』ではないか────。

 おれはただでさえ寒い空の中、更に心が冷めていくような感覚に襲われた。

 おれはあのパズルマッチの少女、湧季ちゃんに、なにができるだろうか。


 湧季の帰りをストーキング……ではなく、見守りながらそっとついていってみた。

 バスや電車や自転車を酷使しても、帰るまでに二時間は要した。小学生の身には、かなりの労力を要求される距離と時間だろう。

 湧季は家への帰路の途中で小さな駄菓子屋に寄った。

 駄菓子屋から出てきた彼女の手には、五円チョコの束があった。お小遣いで買えるギリギリの分のチョコを買ったのだろう。

 またしばらく歩き、湧季は無事帰りつけた。

 ────しかしそこは家などではなく、ただのひらけた公園・・だった。

 全く整えられていない髭と髪をはやしたおじさんが、娘の帰りを待ちわびていた。

「おぉ、湧季ゆうき。帰ったか」

 やはり読みは『ユウキ』で正解だったか。

 しかし、おかえりの代わりに投げられたその声には、覇気の欠片もなかった。

「あ、お父さん。ただいま」

 当然のように、公園の隅にキャンプ用のシートを敷いているおじさんの呼びかけに応える湧季。

「お父さん、帰って早々悪いんだけど、少しどこかに出ててくれる?」

「ど、どこかにって……、どこに?」

 まるで、いよいよ娘にも反抗期が来たかと思ったように、あからさまにおどおどとしながら、お父さんは問う。

「んー……、お母さんが帰ってくるまで喫茶店で……────」

 そこまで言って、湧季は言葉を止めた。

「……ごめんなさい。もう、お母さんはいないんだった……っ」

 泣きそうな真実に押し負けまいと、必死にもがき、闘う少女が目の前にいた。

 あの親子からは見えずとも、おれは涙を隠せない。きっと神様には見られているんだろうな。

「と、とにかく、そうだなぁ、これあげるからどこか別の所で時間を潰してて」

 手渡したのは百円ショップで買ったクロスワードパズルの本だった。

「娘にそう言われちゃ仕方ないなぁ……」

 どれどれ、とゆったりと動き出すお父さんを湧季は急かす。

「もー、早くどこか行ってよー」

 「ちょっと待て。」と言いながら、彼は、キャンプ用シートの奥に組み立てられた、テントの中から、一本のギターを取り出す。

「これでもう少し稼いでくるからよ」

 とだけ言い残し、お父さんは去っていった。


「一時間くらいしたら帰ってきていいよー」

 という娘の声に片腕を高く挙げて返事をするお父さんの姿。


 それを見届け、少女湧季は支度を始める。

 チョコレートを作るのだ。

 まずは公園の蛇口からどこから拾ってきたのか分からない鍋に水を汲む。

 次に百円ショップで買ったマッチを取り出し、キャンプテントの中から七輪を外に運び、火をつける。

 なるほど、そのためのマッチだったのか。クロスワードパズルといい、かなり頭の回転の早い子どもらしい。

 缶詰の空き缶を三つ用意し、それぞれに五円チョコを入れ、七輪の上でぐらぐらと煮えたぎっている鍋の水面にそれを乗せる。

 それは湯煎の代わりとなり、竹箸でチョコを撫でるとじんわりととろけていく。

 ここで湧季は気付いた。

 手作りチョコを仕立て上げるにしても、型がないことに。

 慌てふためく彼女に、残酷にも"時間"と"寒さ"という二匹の"鬼"は、湧季手製のチョコレートを中途半端に固めていく。

 お父さんが帰ってくる時間は刻一刻と迫っている────。


 一方、お父さんはというと、湧季のいる公園とは別の公園のベンチでギターを抱え歌っていた。

 自作の音楽のようだが、歌詞が稚拙だ。

 ──作詞は、湧季なのかもしれない──。

 幼い歌詞を本気で歌う彼の前に置かれた皿に、募金のようにお金を入れていく人がちらほらいるが、大した金額ではない。

 湧季の小遣いが少ないことにも納得できる。

 親子を同時に見れる高さから眺めていた見た目サンタのおれは、"人間"としての慈悲の心で、サンタの禁忌を犯した。

 おれは、お父さんの背後から彼の肩に"触れた"のだ。

 振り向いたお父さんは青年のおれに驚きつつ、服装が時期外れのサンタコスであることに戸惑いを隠せずにいた。

 おれの手には、二本のバナナが握られている。

「これを、どうぞ。」

 バナナとその一言だけを授け、公園を去りお父さんの視界から外れたタイミングで、おれはサンタに戻った。


 おれは上空からその後の様子を眺めていた。

 予想通り、時間ぴったりに、彼はおれから貰った果物を手に、公園という名の家に帰ってきた。

 湧季はまだチョコを完成させてはいなかった。

 疑問符が浮かんでいるお父さんを前にして、顔を赤くする湧季。

 これは、もしや……。

「あーあ……、帰ってきちゃったね……」

 残念そうに言いつつも、顔には少なからず笑みがある。

「あのね、今日、バレンタインデーでしょ?──……だから、大好きなお父さんに、手作りチョコをプレゼントしたかったんだー」

 苦笑いを浮かべながら、湧季は続ける。

「まぁでも、型がなくってできあがらなかったんだけどね」

 お父さんは娘の孝行こうこうに涙を一雫落とし、「大丈夫。」と声をかけた。

「お父さんが歌ってるときに、突然、若いお兄さんにこれをもらったんだ」

 その手にはおれが渡した黄色い果実。

「これにその溶けたチョコを付けて、食べよう」

 お父さんは満面の笑みで付け足す。

「一緒に」

 湧季はポロポロ泣きながら、「うんっ。」と、実に小学生らしい声を返してそれを一本受け取った。

 寒空の下、涙声で美味を共有する親子は、世界で一番暖かく見えた。

 寒空の中、おれは季節外れの服を身に纏い、ささやかではあるけれど本物の笑顔を初めてプレゼントできた自分を、優しく褒めた。

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