王様の時間
星浦 翼
第1話
「なんでホームにいるの?」
目の前に立っている男に聞いたとしよう。
彼の答えは決まっている。
「そりゃ、電車を待ってるからだろ」
ならば「なんで電車を待っているの?」と聞いたとしよう。
彼は怪訝そうな顔をしながら、こう付け足すに違いない。
「そりゃ、電車に乗るためだろ」
考えてみれば当たり前だった。
駅のホームにいるということは電車を待っている。電車を待っているのは、別の駅へ行きたいからだ。私だって、ホームにいるのは電車を待っているからで、それは会社帰りのOLにとって珍しい行為ではない。
珍しいどころか、それは普通すぎる現実だ。
いつも通りの時間、いつもの駅のホームで、いつも通りに来るはずの電車を待っている。
普通すぎる1日の終わり。
それでも、私は電車を待つのが好きだった。
なぜ好きなのだろうと考えていると、1つだけ思い当たるフシがあった。私は生まれながらにトロい。逆に言えば、ゆっくりと過ごすことが好きなのだ。人に比べてご飯を食べるのも遅ければ、風呂に入っている時間も長い。学生時代の合宿のとき、6人1グループぐらいで同じ部屋に集まって寝たけれど、私が最後まで起きていたと思う。
電車を待つ時間――それは誰にとっても無駄な時間でしかない。
私がどれだけゆっくりと過ごそうとも、この時間だけは他者との差が広がらない。だから、私はのびのびとゆっくりできる。屋根の向こう側、茜色に染まった雲を眺めたり、夜になるのを諦めきれずに鳴き続ける蝉の鳴に耳を傾けたり、近所の家から漂ってくる匂いで「あの家の晩御飯は何だろう?」と1人クイズを出題したりする。
それはどこまでも無駄な時間だけれど、私にとっては安心できる時間だった。
しかし、子供の頃の私は、今よりもホームを凄い所だと思っていた。
なんで凄いかっていうと、ホームには改札があるからだ。
父が車好きだったことも関係あるのか、私は子供の頃、あまり電車に乗ったことがなかった。子供だった私は、あの魔法のキップがなければ入れないホームに神秘的な何かを感じていたのかも知れない。ホームに入れるのは選ばれた人間だけで、それは童話の世界の王様や勇者やお姫様のようだった。
子供の頃のそれは一種の憧れだった。
駅のすぐ近くにある踏切が甲高い音を鳴らし始める。
ちらりと腕時計を見ると、電車到着時刻の10秒前だった。電車が速度を落としながらホームへと入ってくる。電車が近づくにつれ、茜色の空が狭まっていく。
少しぐらい遅れてもいいのに。
そうすれば、もっと無駄な時間が増えるのに。
「なんで笑ってんの?」
彼が私に振り返って言う。
「そりゃ楽しいからでしょ」
「なんで楽しいんだよ?」
「無駄が勿体ないな、と思って」
「当たり前だろ」
「それが違うんだよねぇ」
私は電車に乗った。
おわり
王様の時間 星浦 翼 @Hosiura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます