私は北海道の田舎の生まれで、移動はもっぱら車でした。だから電車(汽車と呼んでいるのは北海道民だけだとその時は知らず、東京にきてから大恥をかきました)に乗るということは、ちょっとしたイベントで、子供だけで電車を使って隣町に行く時なんかは、もう大冒険でした。
受験の為に遠出する時に買ったバカ高い切符は、なにより自分が大人であることを証明してくれている気がしました。そしてそれが最後だったように思います。それから、切符はただの切符になったのかもしれません。
この物語を読んで、特別だと感じていた自分や場所のことを思い出しました。どうして僕だけが切符が無くても入れてしまうのかと憤慨したあの日を、改めて体験したような気分です。
街の真ん中で堂々と口を開け閉めする改札。思いは違えど、誰しも少なからず、自分だけの思い出を持っているのではないでしょうか。幼い私がまだかまだかと足をじたばたさせている横で、もしかしたら全く違う時間の流れを楽しむ、一人の女性がそこにいたのかもしれません。満足そうな笑みを浮かべながら。
いわゆる都会の電車には、ほとんど待ち時間がない。その一方で、いわゆる田舎の電車ともなれば、待ち時間は一時間以上にもなる。そのため、「田舎」の電車を一本乗り過ごした場合、待ち時間は長いし、目的地には遅れるし、はっきり言って最悪だ。しかし、この主人公は違うのだ。
主人公にとって、駅のホームでの待ち時間は、ゆっくりしていても他者との差が生まれない時間だ。特別な入り口を持った、特別な場所だ。誰かに急かされたり、競わされたりしない安息の場所。
あなたには、そんな場所があるだろうか?
この主人公のように、「暇な時間でなく有意義なくつろぎの時間」として、待ち時間を過ごせるだろうか。思うに、この時間の感覚は、心の余裕があるかないか、ということではないだろうか。
電車が遅れて、イライラ。
そんな経験を思い出しながら、読むのが良いかもしれません。
是非、御一読下さい。