第43話 終幕

 夏休み最後の日。その日も斎図書館の閲覧室には、ふたりの少女しかいなかった。

 あいかわらずマヤは分厚い本を読み、ゆかは彼女のために紅茶を注いでいる。

 住人がひとりだけとなった斎図書館はずいぶん広く感じる。ゆかはマヤのことが心配で、斎図書館から離れたくないのだけれど、明日から学校が始まってしまう。

 事件解決のためとはいえ、篠崎を警察に突きだしたとき、マヤはどんな気持ちだったろう。

 何事もなかったかのような顔をしていけれど、ゆかにはマヤの複雑な気持ちがわかる。

 篠崎は暁人と共に何人もの子供たちをミスティック・ドールズに変え、何人もの人間を傷つけ、マヤを利用し続けてきたけれど、いままでマヤの面倒をひとりで見てきたのも事実だ。

 まだミスティック・ドールズ事件のことについて疑問がたくさん残っていたけれど、それを聞いてはいけないような気がして、ただ一緒にいることしかできなかった。

「――昔ね、こんなことをお祖父様から言われたことがあるの」

 唐突にマヤが口を開いた。えっ、とゆかが顔をあげると、

「〝大切な家族の命を救いたいと願う気持ちは〝愛〟なのだろう? ならば、他人を大勢を犠牲にしても大切な家族を救いたいと願う気持ちは〝愛〟ではないのか?〟ってね」

 ゆかがなんと答えればいいかわからずにいると、マヤはくすりと笑って、

「あたしにもまだ答えはわからない。ゆかやゆかのような子供を増やさないために、暁人を殺すつもりだった。けれど、それは祖父や篠崎と同じ考えなのよ。あたしは彼らとは違う人間だと思い込んでいたけれど、同じあやまちをくり返そうとしてた」

「違うよ。マヤちゃんは暁人も篠崎さんも殺さなかったじゃない」

「それはあなたがいてくれたからよ」

 マヤはやさしく微笑んだ。

「あなたが側にいてくれたから、あたしは祖父や篠崎、そして暁人と同じ闇に落ちることがなかった。ありがとう、ゆか。あなたがいてくれてほんとうに倖せよ」

 急に顔が熱く火照ってきた。恋の告白でも受けたような気分だ。まさかこんなにマヤから素直に感謝の気持ちを言われるなんて夢にも思わなかった。

「マヤちゃん。えっとね、わたしも……」

 妙な気分になってしまい、しどろもどろになっていると、

「いやはや、あの氷の姫君がこんなに変わるとは想いもよらなかった」

「き、霧生さん?」

 いつの間にか霧生が立っていた。霧生はにやにやと笑っている。

「めずらしいものが見られて、ぼくはほんとうに倖せだよ」

「なんの用よ。からかいに来たならさっさと帰って」

 マヤは気恥ずかしそうな顔をしていた。ゆかもなんとなく気まずかった。

「もう怪我はだいじょうぶなんですか?」

「うん。おかげさまでね。ふたりにはご心配をおかけしました」

 あいかわらず緊張感のない笑顔。けれど、霧生の頭の包帯はまだ取れないらしい。篠崎に犯人に仕立て上げられそうになったときに、頭を鈍器で殴られてできた傷とのことだった。

「事件の事後報告と、個人的にマヤくんに頼みたいことがあってね」

「もう事件は解決したんだから、警察があたしに用はないでしょ」

「いやいや。警察じゃなくて、ぼく個人が頼みたいことがあるんだよ」

「霧生さんが個人的にマヤちゃんに頼みたいこと?」

 ゆかとマヤが首をかしげると、霧生は意味深な笑みを浮かべた。

「まあ、それはさておき。君たちのおかげで無事にミスティック・ドールズ事件は解決しわけだけど、ゆかくんはまだ聞きたいことがたくさんあるんでしょ」

「それはまあ、いろいろと……」

 ゆかがおずおずと答えると、霧生は軽く咳払いをして話をはじめた。

「篠崎は観念したみたいだから取り調べには素直に応じてるし罪も認めている。三沢はかなり精神的にも体力的にもまいってるから、治療には何年がかかりそうだね。そして、暁人は最初はずいぶん暴れたけれど、ミスティックの治療薬を打ってからはだいぶ落ち着いたよ」

「でも、ミスティックによっていままで生きることができたんですよね。これから暁人はどうなるんですか」

「さて。一生病院で寝たきりになってほしいね。まあ、ミスティックを打つのをやめてから、もうまともに話すこともできなくなったから彼が犯罪をおかすことはもうできないよ」

 そうですか、とゆかは大きく息を吐いた。

 暁人は母や夏子の憎き仇。だけど、彼を警察に突きだしてもいまとなっては空虚な気分になるだけ。ただ、マヤが暁人と同じ場所に落ちていかなかっただけで充分だ。

「それよりも、ゆかくんは一番聞きたいことがあるんじゃないの?」

「あっ。はい。霧生さんは、どうしてわたしたちを助けることができたんですか。しかも、ずっと行方不明でわたしたちとも連絡を取ってなかったのに」

「ぼくは篠崎に頭を鈍器で殴られてミスティックを打たれてね。その後、車で移動したときに車のボンネットからなんとか自力で脱出したんだ。だけど、空きビルに逃げ込んだところで意識を失った。情けないことに二日間もね」

「だから、連絡を取れなかったんですね」

「いや、それだけじゃないよ。目が覚めて夏子さんが殺害された事件を知ったとき、自分が犯人に仕立て上げられることを悟った。けれど、篠崎にぼくが無事だということが知られれば、今度はゆかくんやマヤくんに危害がおよぶ。だから、遠鳴課長にだけ連絡を取ったんだ」

「じゃあ、マヤちゃんはお父さんと会ったときに?」

「そう。あのメモに慎一郎の無事が書いてあったの」

「どうしてわたしに教えてくれなかったの。わたし霧生さんを疑ったんだからね」

「仕方なかったのよ。篠崎にあたしが警察と連絡を取り合っていることを悟られるわけにはいかなかった。そのためには、あなたに慎一郎を疑っていてもらわなくてはいけなかったの」

「わたしをカモフラージュに使ったわけね」

 ううっ、とゆかはうなった。

「でも、どうしてすぐに篠崎さんを逮捕しなかったの? 逮捕してから暁人の居場所を問いただせばよかったんじゃないの?」

「篠崎が犯人という証拠はなにひとつなかった。その状況で篠崎を逮捕することはできない。しかも、息子の命を助けるためにミスティックという悪魔と契約した篠崎は、決して暁人の居場所を吐かなかったはずよ。篠崎自身に暁人の居場所を案内させ、暁人の口からミスティック・ドールズ事件の首謀者であることを認めさせる必要があったの」

「でも、マヤくんは自分で犯人を捕まえるときかなくてね。遠鳴課長たちが斎図書館に突入する時間を篠崎が戻ってくる時間から三十分も遅く設定したんだ」

「三十分も? なんでそんなことを……」

「マヤくんははじめから暁人を自分の命と引き替えに殺すつもりだったんだね。ゆかくんがいなかったら、どうなってたことか」

 霧生はやれやれと首を振った。ゆかもほっと胸をなでおろした。

 やはりマヤから離れないで正解だった。あのままマヤが暁人を殺していたら、マヤは暁人を忘れることができなくなり、今度はマヤが暁人と同じ道を歩いたかもしれない。

「あの、まだ疑問があるんですけど。わたしの家に奇妙な電話がかかってきたんです。あれはやっぱり暁人がわたしとマヤちゃんを引き離すための罠だったんですか」

「いや、あれはぼくだよ」

 あまりにさらりと言うものだから、えっ、とゆかは口を開けたままかたまった。

「どうしてそんなことをしたんですか?」

「実はぼくもひとりでミスティック・ドールズ事件を調べてたんだよ」

「霧生さんも?」

 うん、と霧生は申し訳なさそうに、

「ぼくも暁人に母を殺されたけれど、事件後ゆかくんと同じく記憶のほとんどを消された。だから、ぼくは警察に入って警察の機密情報を調べて事件の真相をあきらかにしようとした。警察とマヤくんをつなぐ連絡役に志願したのも、そのためなんだよ」

「どうして、そのことをいままで黙ってたんですか? マヤちゃんに話してれば、ふたりで協力して事件を解決することだってできたじゃないですか」

「君の言うとおりだよ。まったく面目ない」

 霧生はゆかとマヤに頭を下げた。

「でも、ぼくはゆかくんほどマヤくんを信用できなかったんだ。マヤくんが真犯人じゃないかと疑ったくらいだよ。だから、ゆかくんに忠告の電話をしたんだ」

「じゃあ、やっぱり切り裂きピエロ事件のときにわたしが見たのは……」

「そう。ぼくだよ。ゆかくんに張りついていれば、マヤくんがぼろを出すんじゃないかと思った。でも、それが結果として暁人がつけいる隙をつくり、夏子さんを巻き添えにしたんだ」

「霧生さん。夏子お姉ちゃんは霧生さんのことずっと……」

「知ってる。ぼくは事件の真相を掴むために必死だったから、彼女の想いに気づかないふりをしてた。だけど、事件が解決したいまだったら、きっと……」

 鼻の奥がつんとした。霧生がそう言ってくれるだけで、夏子が救われる気がした。

「もう事件の話はこれまでよ。もう過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないわ」

 そうだね、とゆかもうなずく。これ以上あやまちを悔いても仕方がない。

「それで、霧生さんがマヤちゃんに頼みたいことってなんですか?」

「ああ。実はこの図書館の司書見習いとして雇ってもらいたいんだ」

 またあっさりと言うものだから、ゆかとマヤは共に目が点となった。

「なにそれ? どういうつもりよ?」

「マヤくんひとりじゃこの図書館を維持していけないだろ? だから、ぼくをこの図書館に住み込みで雇ってよ。もちろん、ひとり暮らしだったから家事もひととおりこなせるよ。マヤくんひとりじゃ料理もまともにできないだろう?」

「余計なお世話よ」

 マヤは露骨にいやがる。ゆかは苦笑して、

「でも、警察はどうするんですか? 警察の仕事をしながら手伝うのは、無理なんじゃ……」

「ああ。それならだいじょうぶ。きのう辞表を出してきたから」

「ええっ?」

 ゆかの声が高々と図書館に響きわたる。

 国家公務員試験第一種に合格したキャリアが、あっさり仕事を辞めるなんて。将来は警察幹部の地位を約束されているエリートなのに。

「ぼくは元々ミスティック・ドールズ事件の真相を知りたくて警察に入ったからね。その目的も達成されちゃったし、もう警察でやりたいことないんだよ」

「嘘ね。単に警察の内部機密を不正に調べてたことがばれただけでしょ」

 マヤに冷たく突っ込まれ、霧生は頭をかく。

「まあ、そうとも言うかな。遠鳴課長にもこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないし。ぼくが辞めれば、すべて丸くおさまるんだよ。警察もこの図書館もマヤくんもね」

「まだあなたを雇うなんて決めてないわ」

「大金持ちなんだから、失業者をひとり喰わせていくくらいの給料は払えるだろう?」

「あたしを信用してなかった人間を雇えると思ってるの?」

 そんなあ、と霧生がこびても、マヤはつんとすまし顔をむけるだけ。

「ねえ、マヤちゃん。霧生さんを雇ってあげてよ。ひとりでマヤちゃんがここに住んでたら、わたしも心配だよ。わたしもマヤちゃんと一緒に住みたいけど……」

「だめよ。ゆかには学校があるでしょ」

「だったら、霧生さんを雇ってよ。霧生さんも反省してるみたいだし。わたしも高校を卒業したら、この図書館から大学に通って司書の資格を取るよ」

 ゆかが手を握って顔を見つめると、マヤの顔が真っ赤に染まっていく。

「……わかったわよ。ゆかがそこまで言うなら慎一郎を雇うわ」

 やった、と声をあげて、ゆかははしゃいだ。

「ほんとマヤくんって、ゆかくんにだけは甘いよね」

「なにか言った? いますぐ辞めてもらっていいんだけど」

「いえ、なんでもありません。館長殿」

 ゆかが笑っていると、マヤはぱたんと本を閉じた。

「さあ、いつまでもくだらないおしゃべりをしてないで出かけるわよ」

 思いがけない言葉に耳を疑った。まさかマヤから出かけようと言うなんて。

「出かけるの? ほんとに?」

「ええ。こんな晴れた日に、図書館でくすぶってたらもったいないわ。さっそく慎一郎には運転手もしてもらわないとね」

「じゃあ、一緒に映画を観てくれるっていう約束を果たしてくれるの?」

 もちろん、とマヤはかろやかに微笑む。

「でも、その前に花を届けたい相手がいるの」

「えっ? 誰に?」

「あなたのお母さんとお姉さんに」

 はっとしてマヤの顔を見ると、マヤはうなずいた。

「うん! 行こう。一緒にお母さんと夏子お姉ちゃんに会いに」

 ふたりの少女は手をつないで図書館から出ていった。

 外に出れば、まだまだ強烈な真夏の陽射しが目を焼いたけれど。

 出迎えた風には、確かに秋のやわらかな香りがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミスティックドールズ ~白磁人形少女名探偵・斎マヤと探偵大好き少女・遠鳴ゆかの事件簿~ 大河渡 @okawawataru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ