第42話 人形劇の終演7
ゆかは呆然と目の前の青年を見ていた。
「やっぱりぼくが思ったとおり、美人になったね。うん。すごく美人だ」
暁人は五年前の研究所の爆発で死んだんじゃなかったのか。けれど、白いパジャマからのぞく肌も仮面からわずかにのぞく目許も焼けただれているのがはっきりわかる。そして、彼の体には手首に針が突き刺され、青白い液体が点滴されている。
「ぼくからのラブレターは受け取ってくれたかい?」
「ええ。悪趣味なラブレターをしつこいほどね」
マヤは嫌悪感をあらわにして暁人をにらみつける。
「五年……、五年だよ。口にすれば短いけれど、ぼくには永遠にも感じられた時間だ」
「あたしはあなたなんかに二度と会いたくなかった」
「君がどんなふうに成長したのかずっと楽しみにしてた。写真だけじゃ足らなくて、何度も君を連れてこようと気が狂いそうになったよ」
ため息をもらす仮面の男は、恋をした少年そのものだが、ゆかにはなぜか嫌悪感しか感じられなかった。きっとゆがんだ愛情を一方的にむき出しにしているからだろう。
「でも、ずっとぼくは君がぼくを見つけてくれるまで成長するのを待った。クリスティーヌに恋い焦がれた怪人のようにね」
暁人はくすくすと楽しげに笑う。けれど、発せられる声は、機械の合成音声のために男とも女とも判別できないような不気味な声だ。
「どうして暁人が生きてるの? 五年前に死んだんじゃなかったの? しかも、なんで篠崎さんが暁人に協力してるの? マヤちゃんの味方じゃなかったの?」
「質問がいっぱいだね。もうすこし自分の頭で考えられないの?」
暁人はやれやれと首を振る。
「マヤ。なんでこんなばか女を側においておくんだい? 君はぼくと同じミスティックに選ばれた人間なんだよ。こんな女を守るために命を懸けてたなんて残念だよ」
暁人の嘲笑に、マヤは彼をにらみつける。
「教えてあげなよ、マヤ。なぜぼくが生きてるのか、なぜ君の執事がぼくに協力してるのか」
「あなたが生きてるのは、篠崎が助け出したから。そして、篠崎はあなたの父親ね」
「えっ?」
ゆかは声をあげる。まさか篠崎と暁人が親子関係だなんて。わずかに振り返っても、篠崎の口許しか見えず、彼がいまどんな表情をしているのか読み取れない。
「いいね。さすがはぼくが恋した相手だけはある」
暁人は満足そうに拍手した。
「さあ、君の推理を聞かせてよ。ぼくにたどり着いたまでの推理の過程をさ」
芝居がかった暁人の口上にも、マヤは顔色を変えない。
「あたしはずっと不思議だった。なぜ篠崎は殺されなかったのかね。五年前、あなたは研究所の職員を皆殺しにした。けれど、篠崎だけは大した怪我も負わさずに見逃した。殺人に快楽を見出している相手とは思えない行動だわ」
「でも、君をおびき寄せるための餌だと思わなかったのかい?」
「いいえ。サディストのあなたなら、きっとあたしをおびき寄せた後に殺したでしょうね。そのほうがあたしにショックを与えられるもの。だけど、あたしは深く考えないようにした。だって、あなたの考えに近寄ることは、あなたになることだもの」
「ずいぶんきらわれたものだなあ。ぼくはこんなに君を愛してるのに」
暁人は目を細めた。
「でも、マヤちゃんの話だと火だるまになって大怪我をしたって。そんな大怪我をしたのに、生きていられたの?」
「たぶんミスティックのおかげで生きながらえたのね。そして、このミスティック・ドールズ事件のすべての動機があなたをよみがえらせるための人体実験だったのよ」
「はっ! そうだ。そのとおりだよ。実に見事だね!」
暁人はベッドを盛んにたたきながら、狂ったように大声で笑う。いや、事実これだけの殺人事件を計画した彼は狂っているのかもしれない。
「暁人は火傷を負って瀕死の重傷を負ったけれど、その命を永らえさせたのはミスティックだった。ミスティックは人間の免疫機能や細胞を増やして怪我や難病を克服する力を持っているからね。だけど、従来のミスティックでは暁人の体を元どおりにすることはできなかった」
「それで、三沢さんを監禁したの?」
「そう。ミスティックの研究者の中で唯一生きていたのは三沢だけだった。三沢を監禁してあたらしいミスティックをつくり出すことで、暁人を生き返らせようとしたのね。そして、いろいろな人間にミスティックを投与することで、どんな効力が出るのか実験してたのよ」
「失礼だな。ぼくはまだ死んでないよ」
仮面の男は茶目っ気たっぷりに告げるが、マヤは表情を変えない。
「それで? 君が父さんに疑いを抱いたのは、どうして?」
「今回の事件はあきらかに五年前の関係者でなければわからないことが多かった」
「でも、五年前の事件の関係者は山のようにいるだろう?」
「あたしが篠崎が犯人だと確信したのは、木之本夏子殺害事件の現場写真を見たときよ」
「夏子お姉ちゃんの殺害事件がどうして?」
「木之本夏子を殺したのは、あたしとゆかの仲を裂くためだったのよ」
ゆかの質問に、マヤは大きく息を吐く。
「今回の事件の篠崎の動機は、父親として息子の命をよみがえらせるためだった。その実行計画を立ててたのは暁人だったの。でも、暁人は篠崎からあたしとゆかが親しくなった話を聞いてから嫉妬するようになった。だから、あたしへのメッセージをミスティック・ドールズたちに書かせることであたしの心を揺さぶってきたの」
「夏子お姉ちゃんはそれに利用されたってこと? たったそれだけの理由で殺されたの?」
ゆかとマヤの仲を悪くさせるためだけに殺されたなんて。
夏子には将来の夢も好きな相手との未来もあった。
それがマヤとゆかとの嫉妬から殺されただけなんて。
「許さない! そんな勝手な理由で夏子お姉ちゃんを殺したあなたを絶対許さない!」
暴れるゆかを見て、マヤはうつむいた。まるで自分が責められているかのような顔だった。
対して、暁人のほうはまったく悪びれた様子もなく、
「うるさいなあ。父さん、さっさとそいつを黙らせてよ」
命令を受けた篠崎は無言で、ゆかの口をふさいだ。
ゆかはなんとかふりほどこうとするものの、意外にも篠崎にがっちりかためられて動けない。最初に隙をつくったのが失敗だったようだ。
「さて、うるさいやつも黙ったことだし、続きを聞かせてよ」
「木之本夏子殺害事件の写真を見たとき、あたしは疑問に思った。あまりにも死体がきれいだったから。もしゆかの母親を殺害する現場を再現するなら、木之本夏子の四肢も砕かなければいけなかったはずよ」
「ああ、やっぱりそこからばれちゃったか」
「巧妙なあなたのことだから、本来木之本夏子の殺害は霧生慎一郎にやらせるつもりだったのね。だけど、なんらかのトラブルで篠崎がしなければならなくなった。でも、ミスティック・ドールズでない篠崎には、その作業は時間がかかる。それではゆかが目覚める危険があった。だから、ただ胸を刺すことしかできなかったのよ」
「でも、木之本夏子の家にゆかが泊まることなんて父さんにはわからなかっただろ?」
「それはあたしの携帯電話のメールを使ったのよ」
マヤが篠崎をにらみつける。
「あたしは携帯電話を持ったことがなかったから、普段から持ち歩く習慣がなかった。だから、あたしの携帯電話からゆかに居場所をたずねることもできたのよ」
「だけど、霧生慎一郎もゆかが木之本夏子の家に泊まることを知ってたんだろ? 彼のことは疑わなかったのかい?」
「慎一郎が木之本夏子の家に泊まることを知ったのは、ゆかが木之本夏子の家に向かう直前よ。とても紅茶の缶に細工してる時間なんかないわ。まして、ここまで巧妙に自分の影を隠していた真犯人がいまさら被害者の家に直前までいるなんてことはしない」
「なるほどね。でも、それだけじゃ父さんが犯人と断定した根拠として弱いんじゃない? 斎マヤともあろうものがそんな単純に犯人を決めるわけないよね?」
「切り裂きピエロ事件のときも、篠崎はあたしと一緒にいたのに犯人に気絶させられるだけなんておかしかったのよ。あたしが篠崎がミスティック・ドールズ事件をあやつっていた真犯人ということと、あなたが生きてるという確信を得たのは、三日前の夜よ」
「父さんがなにか失敗をしたんだ」
暁人はやれやれと首を振る。
「寝間着に着替えていたはずの篠崎は、なぜ閉架図書館の鍵を持ってたの? なぜ夜食を三人分もすぐに用意できたの? 答えは簡単。あなたや三沢の食事を用意してたからよ」
足が悪いマヤが二階の部屋からあまり出歩けないことをいいことに、図書館に本を取りに行くふりをして、夜毎に食事を暁人や三沢の元に運んでいたんだろう。
「そのとおりだ。でも、なんて笑える話なんだろうね。君が憎くてたまらない恋人が五年間も、ずっと同じ屋根の下で暮らしてたなんてね」
「ええ。間抜けよ。五年前あなたを確実に殺していれば、ゆかが傷つくこともなかった」
「そして、怒り心頭のマヤお嬢様は霧生慎一郎の仕業と見せかけて警官殺害事件の狂言をつくり出した。父さんが動揺して、ぼくと三沢を警官が戻ってくる前に別の場所に連れ出すと考えたんだろう?」
肩が小刻みに震えていたが、マヤは震えを押さえ込んで毅然と顔をあげた。
「でも、あまりにわざとらしい芝居だったね。バレバレだよ」
「暁人、篠崎。もうしばらくすれば警察が戻ってくるわ。観念しなさい」
「ばか言わないでよ。鳥籠に閉じ込められたのは、どっちだと思ってるの?」
暁人は芝居がかって肩をすくめた。
「ねえ、マヤ。追いつめられたのは君たちのほうなんだよ? 君たちが三沢に気を取られている隙に父さんに地下室への扉を閉めてもらった。警察は助けに来ることはできないよ」
「三沢にあたしたちの注意を引くように命令したのね。自由と引き替えに」
「まあ、そんな気はさらさらないけど」
ゆかは歯噛みした。マヤの作戦ははじめからばれていた。
そのうえで暁人はわざわざゆかとマヤを出迎えたんだ。
「小さな名探偵は自分の立てた計画を読まれて、真犯人に見事に殺されるのさ。そして、その罪は行方不明中の霧生慎一郎が背負うって寸法さ」
「それがあなたが描いたシナリオってわけ?」
「五年間、君がいつぼくのところに来るかわくわくしてた。いつもぼくは君にメッセージを送ってた。君は白い百合と闇に染まる黒い百合の花言葉を知ってるかい?」
「白い百合は〝純愛〟、黒百合は〝憎悪〟」
「そのとおり。ぼくたちは同じミスティックに選ばれながら、見事にふたつにわかれた。でも、ほんとうはぼくたち、最初から結ばれる運命だったんだよ」
仮面の奥の目許がいやらしくゆがむ。
「マヤ。あの子を助けたかったら、こっちにおいで。ぼくが君を殺したら、あの子は助けてあげる。ぼくはあいつなんかちっとも興味なんてないもの。殺す価値なんてないよ」
「わかったわ。あたしの命ならあげる。だから、必ずゆかは助けなさい」
マヤはゆっくりと暁人へと近づいていく。暁人の手には渇いた血が付いたバタフライナイフが握られている。このままではマヤは暁人に殺されてしまう。
ゆかは首に刃物が押し当てられているのもかかわらず、全身の力を振り絞って体をよじった。首筋がナイフで切れて血がにじむが、そんなことはかまわなかった。
なんとか口を篠崎の手から抜けると、
「やめて、マヤちゃん! そのひとはどうせ最初からわたしたちを殺す気なんだから!」
マヤはゆっくりと振り返って微笑んだ。
「だいじょうぶ。心配いらない」
マヤが暁人の元に向かうと、暁人はがいきなりマヤを抱きしめた。マヤは人形のようになすがままになっていた。そんなマヤの姿をゆかはまともに見ていられなかった。
「篠崎さん、お願いだから離して。離してください!」
「それはできません。暁人が悪魔だろうと、あなたとってマヤ様が特別な存在であるように、わたしにとっても暁人はたったひとりのかけがえのない子供なんです」
「でも、あなたにとってマヤちゃんだって大切な子供じゃないですか」
「わたしは息子を助けるために、斎教授とミスティックという悪魔に魂を売り渡したんです」
ゆかはなんとか篠崎の腕から逃れようとすると、地面にうつぶせにたたきつけられた。顔をあげると、暁人の狂気に満ちた青白い瞳とマヤの小さな背中が見えた。
「あたしは〝失敗作の人形〟よ。ゆかや祖父が傷つけた子供たちの罪悪感からひとりでいることを選んだ。でも、そのせいであたしは篠崎があたしをだましていたことにもあなたが生きていることにも気づかなかった」
マヤは振り返ってゆかに微笑んだ。
「いまは違う。ゆかが側にいてくれたから、ここまでたどり着くことができた。誰かを信じて誰かと心を分かち合うことがこんなに倖せだなんて思わなかった」
「でも、ゲームは君の負けだよ。あの子を連れてきた時点で、君の負けは決まってたのさ」
暁人の目もゆかに向けられる。憎悪に満ちた瞳に、ぞくりと背筋に冷たくなる。
「ねえ、マヤ。最後にキスしてもいい?」
「勝手にすれば」
人形のような抱き寄せられると、暁人はただれた唇をマヤに押しつけようとした。そして、血の付いたナイフを高々とかかげた。
キスをした瞬間に背後から突き刺すつもりだ。
「いやああっ!」
ゆかが叫んだ瞬間、マヤも大声で叫んだ。
「慎一郎、いまよ!」
扉がたたきつけられるように開き、何者かが篠崎からゆかを引きはがした。
篠崎の腕を組み上げて地面にたたきつける。
「がっ」
その隙にマヤも暁人の手からナイフを奪い取った。
篠崎を地面にたたきつけたのは、失踪したはずの霧生慎一郎だった。頭には包帯を巻いていたが、普段と変わらない笑顔をこちらに向けた。
「き、霧生さん……どうして?」
「やあ、ひさしぶり。全部マヤちゃんの立てた作戦だよ」
ゆかが顔をあげると、マヤは暁人をにらみつけていた。
「暁人。残念ね。殺人事件の狂言を起こしたのは、篠崎を動揺させるためじゃない。篠崎をあたしたちの場所につなぎ止めて、慎一郎を閉架書庫に待機させるためだったのよ」
「だが、君の携帯電話は常に父さんがチェックしてたはずだ」
「篠崎が犯人だと気づいた時点で、あたしは遠鳴警部にもうひとつ携帯電話を用意してもらうように頼んでおいたのよ。あなたのほうこそ、あたしが携帯電話が必要ないほどにひとりだということに囚われすぎてたのよ」
「へえ。やるじゃないか。ぼくが君の計画を読んでることまで読んで網を張るなんてね」
暁人の感嘆の声にも、マヤは表情を変えない。
「あなたはゆかとあたしにばかり目が奪われて慎一郎を無視していた。慎一郎もゆかと同じようにあたしにとっては友人なのよ。父親の愛情さえ利用してたあなたとは違う」
マヤは暁人の仮面をやさしく撫でると、ナイフを高々と掲げた。
「もうこれで終わりよ」
「マヤちゃん、なにをするつもり?」
「マヤ。ぼくを殺すの? いいよ。殺してごらんよ」
暁人は両腕を広げた。いつでも殺してみろと言わんばかりに。
その姿を見て、マヤは大きく目を見開いた。振り上げた腕も震えている。
「殺せよ。そうすれば、ぼくは君の心に永遠に刻まれる。ぼくという存在を決して忘れることができなくなる。君とぼくは永遠に一緒だ。さあ、マヤ。ぼくを殺してくれよ!」
「あなたの望みどおりにしてやるわ。もう二度とゆかを傷つけさせない!」
マヤがナイフを振り下ろそうとした瞬間、
「だめ、マヤちゃん!」
ゆかはマヤに飛びついた。
車椅子が倒れ、ふたりは折り重なって倒れた。
「ゆか。邪魔をしないで。五年前、あたしが確実に殺さなかったから、ゆかやたくさんのひとが傷ついた。こいつのせいであなたのお母さんもお姉さんも殺されたのよ」
「だからといって、マヤちゃんに人殺しになんかなってほしくない」
「でも、いまこいつを殺さなくちゃ、また悲劇は起きるかもしれないのよ」
ゆかはマヤを力いっぱい抱きとめた。
「もういいよ。そんなことしてもお母さんも夏子お姉ちゃんもよろこばない。きっとひとを殺したら、マヤちゃんはまたひとりになろうとするでしょ」
「あたしはひとりになってもいい。もうゆかが傷つくところをみたくないの」
「言ったでしょ。わたしはマヤちゃんの側から離れないって。もうひとりなんかにさせない」
からんとナイフが床の上に落ち、ゆかの胸の中から嗚咽があふれ出してきた。
やがてマヤはゆかにしがみついて声を上げて泣いた。
五年前から続く緊張の糸が切れたんだろう。
マヤが落ち着くまで、ゆかはしっかりと彼女を離さなかった。
ゆかとマヤが地下室への扉を開けると、ちょうど遠鳴警部が駆けつけたところだった。
表に出れば、真夏の白々とした朝陽がふたりをあたたかく迎え入れてくれた。
その朝陽を見たとき、ようやくゆかは鳥籠からマヤを連れ出すことができた気がした。
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