第41話 人形劇の終演6

どれぐらいの時間が過ぎただろう。

 ゆかはマヤの手を握りながら、うとうととしていた。眠らないとかたく決意したものの、最近まともに眠っていなかったことと緊張の連続から疲れが出てしまったらしい。ときどき、起きるものの、マヤが側にいるとわかるとまた安心して眠くなってきた。

 浅い眠りをくり返していると、ふと右手に掴んでいたマヤの感触が消えていた。

「マヤちゃん?」

 あわてて跳び起きると、マヤがリビングから出て行こうとしていた。振り返ったマヤは気まずそうな顔をこちらに向けた。

「どこ行こうとしてたの?」

「ちょっとトイレよ。まさかついてくるつもり?」

 トイレはマヤが向かおうとした先には反対のほうにある。

「嘘だよ。またわたしをおいてけぼりにするつもりだったんでしょ」

 ゆかが抗議のまなざしを向けると、マヤは困ったように、

「お願いよ、ゆか。これはあたしの問題なの。あなたを巻き込みたくないの」

「わたしだってこの事件の当事者なんだよ。マヤちゃんと一緒に必ず事件を解決するって決めたの。これ以上わたしを突きはなすなら、ほんとうにマヤちゃんのこと嫌いになるよ」

 さすがにこの一言はきいたらしい。マヤは大きく息を吐いた。

「わかった。ついてきなさい。でも、気をつけて。真犯人はもうここにいる」

「えっ?」

 思わず大声を出しそうになる口を慌ててふさいだ。

「ごめんなさい。黙っていて。実はあの刑事たちの殺人事件は実は狂言なのよ」

「狂言? じゃあ、真田さんと川瀬さんは死んでないってこと?」

「もちろん。あれは警察に頼んで映画用の人形をバラバラにして血糊をつけただけなのよ。あなたをだまして申し訳なかったけど、でも犯人を誘き出すためには方法がなかったの」

「どうして教えてくれなかったの?」

「あなたは演技が下手そうだから真犯人に作戦がばれるわ。犯人を動揺させてもうひとりの犯人の場所まで案内させるまでは、あなたに知られるわけにはいかなかったの」

 ひどい言われようだけれど、確かにそのとおりなので反論できない。

「でも、もうひとりってどういうこと? 真犯人はふたりいるの?」

「いえ、正確には三人といったほうがいいかもしれないわね」

「三人も?」

 ゆかは呆然とした。真犯人が三人もいるだなんて。

「これ以上おしゃべりをしてるわけにはいかないわ。これからは絶対相手に気づかれるわけにいかない。声も足音も出さないで。いいわね?」

 なにがどうなっているのかさっぱりわからないが、取りあえずマヤの後を追いかける。

 マヤに連れられて向かった先は図書館の開架書庫だった。

 開架書庫に真犯人がいるというのは、どういうことなんだろう。

 マヤが慎重に開架書庫の中をうかがうと、ゆかも中に入るようにうながした。マヤに指示されるとおりに、自分の影に気をつけて開架書庫の奥へと向かう。

 開架書庫は三日前と同じように誰かがいる気配はなかったが、ただひとつ異変があった。

(……閉架書庫が開いてる)

 いつもは閉じられているはずの閉架書庫の入口が開いていた。

 マヤはポケットからペンライトで取り出して閉架書庫の中をうかがった。二十メートル四方の部屋に、高さ三メートルほどの書棚が並び、おびただしい数の本が眠っている。けれど、誰かが閉架書庫に隠れている気配はない。

 マヤは手を振ってゆかにこちらに来るように指示した。

 ゆかが首をかしげて近づくと、マヤは壁際の書棚に一角にいた。その書棚にはたくさんの本が床の上に積み重なられて置かれてある。不思議なことに『日本文学大全集』と書かれた本が五冊壁にへばりつくように残った。

「……あっ」

 よく見れば、本の表紙の部分がくり抜かれて、中に取っ手のようなものがある。

「お願い、ゆか。これを押すか引くかしてみて」

「うん」

 ゆかは取っ手を壁に向かって押してみる。すこし押すだけで書棚が押戸のように奥へとめり込んでぽっかりと開いた。

「……なに、これ。地下通路?」

 目の前に、青白いあかりが灯された地下通路が顔を出している。

「やられたわ。五年間もこんなものを隠されてたなんて……」

「どういうこと? この地下室をマヤちゃん知らなかったの?」

「ええ。設計図は念入りに確かめたけれど、こんなものがあるなんて知らなかった。元々この図書館は利用してもらうために用意したわけじゃないし、閉架書庫をチェックすることはほとんどなかったのよ」

「だったら、誰がこんな地下通路を……まさか!」

 ゆかの頭の中を最悪の可能性が過ぎっていく。

「行くわよ」

 マヤはゆかの質問に答えず、地下通路へと向かっていく。

 地下へは螺旋状のなだらかな坂道となり、車椅子のマヤでも充分に通れるようになっていた。まるではじめから車椅子の人間が通ることを想定していたかのようだ。

 地下へとつながる坂道を下っていると、奥からなにやら奇妙な物音が聞こえてきた。

(……な、なにこの音?)

 最初は風が巻いているのかと思ったが、どうやら違うらしい。誰かが泣いているかうめいているかのような奇妙な物音が地下室から伝わってくる。

 やがて地下の最下部にたどり着くと、そこには三つの部屋が並んでいた。通路を背にして右手の部屋から誰かのうめき声が伝わってくる。

 マヤは慎重に扉へと向かっていき、ゆかに振り返った。マヤの意図を理解してゆかは扉のノブに手をかける。彼女の顔を見ると、気をつけて、と唇だけで言った。

 ゆかはうなずくと、一気に扉を開いた。

「あっ!」

 声をあげてはならないとわかっているのに、思わず悲鳴がもれた。

 部屋の中にひとりの小男が閉じ込められていた。

 部屋は十五畳ほどの広さがあるが、部屋の入口には太さ五センチほどの鉄格子がはめられていた。鉄格子の内側は理科の実験室と牢屋とオフィスを組み合わせたような内装だった。簡易トイレが部屋の端に置かれている他には、実験器具や分厚い書類などが散乱していた。

 男はびくりと震えるようにして、こちらを向いた。

「ああ!」

 マヤの姿を見た瞬間、男はマヤへと駆け寄ろうとして倒れた。ずいぶん長い間、閉じ込められていたのだろう。髪やひげは伸び放題に伸び、服はぼろぼろとなり、体はやせ衰えている。

「……三沢? あなた三沢なの?」

 マヤの問いかけに、男・三沢は涙を流しながら何度もうなずく。けれど、彼が発する言葉は、うめき声にしかならずに言葉にならない。

「かわいそうに、声帯を切られたのね」

 さすがのマヤも顔をしかめていた。よく見れば、三沢の喉元に深い傷痕がある。

「ああ、うう!」

 男は必死にうめくが、声帯を切られているためなにが言いたいのかわからない。

「だいじょうぶ。すべてわかってる。ここにあいつらがいるのね?」

 ああ、と何度も三沢はうなずく。

「わかった。残念だけど、いますぐあなたを助けるわけにはいかないわ。もうじき警察が突入してくる。それまでおとなしく待っていなさい。いいわね?」

 男がうなずいたのを確認すると、マヤは呆然とするゆかへと振り返った。

「こ、このひとが三沢さんなの? でも、三沢さんって五年前に逃げたんじゃ……」

「真犯人たちにミスティックをつくらされるために監禁されてたのよ」

「このひとがミスティックを? でも、いったいなんのために?」

「それは本人たちに聞いてみるのが一番ね」

 マヤが憎々しげに吐き捨てると、ゆかを連れて地下の隠し研究所の一番奥へと向かった。マヤが先頭で入ろうとしたが、今度はゆかがその手をつかんだ。

「わたしが先に入るよ」

 相手がふたりならば格闘する危険もある。マヤが先頭にいたら格闘に巻き込まれる危険がある。相手がミスティック・ドールズでも不意をつけば押さえ込むことができる。その間に、マヤがミスティックを無効化する薬を打てばこちらの勝ちだ。

 マヤに目で合図をすると、ゆかは一気に扉を開いて中に入った。

「なっ?」

 だが、予想外の相手に目を剥いた。

 白磁の仮面をつけた男がベッドに横たわっていた。仮面は目と口以外はすべて覆っている。彼の背後には医療用の機械があり、彼が呼吸をするたびに異様な音が聞こえる。さながら病院の集中治療室のようだった。

「やあ、はじめまして。君がゆかだね」

 屈託のない口調だったが、その声はのどに取り付けられた機械から発せられていた。

 異様な相手と部屋に目を奪われたのが、徒となった。

 何者かが背後から手ぶらとなったゆかの腕をひねりあげられた。反射的に返し技が体から起きるが、その瞬間首筋に冷たいものを押し当てられた。ナイフだ。

「動かないでください。ゆか様」

「……篠崎さん」

 わずかに振り返ると、いつもの微笑が目の前にあった。

「マヤもさっさと入ってきなよ。はやくマヤの顔を見たいよ」

 仮面の男にうながされるようにして、マヤも部屋の中へ入ってくる。マヤは整った顔をゆがめて相手をにらみつけた。

「ひさしぶりね。あなたが今回の一連の事件の首謀者ね、暁人」

 えっ、とゆかは仮面の男へと注意を向けた。

「このひとが暁人? ミスティック・ドールズ事件の真犯人?」

 暁人の目がうれしそうにゆがんだ。

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