第十五話 精神的不安定

「達也……」

達也の悲痛そうな表情を見て、 雪乃は自分心が酷く締め付けられるのを感じていた。

「そんなの……反則よ……なんで今更椿ちゃんが出てくるのよ……それじゃあ私の役目は……もう……」

-ないじゃない……

実は雪乃は、 達也の元を離れた後達也の後をこそこそとつけていたのだ。

そしてその過程で、 彼女は椿がAIという形となって再び達也の前に現れたのを知った。

雪乃は、 椿の事を別段嫌っているわけではなかった。

 だからこそ形はどうあれ生きていてくれたことは、 素直に嬉しかった。

だがそのせいで自分の今までの役割が終わると思うと怖かった。

それもそのはず椿という存在が戻ったことにより達也の精神的バランスは大分戻りつつあった。

そしてそのバランスが戻るということは、 つまるところこれ以上雪乃を椿の代わりにしなくてもよいということに他ならない。

そしてそれ即ち達也にとって雪乃は、 もういらない不要な存在であると物語っているようなものであった。

雪乃にとって達也は、 自身の全てだ。

彼の為なら自身の命でさえ喜んで投げ出せる。

それほどに雪乃にとって達也は、 大事な存在なのだ。

だからこそ彼女にとって達也の拒絶の言葉は、 耐え難い苦痛であり、 絶望なのだ。

無論達也が自分にそのような酷い仕打ちをしないことは、 頭では理解している。

けれど彼女の体は達也の前に現れることを拒み続け、 今もこうして達也の事を陰ながら見つめる事しかできないのだ。

「私は……どうすれば……ああ、 うまく考えが纏まらない……‼」

「雪乃? お前どうしてそんなところで隠れているんだ?」

その声の主は、 セシルであった。

 どうやら彼女は、 彼女なりの解を得たようで今はどこかすっきりとした顔立ちをしていた。

それが雪乃には、 堪らなく気にいらなかった。

ー何故自分はこれほど思い、 悩んでいるのにこいつはそれに気づかないのだろう

次第に雪乃の中でセシルへの不満が募っていく。

ただそんな雪乃の様子に全くセシルは、 気づいていなかった。

「ん? あれは達也か? あいつ……あんなところで何を……」

「少し黙りなさい」

「お、 おい。 何そんな怒っているんだ?」

「貴方のそういう無神経なところよ。 勝手に人の領分にづかづかと土足で踏み入ってきて、 荒らすだけ荒らしていく……」

「ゆ、 雪乃?」

「私は貴方のそういうところが本当に嫌いよ」

「そ、 そういわれてもなぁ……」

セシルは、 雪乃からの否定の言葉に全く傷ついていなかった。

それよりも彼女にとって今気になることは、 何故雪乃の心がここまで不安定になっているのかであった。

それは彼女元来の面倒見の良さからくるものではあるのだが、 それは雪乃にとってはむしろ逆効果にしかならなかった。

「なぁ雪乃。 何か悩みがあるなら……」

「貴方に言えと? はっ……言うわけないじゃない。 何せ貴方も達也の事一人の女として好いているのでしょう?」

「な!? お、 お前は何をいているんだ……?」

「気づいていないとでも思ったの? あれほどしている姿を見せておいて」

「は、 発情!? してないぞ‼ 私は断じてそんなことは……」

「嘘ね。 だって私にはわかるもの……達也に近づく発情したの匂いが……」

-ま、 不味い……明らかに今の雪乃は正気じゃない……

元々暴走しやすい気質を持つ雪乃ではあったが、 今回のはとびきりヤバかった。

何せ今の彼女の手には、 刃物が握られていたのだ。

そしてそんな彼女の手が今まさにセシルの喉元を掻き切らんと迫る。

「危な‼」

「達也に近づく女は……皆死んでしまえばいいのよ……‼ そうすれば……そうすれば……私は……」

「雪乃‼ 正気に戻れ‼ お前はそんな事する奴じゃないだろう‼」

「うるさい‼ うるさいうるさいうるさい‼ 貴方に私の何がわかるっていうの‼」

ヒュン‼ ヒュン‼ ヒュン‼

そう風切り音を鳴り響かせながらナイフが振るわれる。

ただいつもなら最キレのあるはずの雪乃のナイフ使いは、 精神状態がボロボロである今の状態では、 酷く単調で、 乱雑であった。

セシルは、 そんな雪乃の攻撃をかろうじて躱しており、 もしナイフを振るっているのが普段の雪乃であったのならば彼女は、 躱すことはできなかったであろう。

「雪乃‼」

「うるさい‼」

その気迫に思わずセシルは、 後ずさりそのせいで地面に倒れてしまう。

「しま……」

 それを雪乃が見逃すはずはなく、 刻々と雪乃のナイフがセシルに迫る。

「これで終わりよ‼」

「くっ……」

その時雪乃の手を横から止める物が現れた。

「何を……しているんだ?」

「た……達也……?」

手の主は、 達也であった。

そしてその事が雪乃の頭を急速に冷静にさせた。

「雪乃。 もう一度聞く。 お前は今、 何をしようとしていた?」

「わ、 私は……私はただ……」

「雪乃もういい……」

「私は……」

「雪乃」

「え……?」

雪乃が驚くのも無理はなかった。

何せ彼女は今達也によって強く、 とても強く抱きしめられていたのだ。

「今のお前の精神状態が不安定なのは、誰の目にも明らかだ。 だから今は少し休め」

「た、 達也……私はただ……達也に捨てられるじゃないかって……それが怖くて……」

「はぁ……貴方は相変わらず馬鹿ですねぇ……。 兄さんがそんな薄情な真似するわけないじゃないですか」

椿のその言葉は、 雪乃の胸の中にスゥと入っていた。

「ははは……本当に馬鹿ね私……」

ー本当はそんな事知っていたはずなのに……勝手に忘れて……勝手に焦って……そのせいで取り返しのつかないことをするところだった……

「ごめんなさい」

その言葉を最後に雪乃は、 達也にもたれかかるようにして気を失った。

「え、 ええと私は一応助かった……のか?」

「ああ。 多分もう大丈夫だ」

「そ、 そうか……」

セシルは自身の命の危機が去ったことにそっと胸をなでおろした。

ただセシルからすれば何故自身が命の危機にさらされたのか全く分からず、 その事について疑問に思わずにはいられなかった。

「なぁ達也。 何故雪乃は私の事を殺そうとしてきたんだ?」

「詳しいことは俺もわからない。 ただ多分俺が何かやったのだろう」

「兄さん……貴方はどうしてそうなんでもかんでも自分のせいにしたがるのですか。 それはよくない癖だと思います」

「その意見には私にも同感だ‼ お前は昔からなんでもかんでも自分のせいにして……」

「二人とも今は静かにしてくれ。 雪乃が起きるだろう?」

「はぁ……兄さん。 その女の事まだ好きなんですか?」

だよ。 それが恋愛的な好きかは、 俺にもわからない。 でも俺はこの程度のことで雪乃の事を嫌いになるはずがない」

「この程度の事って……私は一応命を取られかけたんだが?」

「それもそうだな。 なら俺が雪乃の代わりにお前に借りを返す」

「返すって……具体的に何をしてくれるんだ?」

「そんなの知らん」

「は!? お前なぁ……」

「ふむ。 ならこうしよう。 お前は俺に一回だけ命令できる。 それでどうだ?」

「な、 なんでもいいのか‼ その言葉嘘じゃないな‼」

「あ、 ああ……」

「よし‼ 言質はとったからな‼ 詳しいことはまた追って連絡する‼ それじゃあ私は準備があるからそれじゃあな‼」

セシルは、 そう言い残すと一目散に走り去っていた。

その余りの変わり身の早さに達也は、 珍しくその場で呆けていた。

「はぁ……兄さんはまたそうやって……」

「椿何か言ったか?」

「いいえ。 なんでもないですよクソ兄貴」

「おい椿今俺の事なんて……」

「さあ早く家にかえりましょう。 私もう疲れちゃいました」

「ちょ、 俺の話を少しは聞けよ」

この後椿が達也とまともに口をきいてくれたのは、 彼が家に着いた後であった。

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氷室達也は世界を壊したい‼ 三日月 @furaemon

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