記憶を追って…
リエミ
記憶を追って…
飲食店の片すみに、いつも一人のお爺さんが座っていた。
店の店長は、もうその光景にはすっかり慣れていたので、毎日お爺さんに、料理を多めに出していた。常連客へのサービスだ。
店長は、手が暇になると、お爺さんのそばへ行き、他愛もない会話を楽しむ。
毎日そうしているうちに、お爺さんは、自分の身の上話を語り始めた。
それによると、こうだ。
お爺さんは絵描きだった。
手にスケッチブックを持って、外を散歩するのが趣味。
ある昼下がりのこと。
お爺さんは、その日もスケッチブックを手に、散歩をしていた。
が……そこから記憶が飛んでいた。
気がつくと、なぜか全身びしょ濡れで、川原に寝そべっていたのだった。
スケッチブックも、どこで放したのか分からない。無くなっていた。
お爺さんは、少しボケていたのだろうか……?
よく分からないまま、家に帰り、そしてまた、新しいスケッチブックを買った。
あの日、なぜ自分はびしょ濡れになっていたのだろう。
お爺さんは、毎日、謎を解き明かしたいと、店の片すみで考えている。
家から近い、この飲食店は、落ち着いていて居心地がいい。
考え事をするにはちょうどいいと、毎日足を運ぶのだった。
他にすることもないので、ただお爺さんは、スケッチをしている。
店の風景、客の表情などを描いては、店長やその客から、自分の才能を、そっと覗き込まれている毎日だった。
ある日、店長の子供が、お爺さんにこんなことを言ってきた。
「ねぇ、お爺ちゃん。絵がとっても上手なんだから、あの日、覚えている川原を描いてよ。僕が謎解きを手伝ってあげるからさ」
「それはいい。そうしなよ」
店長も賛成して、お爺さんに言った。
「記憶をたどっていけば、いつか真実を思い出すよ」
「そうかのぅ……」
お爺さんはなんとなく、子供や店長に促され、スケッチをし始めた。
最初に描いた一枚は、びしょ濡れになって倒れていた、あの川原だった。
「これなら僕知ってるよ! 学校の近くの川でしょ?」
子供は楽しそうに、お爺さんのスケッチを眺めた。
「川で魚が釣れるんだよ」
それを聞いて、店長も言った。
「お爺さん、その日川原で、魚獲りをしていたんじゃないかい? 夢中になってスケッチブックを手放し、全身びしょ濡れになりながら、遊んでいたんだろう」
「いやぁ……どうもそんな気はしないのだがねぇ……」
お爺さんは首をひねって答えた。
「おや、まてよ……。わしは靴も無くしていたんじゃ。家に帰るまで、裸足で歩いた記憶があるぞ」
「ほーら、やっぱり。お爺ちゃん、素足で川に入ったんだよ」
子供は声を高めて言った。
「ねぇ、もっと思い出して、お爺ちゃん!」
子供は協力して、その日から、お爺さんが描いたスケッチと同じ場所の風景を、実際にそこへ行って、写真に撮ってくるようになった。
その写真をお爺さんに見せる。
お爺さんのスケッチと写真の風景は、ピタリと一致した。
「よぅし、もう一枚描いてみるかのぅ」
お爺さんの脳ミソが活性化され、いろいろと思い出すようになった。
次に描いたのは、長い橋の絵だった。
それを見て、店長が言った。
「山の上の橋じゃないか? この付近では、おいしい山菜が採れるんだよ」
「お爺ちゃん、山へ行って山菜採りをしていたの?」
子供は言う。が、お爺さんは首を振った。
「いや……ワシはなぜかは分からんが、何かここで、やらねばいかん気がしていたんじゃよ。うう、それが何だったか、思い出せん……うう、頭が痛い」
「お爺さん、今日はもういいよ。無理をしちゃいけない。また明日、少しずつ思い出せばいいさ」
店長はお爺さんをいたわって、お爺さんもスケッチブックを手に、自分の家へ帰ることにした。
帰り間際に、子供は言った。
「お爺ちゃん、僕、思い出せるように、また明日、橋の写真を撮ってくるよ。お爺ちゃんがやらなければいけないこと、きっとできるように、応援しているからね!」
お爺さんは、優しい子供に見送られて、家路についた。
その晩のこと。
お爺さんは急激に、事の真相を思い出した。
思い出した場面を忘れないように、急いでスケッチを描き始めた。
五、六枚描いたところで、お爺さんはそのスケッチブックを持って、外に飛び出した。
真夜中だった。
そのお爺さんの奇抜な行動を止める人は、一人もいなかった。
お爺さんはすでに奥さんを亡くしていて、一人身だったからだ。
スケッチブックは、通りかかった、いつも通うあの店の前に、置いてきた。
そして山を登り、長い橋の前まで来た。
お爺さんは橋から眼下を眺め、靴を脱いだ。
眼下には小川が流れていた。
次の日、店長は、写真を撮って帰ってきた我が子の様子がおかしいことに、気がついた。
「どうした。そんな怯えたような顔をして。写真は撮れたのか?」
店長は、今朝からちょっと、気になっていた。
というのも、朝、店を開ける時、店の前にお爺さんのスケッチブックが落ちていたのを、拾ったからだ。
見ると、五、六枚、新たな絵が追加されている。
描き殴ったようなそのスケッチには、どこか暗い山の中や、そして深い水の色、その中で溺れているようなお爺さんの姿があった。
本当はもっと早く子供に伝えるべきだったかも知れない。が、まだそうなるとは、思ってもいなかったのだ。
だが、子供の撮ってきた写真を見て、店長は後悔の念に襲われた。
写真には、橋の前にきれいに揃えられた、お爺さんの靴。
橋の上から撮った小川に、横たわったお爺さんが、血まみれで写っていた。
救急隊が小川へ駆けつけた時、すでにお爺さんはそこにはおらず、学校の近くの川原へ、水の流れで流れてきていた。
後に聞いた話では、お爺さんは奥さんを亡くしてからというもの、何度となく自殺を試みては、上手く死ねずに、悲しみに浸っていたという。
前回は、橋から落ちたショックで、記憶喪失になり、自分が死のうとしていたことも、忘れていたらしい。
そんな時、子供が言ったのだった。
「僕が謎解きを手伝ってあげるからさ。もっと思い出して、お爺ちゃん!」
◆ E N D
記憶を追って… リエミ @riemi
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