剣の決勝戦

二魚 煙

剣の決勝戦

 ――そのトーナメント表の頂点になった人は数多の屍の上に立っている事と同義である。

 

 誰かがそう呟いた言葉は不適切な言葉かもしれないが、確実に的を射抜いている表現だろう。


 他のスポーツは互いが真剣勝負で点数を取り合っているのに対し、剣道は互いに剣を交えながら命のやり取りを行っている。


 剣道も元を辿れば剣術を競技化したものだ。

 真剣ではなく刀を模して作られた竹刀を用いて行われるが、はっきり言って剣には変わりない。合図がかかった瞬間、互いに相手を見据えながら殺気を込めて命と言う名の点数である『一本』を取り合う。

 このスポーツは他のスポーツと一線を画している。だがそれでいて己の剣の修練こそ美しいものは無い。

 剣道とは命のやり取りを模した中で光る剣術の美しさが垣間見える唯一無二のスポーツなのだ。



 季節は夏。

 高校生男子の部県大会決勝。

 小中高と今まで剣道を行ってきた俺の集大成が今この場所で行われる。

 はっきり言って才能の無かった俺にとってこの場に立てたことは奇跡としか言いようがない。だが絶対にそれを奇跡とは誰にも言わせたくない。そして自分自身にも言い聞かせはしない。

 剣道の試合コートは一辺が約九~十一メートルの正方形の中で行われる。つまりその中で俺と相手は互いに一本いのちのやり取りを行う。

 試合前はいつも妙な雰囲気に包まれる。会場内にさっきまであった熱気は静まり返り、決勝が行われる試合コートに会場内にいたほぼ全員の選手が正座になりこちらに注目していた。

 この雰囲気を味わうのは剣道歴十二年の中で初めての事だ。精神統一をしようとしても身体が言うことを聞かず、手足が震え思わず武者震いする。


(――落ち着け)


 緊張と不安を取り除くかのように面手拭を付けて面をかぶり、気持ちを引き締めるように力強く面紐を縛った。

 面の中から見える景色の中で真っ先に見えたのは反対側の真正面に座った決勝の相手だ。県内有数の強豪高校の主将を務めるまさに強敵といった相手だ。こちらを見据えるようにして正座しているその格好からでも強いというオーラが肌に突き刺すように分かる。

 小手を両手に着け、近くに置いてある竹刀を取り立ち上がる。相手も俺の動きを見て立ち上がった。

 試合コートには主審一名、副審二名、計三名がすでに立っており両手に紅白の旗を持ち俺達を待っている。

 剣道はこの紅白で決着がつく。旗が三人中二人その色のタスキを身に着けた選手の旗が上がればそれが一本となり、二本先取で勝敗が決する。

 俺のタスキの色は白。対して相手のタスキの色は赤。正に挑戦者と王者の構図だ。


 互いに息を合わせ、試合コートの中に定められたところまで入り蹲踞そんきょをする。

 構えられた竹刀は互いを捉えており、相手の面金の奥に光る双眸は俺に対して殺気を放っていた。

 この十二年間。この高みに至るまでに剣を振り続け、様々な試合で負けて死んで来た。

 だが今日は違う。すべてはこの己の剣を証明するためにこの強敵を屠る。

 

 ドン!


 太鼓が会場内に鳴り響く。試合が――始まる。


「――っ始めー!!」


「ぅぃやややあああああぁぁぁぁ――――――!!!!」

「っささぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁ――――――!!!」


 素早く蹲踞の姿勢から立ち上がり、刹那互いの身体が引力で引きつけられるような激しい体当たりが展開された。両者の相面で一本にはならなかったようだ。互いの面金が激しく当たりカチカチと金属音が鳴る。

 俺は真っ先に相手の目を見て睨みつける。こうもしないと相手の殺気に気圧されてしまう。相手も俺に対抗して睨み返してくる。どうやら相手も譲れないらしい。

 相手から間合いを取るために引き面を打って俺は間合いを取った。

 いつも履きなれた袴が風になびく。相手と俺は互いに竹刀を構え、じりじりと詰め寄る。

 こぼれる吐息は常に緊張感を帯びている。相手はいつ俺に飛びかかってきてもおかしくない。だが俺から攻撃しても逆にやられる可能性がある。最早これは命のやり取りと同じだ。一つの動作が――己の運命を左右させる。

 互いに一足一刀の間合いで牽制しあう。竹刀の先端は小刻みに当たり、微弱な音が閑静な会場内に響く。


「ぅぃぃやややややややややぃぃぁぁぁああああああああああ!!!」


 相手からは強者たるオーラが辺り一面に広がり、それがプレッシャーとなり思わず足をすくませる。俺はすぐさま自身の中に潜む負の感情を取り払うかのように声を荒げた。

 相手もこちらを警戒するかのように、俺の構える竹刀を払い攻撃の体勢を整えていた。

 

 ――ここは一つ仕掛けるしかない。


 俺は相手の竹刀を勢いよく払い、最速最短の距離で相手の面を狙った。


「っめェェえェ――――――――ンっ!」


 確かに狙った。完璧なタイミングだった。今までにないくらい快調な払い面。相手もこちらの動きについてけない――はずだった。

 当たったと思った竹刀は空を斬り、目の前にいた相手は俺の後方にいた。

 主審副審の三審は相手の赤色の旗を揚げていた。

 決まり手は――


「くぅぅぉおおお手ェェェえええええェェェ―――――っ!」

「小手ありっ!」


 小手。つまり俺の腕を切り伏せたのだ。

 確かに俺は相手を斬ったはずだ。だがそれはただの残像だったに過ぎない。相手は俺の面を利用してカウンターともいえる出ばな小手で一本を取った。

 ……やはり強い。

 相手は天性の持ち主。対して俺は凡庸な一剣士。はっきり言って技の格が違う。

 

 一度元に戻り試合が仕切りなおされる。始まった直後も相手の技が繰り出され、俺は間一髪のところで受け流すのが精一杯だ。

 互いに激しい鍔迫り合いが行われる。聞こえる吐息は勝利への渇望が混じっている。対して俺は未だに緊張しており、こぼれる吐息は心細い。

 一度引き面で相手から離れると相手があたかも紐で引っ張られるかのように追跡して鋭い面を打ち込もうとしてきた。


(まずい――――)


 脳をフル回転させ、現状の不利な状態から相手と渡り合える技を導き出す。

 ――やはりしかない。

 逃げの体勢にあった足をすぐさま床に接地し、後ろにあった体重を前に移動させ相手に突進するかのように勢いよく床を蹴り、相手に向かった。


「ッめェェェメメェェェぇ――――ン!」


 相手は面。それに対し俺は――


「っくぉおおおッッ手えェェェ――――っ!」


 先ほど相手にやられた出ばな小手を繰り出した。

 相まみえる竹刀。互いの身体はすれ違いざまに技を繰り出す。

 打ち込んだ技の裁定――副審一名が赤。対して主審と副審一名が白。


「小手ありィっ!」


 軍配はギリギリ俺のほうに上がった。これで相互に一本ずつ。二本先取で勝ちとなるので実質どちらかが一本を獲得した時にこの試合の雌雄が決する。

 一度試合が止まり、互いに初期位置に戻る。俺も相手も後がない。試合時間も残り少ないので一度引き分けてから延長に持ち込んで作戦を練り直すのも良いだろう。


 ――だが、それではいけない。


 互いに残り一本。これから行われるのは一本いのちのやり取りだ。その真剣勝負に『逃げる』という言葉は通じない。

 息を整える。恐らく相手も同じだ。ここからは一つの動作が自らを死を招くことになる。

 会場内はたちまち静かになる。話声など一つも耳に入ってこない。

 両者構え――――今、始まる。


「始めェェェっ!」


 始まった瞬間、相手は基本の構えである中段の構えを解いて竹刀を頭上に構える。

 その構えの名は――左上段の構え。

 一撃必殺の攻撃型スタイルに転向してきた。恐らく相手も俺と同じ考えなのだろう。延長に持ち込まず、この時間内に決着をつけたがっている。

 面金の奥底からは殺気が込められた瞳がこちらを見据える。

 対して俺は――変わらず中段の構え。

 十二年やって上達速度が遅かった俺はこれが精一杯。多彩な攻撃など絶対にできない。

 だが、俺には自身の『技』がある。

 十二年間この山の上に立つためにただ愚直に行ってきた素振りの数々。別に才能の持ち主ではなかった俺はこれを毎日欠かさずやって来た。

 確かにスポーツにセンスは必要だ。だが――剣道の技は違う。

 刀剣を鍛えて不純物を取り除くように、竹刀を振り続ける。その行為はやがて一つの『技』となり、鍛えあがった刀剣と同じような美しさになる。

 俺は十二年間鍛え上げたこの『技』でこのトーナメントに蔓延る強者の一本いのちを刈り取り屠ってきた。

 

 己の弱き心は捨てよ。

 信じるはこの『技』のみ。


 いざ――――――勝負。


「っやァァああああァァっ――――――――!」

「サぁあああああああァァァァっ――――!」


 互いの鋭い打突が防具に当たり鈍い音が響き渡る。踏み込んだ足は勢いよく会場の床を重く揺らす。

 弧を描き交差した二つの竹刀は乾いた竹の音を鳴らし、己の闘争心を焚きつける。

 激しく交わされる鍔迫り合い。一進一退の攻防がこの中で行われる。

 急所を狙い定め、竹刀で打ち込んだ後に残心で縦横無尽に動き回る。

 俺も相手も譲らない。徐々に攻撃する頻度も高くなる。


 ――――そろそろ、決着の時だ。


 互いに見合った時。同時にその『技』が繰り出される。

 その技は、剣道において最も基本的な技。すべてはここから始まった。


「「めェェえェ――――――ン!」」


 二つの竹刀が互いの面を鋭く打ち抜き、二人の剣士が残心と共に交差する。

 同時に試合の終わりを告げる太鼓の音が鳴り響いた。


 確かに敵をこの手で斬った。泣いても笑ってもこれで自身の生死が分かる。

 全てをやり切った表情で俺は審判を見た。


 三審全員が旗を揚げている。その色は――――白。


 十二年鍛え続けた己の洗練された『技』が相手を切り伏せた。


「勝負ありっ!」


 刀を納め、俺は相手に敬意をもって礼をする。

 あくまでも喜ぶ感情を表には出してはならない。それが相手を重んじる剣道というスポーツなのだ。

 だが命のやり取りには変わりない。しかし、その中には時折洗練された技を垣間見ることができる。


 だからこそ剣道は美しいスポーツだ。


 この夏、俺はその剣道で始めての頂に立つことができた。




 

 




 


 

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