想い出の中の川

 翌日、レフティはヴェテラと共にマティネラたちの乗る馬車を護衛しながら、目的地の街に向かっていた。


 レフティとヴェテラはそれぞれの馬に乗り、周囲を警戒しながらマティネラたちの馬車の後をついて行く。

 ヴェテラは、ちらりと馬車を見た。

 中で何が行われているかと考えれば、おそらく何も行われていないのは容易に想像がついた。

 しかし彼には、それが恐ろしい。


 向かい合って座りながら、だんまりな親娘。

 父親の隣で微笑んでいる魔天使。

 娘側にいて気まずそうにしているメイドの我が子。


「アジュリテ……済まない」


 遠い目をしながら馬車を見て、ヴェテラはそう呟いた。


「何か、あったんですか?」


 先ほどから一点を注視しているヴェテラの様子に気がついたレフティが尋ねてくる。


「いや、なんも」


 ヴェテラは苦笑いしながら、そう答えた。

 すると今度はレフティが、何かに心を奪われているような目つきになっている。


「どうした?」


 ヴェテラはレフティが見ているものを確認する為に振り返った。

 そこには川が流れていた。

 地獄の出口から溢れる水が、流れてくる川だ。

 その上流付近は驚くほどの急流で、しかも出口となる山の裾野にある洞窟の中では天井が徐々に狭くなっていき、水嵩は常に洞窟の奥を満たしていた。

 おかげでこの国では飲み水に困ることは無いのだが、時おり魔獣などの余計なものが川辺に流れ着く。

 もっともほとんどが死骸で、生きていた例をヴェテラは聞いた事が無かった。

 本当にシュオが地獄から来たのであれば、恐らく生きたままで流れ着いたのは彼女だけである。

 赤ん坊は死んでしまった。

 流石は魔天使だ、とヴェテラは思った。

 案外、赤ん坊の話をすればシュオは、あっさりと記憶を取り戻すかも知れない、と彼は考えた事もある。

 しかし、彼女がシュオである事は屋敷の使用人でも古株は知っているが、その赤ん坊が死んでしまった事を承知しているのはマティネラとヴェテラだけだった。

 そして、その遺体を見失ってしまった事も……。

 マティネラの妻や娘のエンヴィ、そしてヴェテラの娘であるアジュリテも知らないことだった。


 もし記憶を取り戻して、その事実をシュオが知って怒り狂い、自分たちが殺されるくらいなら、まだ良い方だ。

 最悪、裏切りの魔天使シュオが再び裏切って、魔の眷属側に寝返ってしまったら?

 そう考えると二人は、黒い羽根が見つかったというこの土壇場でも、その話を彼女に切り出せないでいた。


「川が、どうかしたのか?」


 ヴェテラはレフティの方に向き直り、そう尋ねた。


「実は俺、赤ん坊の頃に、ここでは無いんですが、この川の河原で捨てられていたらしくって……」


「ほう?」


 ヴェテラは眉を顰めた。

 嫌な気分になったわけでなく、少し驚いたからだ。

 こんな世の中だから捨て子は別に珍しくない。

 しかし河原で捨てられるのは珍しかった。

 普通は教会の前とか、裕福な家の門のそばとかである。

 捨てざるを得ないにしても、なるべくなら子供には長く生きていて欲しい。

 親なら誰しも、そう願うだろう。


 レフティは川を見て懐かしそうに微笑む。

 今までに見せた事がないほど柔らかな表情をする彼にヴェテラは、そんな顔もできるのだな、と再び少しだけ驚いた。


「そこで、アリシアとばあちゃ……祖母に拾われたらしくって……」


「なんだ? じゃあ、義理の姉と結婚していたってのか?」


「ええ、まあ……」


 レフティは少しだけ照れつつも、哀しみを抱えた表情になった。


「そうか……」


 ヴェテラも、それ以上は何も言わなかった。


 ふと、ヴェテラの脳裏にとある疑問が浮かんだ。

 しかし、彼は直ぐにそれを振り払う。


「まさかな、死んでいたはずだ……」


「……は?」


「いや、なんも」


 ヴェテラは少しだけ馬車から離れてしまったので、慌てて馬を前に寄せる。


「しかし、レフティは良くそんな赤ん坊の頃の事を想い出せるな?」


「まさか! 子供の頃に義姉さんや祖母と一緒に隣の村まで買い出しに出かけた際に、現場の近くの街道を通りかかるもんだから、その度に聞かされただけですよ」


 ヴェテラの質問にレフティは苦笑いをしながら答えた。


「へえ……この川の近くの街道を、女子供だけで護衛も無しにねえ」


 ヴェテラは妙な所に感心した。

 確かに魔神討伐以降、川近くの街道の危険度は減ったが、昔はまだ安全だとは言えない状況だった。

 だからマティネラもヴェテラを護衛として雇っていたのだ。


「ええ、偶然でしょうが、なんでも御守りの加護を信じていて、それのお陰で大丈夫だとか何とか……」


「はぁ……その御守りって奴は?」


 ヴェテラの質問にレフティの表情が、わずかに翳る。


「アリシアに渡されていましたが、魔獣には通じなかったみたいです」


 言いつつもレフティは、あの御守りがアリシアの遺体からは見つからずに、何処にあるのか分からないままだったのを思い出していた。


「そうか、悪い事を聞いたな」


 そう申し訳なさそうに答えるヴェテラの声を、やはり以前、どこかで聞いた気がするレフティだった。

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テイストブラッド ふだはる @hudaharu

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