魔導錬金術師クワィア

「大丈夫なのか?」


 ヴェテラはアジュリテの部屋の中にいる。

 彼女は具合が悪く、仕事を休んでベッドで寝ていた。

 ヴェテラの問い掛けに、アジュリテは熱っぽい顔をしつつも笑顔で答える。


「うん、大丈夫。心配かけて、ごめんなさい」


「気にするな。いや、むしろ済まないな。母さんさえ、いてくれたら……」


 アジュリテは掛け布団の中から片手を出すと、人差し指を父親の口に向けて立てる。

 ヴェテラは頷いてから、その手を優しく掴むと、布団の中へと戻した。


「悪かったな。こんな時は、ついつい弱音を吐いちまう」


「ううん、いいよ? 仕事の愚痴とかなら幾らでも」


 ヴェテラは天井を見上げて溜め息を吐く。


「仕事の愚痴ねえ……ありすぎるわな」


 アジュリテはクスクスと笑った。


「アジュリテ、お前の方はどうなんだ?」


「どうって?」


 ヴェテラはアジュリテの表情を観察しながら尋ね直す。

 彼は屋敷の中において奇妙な噂を聞いていた。

 それを直接でないにしろ娘に確認したかった。


「エンヴィ様は優しくしてくれるか?」


「うん、とっても」


 屈託の無い笑顔。

 娘の晴れやかな表情を見たヴェテラは、所詮は噂だったかと安堵した。


 アジュリテは付け加える。


「彼女は素晴らしいご主人様よ?」


 ヴェテラは、そうかと言って笑った。

 アジュリテは視線を父親から窓のそばへと移す。

 そこにある彼女の机の上には、美しくも可愛らしいペチュニアの鉢植えが置かれていた。


 部屋の扉を叩く音がして、他のメイドの声が響く。


「ヴェテラさん、マティネラ様がお呼びです」


「あいよ」


 ヴェテラは扉に向かって振り返ると、そう返事をした。

 娘に向き直ると、アジュリテもちょうど視線を父親へと戻した所だった。

 二人は目を合わせて頷く。


「それじゃ、仕事に行ってくるわ」


「いってらっしゃい。私も明日には起きるから」


 ヴェテラはアジュリテの頭を優しく撫でる。


「あまり、無理はするなよ?」


 彼は立ち上がると扉を開け廊下に出て、娘の顔をにこやかに見ながら静かに閉めた。


 メイドにマティネラの居場所を尋ねると、執務室で待っていると言う。

 お茶を用意する為に厨房へと向かう彼女と別れて、ヴェテラは執務室へと向かった。

 扉の前に辿り着くと、ノックをして返事を待たずに中に入る。


「何か用ですかい? 旦那」


 机の方ではなく、テーブル挟んだソファの片側に座っていたマティネラが、軽く片手を挙げてヴェテラを迎え入れる。


「用というほどの事でもないんだが、アジュリテちゃんの具合はどうかね?」


「ええ、おかげさまで。明日には仕事へ復帰するつもりになるくらいは、元気なようです」


 答えながらヴェテラは、反対側のソファへと座った。


 ノックの音がしてメイドが入室する。

 テーブルの上に淹れたての紅茶を置き始めた。


「ありがとう。実はな……」


 マティネラはメイドが部屋にいる内に話を切り出してきた。

 どうやら内密の話では無いようだ。


「明日、レフティ君の新しい武器を受け取りに行くのだろう? ついでと言ってはなんだが、私たちも同じ街に用事があるので、連れて行って欲しいのだが?」


「護衛ですかい? それが本来の仕事ですし、別にかまやしやせんが、私たち?」


「ああ、娘のエンヴィと、出来れば付き添いのメイドでアジュリテちゃんも、それにシュオ様もだ」


 ヴェテラは少しだけ怪訝そうな表情になる。


「シュオ様もですか?」


 シュオは、あまり人目に晒すべき存在では無い。

 見かけは良くいる普通の女性だが、どこに彼女の姿を記憶している人物がいても、おかしくないからだ。

 もちろん、ずっと十数年も屋敷に引きこもらせていたわけではなく、時折は息抜きに外出させてはいる。

 しかし、それは馬車で屋敷から街の外に出て、あまり人目につきにくい原っぱなどでのピクニックや、広大な私有地の中での散策などに限られている。

 他所とはいえ街中に出掛けるのは珍しい。


「ああ、クワィアの工房でレプリカの製造工程をご覧いただいて、記憶を取り戻す切っ掛けになれば、と思ってね」


 マティネラはシュオを連れて行く目的を、そうヴェテラに説明した。

 もういい加減に手をこまねいている場合では無い。

 例え存在が露見する危険性が高いとしても、なるべく早くシュオに記憶を取り戻して欲しい、と彼は考えていた。


「同じ型のレプリカを見ても、何も思い出せなかったようですがねぇ?」


 ヴェテラは隠そうともせずに苦笑いをする。


「やらないよりはマシという程度の思いつきさ。私も期待はしとらんよ」


 マティネラも苦笑いで返して同意した。


「それでエンヴィ様とうちのアジュリテは、どうして連れて行くんですかい?」


 ヴェテラが、そう尋ねるとマティネラは嬉しそうな顔になる。


「そちらが本命の用事でな。妻がその街の病院で定期的な診察を受ける事になっているんだ」


「ああ、いつもの奴ですかい?」


「そうそう、久し振りに娘と一緒に妻に会えるんだよ。ただシュオ様を妻に会わせる訳にはいかないから、その時ばかりは席を外していただかないとならないんだ」


「なるほど、その間にシュオ様にはレプリカを作る様子を見ていてもらうと?」


 納得した様子のヴェテラに向かって、マティネラは頷く。


「ああ、途中まではご一緒するがね。工房でのシュオ様の護衛は、レフティ君に任せたい。彼の討伐隊への志願理由は信頼に値するし、何より魔獣を独りで倒せるほど強いからな」


 ヴェテラは更に一つ気になっている事を尋ねる。


「レフティにシュオ様が魔天使である件は、話さなくていいんですよね?」


 マティネラは、なぜ当たり前の事を問うのか? と少し驚いた表情になった。


「当然だよ。流石にまだダメだな。打ち明けるとすれば、シュオ様が若いままの姿でいられる事に気がついた頃だろうな」


「そりゃ随分と先ですね?」


「シュオ様の記憶が戻れば、事と次第によっては王様だけでなく、世間にも公表しなければならなくなる。その時が来れば否が応でも知る事になるさ。今は下手にシュオ様が魔の眷属である事を彼に説明すべきでは無いだろう。魔獣に伴侶を殺されたのなら尚更だ」


 確かにそうだと、念のために尋ねてみたヴェテラも深く納得した。


「アジュリテちゃんは具合が悪かったら参加しなくていい。エンヴィの身の回りの世話は他のメイドにやらせよう」


「たぶん大丈夫だとは思いやすが……ありがとうございやす」


 ヴェテラは座ったままでマティネラに深くお辞儀をする。

 マティネラは片手で制するように応えると、廊下に通じる扉の方を軽く見て、人の気配が無いかどうか確認した。

 どうやら、これから話すことは使用人でも聞かれると、マズい話のようだ。

 マティネラは小声で、ヴェテラにだけ聞こえるように話し始める。


「それにしても参ったよ。神光の剣のレプリカを早急に補充しろと、王様に命じられてな」


「言うは容易いですが、工房の生産能力にも限界がありやすよ?」


 魔王討伐以前の天使サルヴァティアから神光の剣を見せてもらった魔導錬金術師がいた。

 彼は己の知識とマティネラの資金を借りて、友人と一緒にその複製の製造を試みる。

 その結果、斬れ味はやや劣るものの人間が魔の眷属に対抗しやすくなる武器が生まれた。

 それら神光の剣の複製品は、通称レプリカと呼ばれている。

 希少金属や薬品が使われるので高価な上に、膨大な魔力と魔道式鍛錬のためにかなりの歳月を要するので、量産は困難だった。

 マティネラは、そのレプリカを国王に献上することで更に巨万の富を得ている。


「王様はクワィアさえ了承するなら、新しい工房を城内に用意すると仰ってくれている。そうすれば量産は可能になるな」


「しかし、クワィアは量産化には難色を示していたはずでやしょう? レプリカは冗談みたいに強い武器だ。どの国の軍隊も欲しがっている戦争の道具になる。大量生産に踏み切れば、製造の為の技術や場所の秘匿は困難になる。彼女の父親は移動中で他国の間者に拉致されかけ、結局は殺されてしやいやしたし、王様もそれは残念がっていたはずだ」


 クワィアと呼ばれる魔導錬金術師の女性は、開発者の娘にあたり、そのレプリカを製造するための技術を引き継いでいた。


「だが、例の一件で事情が変わってきた」


 例の一件とは、マティネラが魔獣討伐隊を組織せざるを得ない切っ掛けを作った事件である。

 献上されたレプリカを装備した王国軍兵士たちによる、地獄へと通じる地下迷宮探査が、行われたのだった。

 計画を立案して指揮をとったのは第一王子だ。

 彼は当然、魔王討伐直後に物心がつき始めたばかりで、エンヴィと同様に魔の眷属の恐ろしさを良く知らない世代だった。

 王子は民草を完全に救おうと、禍根を断つために、いまだ地下迷宮内に存在する魔獣や魔物の掃討を進言してきた。

 国王は当初は止めたが、王子に従う若い兵士たちにも説得され、押し切られる形で許可を出してしまう。


 だが、結局は王子も含めて誰も生きて地下迷宮から帰還することは無く、大量の神光の剣を浪費しただけに終わった。


 そうしている内にも魔獣は、地下迷宮の幾つかある出入口から時おり這い出てくる。

 もはや王国軍兵士にそれら全てを出入口の手前で討伐する余力は無く、何匹かは逃げおおせて、各地に甚大な被害をもたらし始めていた。

 その被害を少しでも減らす為に、マティネラは私財を投じてヴェテラ率いる魔獣討伐隊を組織したのだ。


 マティネラは目を閉じて、当時のことを想い出しながら溜め息を吐く。


「シュオ様のことを王様に伝えていれば、王子の無茶を許すはずもなかった。魔獣が辺境にまで行くことも無かったかもしれん。ある意味レフティ君の件は、私の責任でもある。今は王国軍が討ち漏らした魔獣の後処理しか手伝えないが、やがては出入口全てを封鎖できるくらいの組織に広げたいものだ」


「しかし、我々の組織もそれなりの規模になってきやしたし、レプリカはともかく新たな王国軍の兵士たちの育成も順調なようだ。クワィアの心が動いた理由は、もしかして?」


 マティネラはソファに深く身体を預けると、ヴェテラを見つめる。


「最近になって王様から使者を通して報せがあった。出入口付近で黒翼の羽根が発見されたらしい。それが死骸から抜け落ちた物を魔獣が運んできたのか、生きている者から抜け落ちたのかは、分らんがな」


 ヴェテラの唾を飲み込む音が、静まった室内に響く。

 マティネラは両手を組むと額をつけて頭を支えた。


「今にして思えば他国の間者というのも、どうにも怪しくてな。クワィアの父親は用心深い奴だった、国外の人間ではなく、国内の魔者が人間の振りをして動向を探っていたのかも知れない。クワィアは父親に輪をかけて用心深いが、国王は手元に置いた方がより安全だとお考えだ。それにクワィア自身も今は自分たちの家系が製造技術を独占するよりも、信頼できる他の魔導錬金術師がいた場合は、伝えておいた方が万が一の場合には好都合だと考えている」


 ヴェテラは少しだけ震えながら尋ねる。


「万が一って?」


 マティネラは再び、何を当たり前のことを尋ねているのだ? といった顔をして答える。


「決まっとる」


 マティネラは何故か微笑んでいた。

 何かを諦めたような笑顔だった。


「魔天使の再臨だ」

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