エレナの贖罪
レフティが久しぶりの我が家に帰ると、そこはがらんどうだった。
寝室にあるベッド以外は、全て処分した後だったからだ。
この家も明日以降は、新しく村へ移住してくる世帯に貸し出されるか、売られることになる。
アリシアの雇い主である大地主が、仲介を兼ねて前金で買い取ってくれていた。
明日の朝までは利用して良いことになっている。
レフティは、あれほど好きだった共同浴場にも行かずに、装備を外して床に放り出した後は、服を着たまま掛け布団の無いベッドに横になり、うつろな瞳で干し肉を齧っていた。
それが今日の夕飯で、食事が済んだら朝まで泥のように眠りたいと考えている。
やがて最後のひと欠片を口に含んだ時に、玄関の方から扉をノックする音が聞こえた。
レフティは起き上がると、玄関へと向かう。
噛み終わった干し肉を飲み込みながら、こんな夜中で自分に何かの用があるのは村長くらいだろう、と思っていた。
だから扉を無造作に開く。
しかし、そこにはエレナが立っていた。
今となっては意外な来客に、レフティが少しだけ驚いた顔をする。
だがそれも束の間で、やがて険しく、かつ怪訝そうな顔つきになってしまった。
「何か用か?」
理性では分かっていた。
アリシアが死んだのはエレナのせいじゃない。
しかし彼女の姿は、アリシアが魔獣に喰われた時のことを想い起させる。
それはレフティにとって耐えがたい苦痛でしかない。
ましてや彼の言葉に対してエレナが、申し訳なさそうな表情で怯えていれば尚更だった。
「あの……その……」
どうやら、玄関先では流石に伝えにくい事柄らしい。
「とりあえず、中に入ってくれ」
レフティは、そう言うと彼女を寝室へと案内する。
「……えっ?」
部屋の中にあるベッドを見て、エレナは少しだけ驚いた。
「ここしか座れる場所がないんだ。変なことはしないから、適当に腰かけてくれ」
レフティはベッドにあがり、枕の上に片膝を立てて座ると、壁に背をつけた。
エレナはホッとした溜め息を吐くと、レフティの足の向こう側に腰掛ける。
「それで、いったい何の用なんだ?」
レフティは少しだけ睨むような表情を崩さずに尋ねた。
エレナは彼の視線から逃れるように顔を逸らしたが、それでも決意して来たのか、用件に関しては口を開き始める。
「自分が完治したら、きちんと謝りたいって、ずっと思ってて……」
「あの時にも言ったはずだ。君のせいじゃない」
エレナの決意に対してレフティの言い方は、その内容の割には冷たい感じがして、にべもなかった。
「でも、私は村の自警団の一員で……」
エレナは右手の拳を握りしめて胸を抑えた。
「俺もだ」
「村の人たちを守るのが仕事で……」
エレナが身体をレフティに向けて彼を見つめると、その左手はレフティの足元に近づいた。
「今までだって、守れなかった人が一人もいなかったわけじゃない」
エレナはレフティに向けて叫ぶ。
「でも……でも、アリシアは私の親友で……!」
「いい加減にしてくれ!」
レフティは怒鳴ると、今度は自分がエレナの視線から逃げるように、ベッドから床へと降り立った。
「そんなに自分だけ楽になりたいのか!?」
レフティはエレナに背を向けながら、吐き捨てるように言った。
思ってもみなかったレフティの言葉に、エレナは驚愕の表情と共に困惑する。
「そんな……そんなつもりじゃ……」
レフティの後ろで、エレナはベッドに腰掛けながら俯いて押し黙ってしまう。
「じゃあ、なんのつもりだって言うんだ? 君の謝罪を俺が受け入れれば、アリシアが生き返るとでも言うのか?」
レフティは少しだけ振り返って、下を向いたエレナを片目で憎々しげに見つめた。
「確かに自警団として村人を守れなかったのは失態だ。なら、その後悔を一生背負ってくれ。俺に謝って、少しでも罪悪感から逃れたいなんて……許さない」
「なにか……なにか償える方法は無いの?」
「そんなもの、ありはしない。逆に聞くが、君が何を俺に差し出せるって言うんだ? アリシアと等価の何を? 生き返ったアリシアか? 全ての魔の眷属の死骸か? 君の命か?」
レフティは扉を見つめる。
「分かったら、出て行ってくれ。もう二度と会う事も無いだろう」
しばらくした後に、背後でエレナが立ち上がったのか、床の軋む音がする。
レフティは扉を開けようとノブに手を掛けた。
だが彼女が近づいてくる足音ではなく、衣擦れの音がして、布が床に落ちるような音が続く。
レフティは、ゆっくりと振り返った。
ベッドと彼の間に裸になったエレナがいた。
「私の命、私の身体、なんでも気の済むように、あなたの好きにして……?」
引き締まったエレナの裸は、ふくよかなアリシアと違う魅力があった。
レフティは息を呑む。
よく見れば、エレナの全身には無数の傷跡があった。
顔にも魔獣のせいで付けられた傷が存在している。
しかし、それらは一つも彼女の魅力を損なうことはなかった。
レフティは服を脱いで上半身裸になる。
子供の頃、一緒に川で遊んでいた時よりも逞しく成長した男性の身体に、エレナは一瞬だけ見とれてしまったが、すぐに恥ずかしそうに視線を逸らした。
だが次の瞬間にレフティは、脱いだシャツをエレナに向けて、叩きつけるように投げた。
「ふざけるなっ!」
エレナは激昂するレフティを、ただ呆然と見つめた。
レフティは投げつけた上着を拾うと、それをエレナに羽織らせて、彼女の裸を隠す。
「エレナの覚悟は分かった。でもな、アリシアが亡くなったばかりなんだよ。俺は誰も、まだ許せない。君も、自分も……」
レフティはエレナの両肩を掴んで力を込める。
「そして魔の眷属たちを永遠に許しはしない……」
レフティの深い怒りの表情を見たエレナは、掴まれた両肩に走る痛みさえ忘れるほどの恐怖と哀しみを感じた。
「いつの日か、私のことを許せる日は来る?」
縋るような瞳に見つめられたレフティは、彼女の両肩を離して背を向ける。
「……さよなら」
短く、たった一言だけで別れを告げる彼の背中を見つめながら、エレナは涙を流した。
床に落ちていた自分の服をかき集めると、走って部屋を出て行く。
勢い良く玄関の扉を開けて閉める音が響くと、辺りは静かになった。
レフティは、上半身裸のままでベッドに横たわると、朝までの眠りに就いた。
翌朝に目覚めると、玄関のポストに真新しいシャツと紙で包まれた何かが投函されていた。
レフティがシャツを着るとサイズはピッタリだった。
包み紙を開くと、その中身は炒り卵とベーコンとレタスのサンドだった。
レフティは玄関先で、そのサンドを頬張る。
アリシアが作ってくれた物よりも、少しだけ塩気が強く味が濃かった。
「うまいな……」
レフティがそう呟くと、開かれた包み紙に一つだけ雫が落ちてきた。
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