終章 あるいは序章
(0)だれも知らない物語
「ああ、もう! 聖良ちゃんってばほんとむかつくんだけどー!」
私は電話を切るなり、スマホをぶん投げた。
「このあたしから連絡してやったのに! ……って、ああああああ!」
目の前には堤防。その先に少しだけ見える消波ブロック、そして荒れ狂う海。
煮えたぎっていた頭の芯が一気に冷えてゆく。
あわてて堤防に飛びついて、海へと身を乗り出した。
護岸の海側、消波ブロック同士が重なってできた隙間にスマホが引っかかっていた。
ストラップ代わりのクマのポーチが無事だとわかって、私は胸をなで下ろす。けれど、すぐに新しい不安がわきあがってきた。
「……回収、できるかな」
左右に視線を走らせ、もう一度消波ブロックに目を向ける。
波飛沫に濡れた、しっとりとした光沢を帯びたコンクリートの塊。
密に積まれているから、上に乗っても大丈夫そうだけれど……。
「うーん……」
私はブロックの向こう側をのぞきこんだ。
台風が接近中だからか、海面が近い。近すぎる。
荒波が護岸にぶつかるたびに、消波ブロックが水をかぶっている。
私は三メートルほど先に落ちているクマのポーチとにらめっこした。
早く拾わないと、潮まみれになってしまいそうだ。
正直、スマホはどうでもいい。また買えばいいのだから。
でも、ポーチはあきらめられなかった。聖良ちゃんが私のために選んで、プレゼントしてくれたものなのだ。
「……よしっ」
私は意を決し、堤防によじ登った。風にあおられながらも立ち上がって、状況を見極める。
鉛色の曇天の下、海は黒く泡立っていた。汚い白波が断続的に生まれ、護岸にどかんどかん衝突しては砕ける。
まるで世界の終わりのような光景で――私の知っている葉山の海ではなかった。
「なにしてるの?」
私が堤防の上で立ちすくんでいると、だれかがうしろから話しかけてきた。
「ここ、台風のときは道路まで波がくるから危ないよ」
私は振り返る。
原付にまたがったおばさんがいた。ラフな服装をしているから、近所のひとだろう。
「沖の様子が気になって……」
私は半笑いで返し、どこかほっとしつつ堤防から降りた。
馬鹿丸出しのことを言ってしまったけれど、実際馬鹿だから問題ない。
原付のおばさんが走り去ってから、私は再度スマホを――クマのポーチを見つめた。
ポーチのなかには、私の人生で一番馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい手紙が入ってる。書きながら「これ、あとで読み返したら死ぬわ……」と思ったくらいだ。
海に落ちたスマホが砂浜に打ち上げられて、だれかに手紙を読まれようものなら、発狂する自信がある。
私は周囲を確認してから、もう一度堤防に登った。
消波ブロックの上に降りて、足もとに気をつけつつもできるだけ海を見ないようにしながらポーチに向かって移動する。
『失恋の結末以外存在しない恋をしました。』
突然、脳裏に手紙の一文がよみがえった。
思い出しただけで顔が熱くなるけれど、実際、失恋以外ありえない恋だった。
私は「聖良ちゃんのことが好きなひと」を好きになった。
青井はすごい。聖良ちゃんが鼻も引っかけなくても「好き」と伝え続ける強さ……というかしぶとさがあって、でも私という“裏”に手を回すことにも抜かりがないのだ。
私は青井のそんな一途さに恋をした。自分がなりたくてもなれない姿だったから。ひょっとすると、憧れに近い感情だったのかもしれない。
青井に振られたのはショックだけれど、結果は予想できていた。
万が一、青井が私の告白に「俺も好き」と返してきたら、私の恋心は一瞬にして冷めていただろう。私が好きなのは、「聖良ちゃんに恋をしている青井」でしかないから。
ゆえに、大満足な失恋だった。青井のことが好きなまま、恋を終わらせることができたのだ。
この胸の痛みに、しばらくは酔っていられる。いや、酔ってないで勉強しろって感じなんだけど。
私は消波ブロックの脚にしがみついたまま、スマホを拾おうとする。
けれど、あと数センチのところで手が届かない。
しょうがないからブロックの端っこに、すり足で近づく。
一歩下がればまちがいなく海に落ちる、きわどすぎる立ち位置。波が護岸に衝突するたびに、水滴がふくらはぎにかかった。
すくみあがりながらも、クマのポーチを凝視する。
さっさとスマホを回収して、聖良ちゃんのところに直接殴りこもう。そして、「仲直りしてくれないと暴れるから!」と脅すのだ。
私は
聖良ちゃん。
私の大好きな――。
恋を知らぬまま死んでゆく 捺 @nat_zki
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