栄進する閃光

神楽坂

閃光との邂逅

 私の競馬場デビューは2010年5月の日本ダービーだった。

 多摩の生まれということもあり、東京競馬場は子どもの頃から馴染みがあった。競馬好きだった今は亡き祖父は東京競馬場と京王閣に足繁く通い、小銭をかけて遊んでいた。

 祖父が競馬場に私を連れていくことは少なかった。記憶にも残っていない。ただ、記憶に残っているのは小学校5年生のときに、当時破格の活躍をしていたテイエムオペラオーの携帯ストラップをくれたことだ。当時はもちろんオペラオーの凄さなど微塵も理解せず、あほづらでそのプレゼントを受け取っていた。あまり祖父は自分から私にプレゼントを選んで買ってくるということはなかった。そのことを考えても「これは孫にあげよう」と思わせるくらいの活躍をしていたのだろう。その活躍ぶりを私が知ることになるのは大学3年になってからだ。

 そんな馴染みがあったものの、初めて東京競馬場に行ったのは20歳になってからだった。その年の4月に20歳になり、その一ヶ月後の出来事だった。

 なぜ、そのタイミングで競馬場に行こうとしたのかは、今となっては忘れてしまった。もちろん競馬に対する興味があったのは間違いないだろうが、よりにもよってなぜダービーを選んだのだろう。今思えば納得のチョイスではあるが、初心者にダービーをきちんと観戦するのは難易度が高い。

 馬券に関する知識も何も持たずに競馬場まで赴いた私は、まず人の多さにたじろぐ。

 人に揉まれながらも私は三連複の馬券を買った。

 主戦、武豊が怪我で戦線を離脱する中で、岩田を乗せ皐月賞を勝ったヴィクトワールピサ。後藤浩輝を鞍上に迎えた2歳王者ローズキングダム。青葉賞を勝ち、デビュー4連勝のままダービーに突入したペルーサ。まさに群雄割拠のダービー。

 そんな群雄割拠の状況も一切わからないまま馬券を購入し、レースを迎える。

 しかし私は甘かった。

 一階のスタンドで観戦しようとしたのだが、人垣で一切レースが見えない。

 レースは愚か、世界最大級と謳われたオーロラビジョンすらも見ることができない状況だった。

 もちろん、今だったら10Rの前には馬券を購入し、スタンドの上の方で1時間以上前から待機する。当時の私はそんな処世術を知る由もないし、それを教えてくれる友人もいなかった。なんで一人で行ったんだ、私。

 期待していたファンファーレも歓声にかき消されて一切聴こえないままレースはスタート。精一杯背伸びをするも状況は掴めない。私は生まれてこの方自らの低身長を呪ったことはないが、唯一この時ばかりは自分の身長の低さを呪った。

 そんな私を捨て置いて、レースは展開する。

 私は最終コーナーを馬が周回してきたときの観客の歓声に圧倒された。

 歓声、怒号、願い、いろんな要素が含まれている叫びだ。その叫びはまるで一つの巨大な生物のようにうねり、府中の空に響き渡る。

 いてもたってもいられなくなった私は、私も意味もなく「差せ!」と2回叫んだ。どの馬がどの位置どりをしているかもわからないし、そもそもどんな馬が走っているかすらもわからないのに「差せ」とはどういうことだろう。馬券に絡んでいる馬が全て先行馬だったらどうする。とにかく、知っている競馬用語を20歳の私は叫んでいた。

 もちろんレースが終わっても結果がわからない。馬券売り場に行って、確定の馬番をみて自分の馬券が外れていることを確認した。

 しかし、その時は馬券などどうでもよかった。

 あの叫び声を体に浴びただけで、私は満足していた。

 もちろん、そのレースは皐月賞3着の伏兵、エイシンフラッシュがダービー史上最速の上がり3ハロンで制していた。大井からJRAに移籍したばかりの内田博幸が夢を掴み取り、そしてその年は2位の横山典弘を抑えてJRA最多勝利賞に輝く。

 これが私の競馬との出会いであり、そしてエイシンフラッシュとの出会いだった。

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栄進する閃光 神楽坂 @izumi_kagurazaka

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